木の棒があるとします。
木の棒は、剣士の手に持たれた時には、木刀になります。
老人の手の中では杖に、そば屋にとっては延べ棒です。
もともと木刀だったわけでも、杖だったわけでも、延べ棒だったわけでもありません。
人間も同じです。
もともと、自明の「私」がいるわけではありません。
「私」というのは、本来、木の棒です。
しかし、相手に応じて、木刀になったり、杖になったり、延べ棒になったりします。
僕らが「自分」と呼んだり、感じたりしているのは、この木刀・杖・延べ棒へと
メタモルフォーゼした状態のことです。
まず、関係性があり、その関係性に応じて、
都度、「私」という意識が、必要なカタチで新生されるのです。
その時、既に「私」は関係性を反影したカタチで生み出されているんです。
「私」という自覚は、常に、相手との関係性の中で、
相手との「共同作業」によって新生されます。
「私」は常に、自分と相手、二人のモノです。
だから、自分を変えるというのは、関係性を変えるコトです。
関係性を変えるコトで、その瞬間に作り上げられる「私」が変わります。
関係性を変えるとは、「相手に与える役割」を変えるということです。
僕たちは、自分の中にある要素を、相手に投影しています。
つまり、「相手」はいつも、自分の中にある何かの要素の鏡になっているということです。
それは、相手に「ある要素を反影する」という役割を与えているということです。
即ち、「役割を演じてもらっている」という状況なんですね。
だから、「相手が自分の中のいかなる要素を演じてくれているのか」を知り
別の役割を演じてもらうコトに決めれば、関係性は変わります。
例えば、いつも「おせっかい」を焼かれて、困ってしまう
・・・という関係があるとします。
それは、お互いの人格の問題というより、共同で生成した関係性の問題です。
相手との間に、「庇護者 ー 被庇護者」という関係性が創られているわけです。
お互い、この役割に沿って、演技をしているに過ぎません。
この関係性を変えたいのであれば、脚本を変える必要がある。
相手との間に創られた、「関係性のパターン」を変化させる必要があるんです。
変化させる方法は、
「相手の演じている役割を、自分の中に見つけて、それを受け入れ、解放すること」
につきます。・・・いつもの話・・・ですね。
上述の例で言えば、
「自分の中にある、庇護者意識(=おせっかい焼きの側面)を知り、
受け入れ、解放すること」
ですね。
そっかー、Cさんに対して、いつも心配して、余計な世話をしてたわ・・・
きっとCさんも今の自分と同じ気持ちかな・・・もうそんなコトする必要ないな・・・
それに気がついて、それを解放できてしまえば、
もう、「おせっかい」という要素を相手に演じてもらう必要がなくなります。
これまで、「僕の、調和していない側面を、演じて見せてくれて、ありがとう」
と言いましょう 笑
そして、実際に、現実でその関係性を創り変えてみてください。
関係性はパターンになっていて、少し意識しないと変わらないこともあります。
自然に変わってしまっていることもあります。
その変化を愉しんでください。
そして、相手に、自分の一番良いところを演じさせてあげましょう。
きっと、そんな役の方が、相手もハッピーなはずですね!