科学技術社会論(STS)の学会に参加して | 誰でもやれる革命

科学技術社会論(STS)の学会に参加して

先日土曜日、STS(社会科学技術論)という学会のシンポジウム
に参加してきました。

長いことこのSTUDYUNIONという<村>で過ごしていれば、
他の<学会>に参加したら、違和感の極まりを味わうことが多いです。

たとえば、必ず講演時間が超過して、質疑応答の時間が削られまくり、
一方的に椅子に座らせらるという苦役をなめさせられるとか、二次会
をわざわざ飲み会にして思考力を低下させて、議論の機会を奪うとか、
こういうことは以前から疑問です。

SUは原則途中質問もあり。喫茶店かレストランで第二ラウンドに
入るのが二次会ですが・・・・


さて、STSとは、科学技術を市民の間で、あるいは科学者間で
コーディネートをするという学問分野のようだったのですが、
ひとことで言えば「難しいでしょう」が感想でした。


難しさの意味を3点だけ、乗り越える方策を1点書きます。


1「専門性の民主化」論批判
 科学技術の知識を、知識が欠如した市民に啓蒙する段階ではなく、
 専門性の民主化を図り、市民参加や政策提言のレベルまで行う必
 要がある。

 という発表がありましたが、科学技術の専門性を時間や意思、
 あるいは能力に劣る一般市民の判断を誘導しようという発想
 のようにも聞こえましたが、二重の意味で困難です。

 まず、科学技術の高度な専門性と主として多数決を最終決定
 原理とする民主主義は、方法論的に相容れないでしょう。

 それから、市民の判断の形成をしようというのは、民意誘導
 抜きにして可能なのか、大いに疑問です。政府や中立的だと
 認識される機関が制度的に実施するのであれば別かもしれま
 せんが・・。


2「東日本大震災」と安易に銘打ったことへの批判
 シンポジウムの題は「東日本大震災から科学技術と社会のこ
 れまでを考える」というもの。しかしながら、次々と発表さ
 れた内容は、原発のみに限定。
 さらに
 その後の限られた討論の中では、原発問題を扱う必要はない
 という学会の研究者の発言まであり、大いに疑問でした。

 真剣な取り組みをされている他の学会や市民団体に対して、
 こんなファッション的に用いるのは、我々の税金が投入さ
 れている知的営為からすれば、失態だったかと思われます。

 東日本大震災と軽佻に銘打つべきではなかったですね。


3「多様な専門性の担保」論への疑問
 発表の内容の一部に「科学の専門分野の多様性をどう集約
 できるか」というものがありましたが、その矛先は真っ先に
 このSTSという学会の専門家達へこそ向けられるべきで
 しょう。他の学会からの友情発表もあったのでしょうが、
 主張は統一感があるとは言えず、どの方の意見が責任ある
 発言なのか、非常に分かりにくかったです。
 
 これは同じ論法ですが、「原子力村」を批判されている方々
 は、まずは<STS村>の批判をしなければならないかとも
 思います。科学に限らずあらゆる専門技術の集団は、共同体
 を作らざるを得ません。それは、現場の技術職でもそうです。

 他者を批判することで、自分達は違うという思わせる論法は、
 児戯、子供だましに過ぎるやり方かと。 
   

乗り越える方策を簡単に書きます。
まずは、啓発型の公開講座を何度も主催し、そして何度も出席
されるリピーターを数十名育成してください。そしたら、その
次の段階として、ようやく市民参加のイベントができます。

ただしその過程はで、先日のように生徒を<動員>したり、利害
関係が絡むような手法では、不可でしょう。
科学技術に純粋に知的好奇心を持ち続ける市民を見つけ出すこと
あるいは育成すること、ここがスタートラインです。

さらに厳しく付け加えたいのですが、
我々は、こうしたスタートラインの形成過程までをNPO、つまり
無償でやっているのですが、プロの専門家が(大半は税金から給与
や活動の一部を支給されているのかもしれませんが)、まだ成果を
出せていないし、その具体的計画を公然とは説明できないという
のは、いかなるものでしょうか。

(ちょっと厳し過ぎましたか)

 関 浩成
   STUDY UNION代表
   NPO法人 科学カフェ京都 理事