昨季は開幕が遅かったのでCS,日本シリーズ、アジア選手権も遅く、もう春季キャンプなの!?という印象。
工藤投手がダイエーに移籍した後のチームの大きな変化を思えば、杉内投手の巨人への移籍の役割を思う。
もし巨人開幕投手が杉内で、あるいはホークスの開幕が帆足、細川バッテリーという事態になったら、鷹ファンとしては複雑(開幕投手予想で既に心配妄想)。
なんぼ「背番号18番」を提示されても、入団前と後とでは違うでしょう、巨人という球団は。自信も実績もある選手ほど苦しいことがあるはず。

林真理子 「花探し」より
 「『もうその人のことを愛してないからって言って、後足で砂をかけるようなことは出来ないわ。』「が、自分がたとえようもなく美しい猫になったような気がした。真白い毛並のペルシャ猫だ。片足を伸ばし、ポンと砂を蹴る。」「しかしこの“後足で砂をかける”という言葉は、予想以上の効果があったようだ。」
文春文庫「私の死亡記事」の米原真里「終生ヒトのオスは飼わず」より 「死因は狂犬病と推定されるが、」「肺に大量の猫の毛が詰まっていて、」「野良犬たちに前夜に食べ残したビフテキを配ったところ、一匹に手を軽く噛まれたのが命取りになった。」「喪主は故人の遺言に従い、養子の無理さんと養女の道理さんが務めるが、両名とも猫であるため、念のため人間を代表して」

森茉莉 「私の美の世界」の「夢を買う話」より
 「彼女は足の裏まで黒い黒猫で、柔らかで滑らかな毛皮の中に、濃藍色の目玉を薄緑色が囲んでいる、大きな眼が嵌っていて、猫を最も厭らしくするところの、あのニャーゴという声を、生れてから死ぬまで決して発しなかった。」「猫族の中で特に誇りが高く、腹が減ると鰹節飯や魚をおく新聞紙のところに、私に背を向けて座った。」「『私の夢の中でお前は脚が鳥で頭が猫の怪物と一緒に空を飛んでいた。お前は毎晩、どこへ行ってくるのだ?』と。」「死ぬ日の午後、寝台の下から私を見て、一声啼いたお前の声は今でも私の胸を掻き毟る。」「何故ならお前は自分が猫であることも知らず、死というものを知らずにいて、そのために幸福だった。それが、最後の日になって、やっぱり何かを感じたらしかったからだ……。」

鴎外の娘である森茉莉の作品を初めて読んだ。中野翠氏が絶賛し憧れる作家なので興味はあった。父鴎外でさえ作家というよりは翻訳家と断じる。猫を書いた文も何やら詩的で翻訳口調の箇所も。

梶井基次郎 「愛撫」より
 「猫の耳というものはまことに可笑(おか)しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛(じゆうもう)が生えていて、裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。」「私は猫と遊んでいる最中に、とうとうその耳を噛んでしまったのである。これが私の発見だったのである。噛まれるや否や、その下らない奴は、直ちに悲鳴をあげた。私の古い空想はその場で壊れてしまった。
猫は耳を噛まれるのが一番痛いのである。悲鳴は最も微(かす)かなところからはじまる。だんだん強くするほど、だんだん強く鳴く。Crescendo のうまく出る――なんだか木管楽器のような気がする。」「それは、猫の爪をみんな切ってしまうのである。
猫はどうなるだろう? おそらく彼は死んでしまうのではなかろうか?」「いつものように、彼は木登りをしようとする。――できない。人の裾を目がけて跳びかかる。――異(ちが)う。爪を研(と)ごうとする。――なんにもない。おそらく彼はこんなことを何度もやってみるにちがいない。」「絶望! そして絶え間のない恐怖の夢を見ながら、物を食べる元気さえ失せて、遂には――死んでしまう。 爪のない猫! こんな、便(たよ)りない、哀れな心持のものがあろうか! 空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆に陥った天才にも似ている!」「猫の手の化粧道具! 私は猫の前足を引っ張って来て、いつも独り笑いをしながら、その毛並を撫でてやる。彼が顔を洗う前足の横側には、毛脚の短い絨氈(じゆうたん)のような毛が密生していて、なるほど人間の化粧道具にもなりそうなのである。しかし私にはそれが何の役に立とう?」

夭折の文士もかなりの猫好きだったと見える。
深読みすることもないのだろうが、猫の耳や爪が何かを暗示しているのだろうか?
作家にとってのペンのことか?
ペンを取り上げられたら、書いた内容の原形を留めないほど削除されたら…?あるいは病気がちの基次郎であったから、書く事が出来なくなること、自分の才能が枯渇したら、という恐怖感?