あなたを生きる時、あなたは無敵。 | 須藤峻のブログ

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すどうしゅんによる、心の探究日誌。
生きることは不思議に満ちてる。自由に、自在に生きるための処方箋。

「100%、自分を生きる!!」と決めたとき、
あなたは無敵になるんだよー

 

その瞬間に、どんな人も、あなたを傷つけることも、
振り回すこともできなくなる。

 

んで、「自分を生きる」って何?

 

例えば、誰にも遠慮しないこと、気遣いもしないこと、
人にどう思われよーと、気にしないこと・・・

 

わかってるけど、できたら苦労しないよー って思うかな?

 

YES、それもあるよね。
けれど、自分が「遠慮」したり「気遣い」したり、
「人の目を気にしている」ことに、

気付いてないってことの方が多いのかもしれない。

 

それらの習慣があまりに深く身についてしまってるから
「自分が100%自分らしくある」っていう状態が
そもそも、わからなくなっているんだよね。

 

自分が、自分を小さくまとめ、役割へと貶め、
自分を殺していることに、気がつかなくなっちゃう。

 

特に、「社会的な関係」においては、とっても顕著に見えてくる。
親子、夫婦、上司と部下、隣人同士・・・
あまりに「見本=正しいあり方のお手本」が多いのよね。

 

だから、自分もお手本通りの役割を演じるのが普通だと思うし、
相手にもそれを要求する。

 

あるべき夫の姿、正しい親のあり方、
良い子供、上司、大人、社会人、常識人、人間・・・・

 

息苦し~

 

そりゃそうだ。「あるべき自分」、「役割に即した自分」を生きることは、
ありのままの自分を離れること、

つまり「自分以外の誰か」を生きることだから。

 

けど、多くの人が、こう思ってる。

 

誰かと一緒にいるためには、
どこかで妥協したり我慢したりしなくちゃいけない。
自分が自分の要求を通したら、相手は我慢するのだから当然だよ!

 

OK、その通り。
それも、ひとつの真実だよね。
だから、「人生は妥協と我慢の中で、少しだけ自分の望みも叶えるモノ」
と思うのなら、そういう人生を生きることができる。

 

でも、「100%の自分を生きる人生」を選ぶこともできる。
自分の心のままに、思いのままに、感性のままに、自在に生きる。
傷つくこともなく、振り回されることもなく、
いつも、自分が自分であることに足りている。
そんな生き方。

 

そりゃ、実現できるならしたいさ!と思うよね。
でも、そんなこと不可能・・・と思う前に、ひとつ聴いて欲しい。

それを手にいれるには、巨大な犠牲が伴うんです。

 

・・・ふむ・・・なるほど、それなら整合性があるな・・・

 

そう思うかもしれないね。

YES。もちろん、そんな素晴らしいモノだもの。
無償では手に入らない。
その素晴らしいチケットを入手するためにはね、「犠牲」が必要なんだ。

 

どこの世界も同じだね。

人魚姫が、人間の足を手に入れるために、
魔女に、「美しい声」を失わなくてはならなかったように。

 

じゃあ、あなたがあなたを生きる時、何を失うと思う??

 

 

少し言いづらいけど、言わなくちゃね。
実は、あなたが失うのはね・・・

「あなたの一番大切なもの」なんだよ。
それを失ったら、生きていけないと思っている
「それ」を捨てるってことなんだ。

 

「それ」っていうのは、
あなたが「役割」を通じて手に入れたもの。

 

正しい妻、あるべき母、大人、相手が求めている人間、・・・
それを演ずることを通じて、作り上げた関係性、つながり、居場所、ポジション・・・
そして「あなた自身(”自分”のイメージ)」。

 

全部、持って行くことができないんだ。
それらは、あなたにとって重すぎる。
あなたが、大空へと羽ばたいていくには、どれもこれも、重すぎる。

だから、それらを手放さなくては、ならない。
ギブアップするしかないんだなー

 

だからね、あなたが、あなたを生きる時、
あなたは、そこには、いられなくなるかもしれない。
そして、自分が我慢することで、安定させてきた、
目の前の大切な関係性も、終わってしまうかもしれない。

