生きていること = 人でも動物でも植物でも その固体が再生し続け血が通い、細胞が作られていること。(すずらんの定義)脳死の判断は個人的な意見としては「死」として認めたく無いのが本音です。

わが社には恥ずかしながら「都落ち・リハビリの部」と呼ばれる部署があります。
近年のサラリーマンはストレスが原因で「鬱」になる人が増えましたし、過酷な労働条件の下で身も心もボロボロになるまで働く人、それによって命を落とす人も後を絶ちません。長期休養を経ても尚、一般の部で働くには酷な人、あるいは産休明けの時短の人、総合的な意味でプラスになる部であれば「わが社には素晴らしい部がある」と紹介したいのですが、最近はそういう意味合いを持たなくなってまいりました。

ある上司の一言が私の今後を変えるかもしれません。

リハビリの部にも営業部隊は存在します。営業部隊の構成は本部機能にある花形の営業と各部署に設置してある既存客のフォローアップの営業とあるので、リハビリの部はその後者にあたります。

すずらんの部も決して表舞台の部署ではありませんが、1人1人は個性があり比較的均一の取れた部署だと思っています。(色々はあるんですけどね)

ある営業活動の中でリハビリ部と花形部の営業が合同で新しい仕事を受託するのでは無いかという話がありまして、でもよくよく聞くと、当部署が大きく関わることになりそうな仕事だったことが判明しました。では、何故当部が関わることになったのか、という理由を聞くと「リハビリ部には受託する業務の一部を遂行する能力が無い為、受託はするが業務の遂行は当部に任せる」というではありませんか。

その、手数料って誰が決めたの?
実際の事務処理方法は誰が決めたの?
っていうか、何で当部の営業隊は同行していないの?


はてな、はてなだらけです。

そんな仕事は受けるもんじゃない!
ある上司は尤もな意見として社全体を巻き込んででも今回の案件を見過ごさず、当部では一切その業務に関与しないと言ったそうです。

そこまでは良かった。

でもですよ、お客様からしたらどーでしょう?ここからはすずらんの意見です。
どこでやっていようが我が社に仕事を託したことに変わりはないじゃないですか。だったら、今回の案件、とりあえず受けましょうよ。それで、当部の採算が合わないと判っているならば、何れの所でリハビリ部から見合う手数料の付け替えを頼めばいいでしょうし、リハビリ部に出来る人間を置いたっていいじゃないですか。なんだったら私リハビリ部に行って業務のやり方教えて来ましょうか?ってある上司に言ったのです。

その返事がこれ、、、ワントゥー スリーグッド!( ←ってベストハウス123じゃないですけど)

「君、あの部署どういう部署か判っているの?頭の悪いヤツばかりや、仕事の出来ないヤツが流れ着く部署なんだよ?言い聞かせて出来る連中、居るわけ無いじゃないか!」

って言ったんです。

そんなこと言ったら身も蓋もないでしょうよ。そこまでうちの会社、落ちちゃってるの???

じゃ、なんで前回のリストラの時に入っていないんだ?仕事の出来る人間、沢山辞めていっちゃったじゃないの。で、出来ない人間は残っているの?可笑しいんじゃないの?残された人間はまだ「会社が残したい人間」だった筈でしょ?だったら出来ない人間って決め付けないで、ちゃんとやって貰えるように、交渉しましょうよ!

「すずらんをリハビリ部に置いて下さいよ。私変えてみせますよ!」って啖呵切っちゃったんです。

生きているって、日々成長してこそ生き甲斐があるのだから、血が通っている同じ人に対してそんな言い方をしては、その人達の成長もそこで止まってしまうでしょうし、すずらんは自分の会社に誇りを持ちたいし、魅力ある会社にもしたいです。
皆が楽しいと思える会社にして行きたいと思っているのですから、ある上司に対しては
「人は変われる」し周りの影響で良くも悪くも「変わる」という事を結果として示してみたい、と強く思っているのです。


だから 絶対に見棄てたくないですし、見棄てないですビックリマーク