もう2ヶ月以上経ってしまったが、ダンシガシンダの回文通り、昨年11月21日、立川談志が死んだ。享年75歳。このブログでも書いたことがある、曾ての落語家四天王の一人で、その才能は誰もが認めた天才、奇才である。



当然のことながら、マスコミは追悼番組や追悼記事で談志を偲んだ。故人を偲ぶ内容だから、彼を凄さを褒め称えるものとなるのはやむを得ないだろう。しかし談志賞賛の大合唱の中で、敢えて私は大嫌いですという話をしようと思う。談志教信者ともいえる熱烈なファンが大勢いるから、暗闇で石とか卵をぶつけられるかもしれないが、それも覚悟で言わせてもらう。



若い頃の談志は良かったと思う。だから独演会も行ったこともあるし、昔ラジオから録音した口演カセットテープも所有している。春風亭小朝がまだ子供の頃、新宿末広亭の2階席で談志の「芝浜」に聞き入り、手にしていたソフトクリームが全部溶け落ちるまで気づかなかったという談志の凄さを物語るエピソードもある。



しかし、2003年に談志の独演会に行った時、「ああ、もう談志は聴きたくない。聴かなくていいや。」と決めた。今回追悼番組で「芝浜」「居残り佐平次」という代表作をやっていたので、最後だから記念に自分のDVDライブラリーに加えようと思い録画はしたが、結局は残しておこうという気にならず削除してしまった。


柳家権太楼師が「談志さんは落語協会を脱会してからおかしくなった。」と言っていたのを聞いて、確かにそうかもしれないと頷いた。その頃から荒れてきたような気もする。以下に記す嫌いな点は若い頃にもなかった訳ではないが、後年になっては病的とも言えるようになり、私にとっては完全な拒否反応となった。



では何で嫌いか。

1. 自分の落語が最高であるということをひけらかし過ぎる。知識の豊富さをひけらかし過ぎる。シャレや冗談で自分のことを名人とか言って笑いをとることはあるが、彼の場合はそうではなく、それを臆面もなく前面に押し出してくる。それが最初から最後までプンプン臭うから嫌気がさす。

やや専門的になるが、「談志さんは一つの噺の途中で、『ここはこういうやり方もあるんですよ。』と同じ場面を別の表現で見せることがあるが、ああいうことをやっちゃあいけません。自分の力量を誇示するために途中で噺を止めるのも良くない。」とは、前出の権太楼師の弁。これなんかは正に自分はこんなに凄いんだと言わんばかりである。



2. 「ぎゃー」とか「わー」とかの擬声擬音がやたらと多い。自分で名人というなら、名人はあんなに擬声擬音で大騒ぎしてはいけない。こんなにうるさい名人など見たことない。もしかしたらここ数年、談志の力が落ちた証拠かもしれない。


3. 喋っている時、下唇を左右に歪めて語る口の形が嫌い。これは正に単なる個人的好みの問題だが、とても不愉快。話すことが商売なのだから、見掛けも美しくあって欲しい。



4. 談志に限ったことではないが、その道を登りつめた人ならやりたい放題というのが好きではない、どころか許せない。戦後の英雄プロレスラー力道山や土俵の鬼初代若乃花もかなり無茶苦茶な傍若無人さであったと人づてに聞いたことがあるが、芸人は芸が良ければなんでも許されるものではない。橘家円蔵師がシャレに、「談志さん、ええ、いい人ですよ、敵に回さなければ」と言っていたが、言い得て妙だと思う。またある弟子によれば、「芸は最高だが人格は最低」という。談志の死後、いくつかの落語会で見た弟子たちは、勿論師匠として感謝は口にしていたが、皆一様にその傍若無人さには閉口していたことを遠回しに語っていた。


(長くなるので続きは後日。)