 

知ってるよ。

 

あなたが演じたのは、「それ」が欲しかったからだって。
あなたは、どうしたってそれが、欲しかった。

 

あなたは、善き人でありたかった。
人を裏切ったり、わがまま言って困らせたり、
傷つけたりする人間でありたくなかった。
責任感があり、寛容で、利他的で、明るく、

人を勇気付ける人間でありたかった。

いい奴だなって、優秀だなって、好きだって、言って欲しかった。

 

あなたは、愛されたかった。
だから、愛される人になろうと思った。
愛されるに足る存在でありたいと思った。

 

だから、時に、それができなくとも、難しくとも、
今日まで、懸命に努力をしてきたね。
我慢し、自分を抑え、反省し、自分を責め、激励し、頑張ってきた。

 

その険しい道のりが、あなたをここに連れてきたのだと思う。
僕らはきっと、それをすることなくして、ここから先に進めないのだ。

 

今、あなたは、清水の舞台に立っている。
あなたが、あなたの人生を進めていくために、飛ばなくてはならない。

 

恐怖がよぎる。
そんな「私」を見せてしまったら、失ってしまう。
関係性を、安定的な収入を、自分の居場所を・・・愛を。

 

誰にも愛されず、はじかれて、
路頭に迷い、友達もいない。お金もなく、住む家も失う。
一度ここから、落ちてしまったら、二度と、戻れない。
そうしたら、生きていけない!!!!

 

足がすくむよね。当然だ。

 

そんな時に、思い出そう。
ありのままのあなたが、どれほどに、価値があるのかを。

どれほどに、愛おしい存在なのかを。

 

あなたの、大切な存在を思い浮かべて欲しい。

 

あなたが、あなたの大切な人(存在)を愛しく思うのは、
その人(存在)がその人(存在)だからでしょ?
何かができるからでも、何かが優れているからでもなく、
その存在が、存在しているということ、そのものに
あなたは、愛を感じている。

 

世界にとって、あなたは、そんな存在だということ。
僕にとって、あなたは、そんな存在だということ。

 

あなたは、世界に一人しかいない。あなたに、代用品はない。
この世界に、あなたというユニークネスは、たったひとつしかない。
あなたが、この世界に生まれてきた時に、あなたの価値が決まった。
たったひとつのピースがなくても、パズルは完成しないように、
あなたが、この世界に存在しているということそのものが、
世界へのギフトなんだ。

 

だから、あなたがあなたである時、
あなたが、恐れずに遠慮なく、100%のあなたを生きる時、

あなたは、最高のギフトを世界に贈ることになる。

 

あなたの怒りが、嫉妬が、嘲りが、寂しさが、痛みが、
そして相手に向けた敵意さへ、ギフトになるだろう。

 

相手の世界を壊すのを恐れず、
相手にとってはた迷惑で、非常識な存在であることを恐れずに、
正直な、まっすぐな、ありのままのあなたである時に、
あなたはあなたを贈ることができる。

相手が、自分の常識という檻から、自分を解放する契機となることができる。

 

不思議だよね、非常識と矛盾の塊(だとみなしてた)自分を生きる時に、
あなたが持っている価値が最大化されるんだから。

 

そして、あなたの世界は入れ替わっていく。
ありのままのあなたを愛する人たちだけが残り、
あなたに「役割」を求める人たちは、去っていく。

次第に、あなたは、あなたを傷つけさせることも、
振り回させることも、選択しなくなる。
あなたがあなたである時、それをできる人はいない。

 

あなたはきっと気がつく。
なんだ!生きるって、こんなにもシンプルなことだったんだ。
そして、これがないと生きていけないって思ってたモノ
・・・お金、家、食べ物、関係・・・
こうしないと生きられないと思ってたやり方
・・・しっかり、責任感を持って、役割を全うして・・・
なくなっても、大丈夫なんだなーって。

 

そう、あなたは、生きていける。
あなたが、あなたを失わない限りね!
あなたが、100%のあなたを生きる時、あなたは無敵。
走り出したあなたに、魅せられて、世界がついてくるだろう。

 

さて・・・飛びますか!