あの忌まわしきテロ事件から五年の歳月が経過した。



 テレビで航空機が貿易センターに飛び込んでいくシーンが放送されるたび、心から悲痛な叫び声が上がってくる。瞬時にして数千人もの命を奪ったあの衝撃的な映像は、繰り返し見る者の心を突き刺す。

昨年は「小泉劇場大特番」の為あまり見る事のなかったシーンだ。当時はこの日を意図的に選挙公示日に当てたという気がしてならなかったのだが、今年はメディアが繰り返しこの事件を報道してくれているお陰で時の流れによる記憶の風化に若干の歯止めがかかっているような気がする。



 五年前、私が一番最初に心配したのはニューヨークに住んでいる友人達の安否だった。当時私は音大留学する為の語学留学を終え、一時的に日本に帰国していた。ニュースでの報道を見た時、夜中にも拘らず思わず叫び声を上げてしまった。

友人達の安否が確認できて間もなく、アメリカという国は必ず武力によって報復すると感じた。実際にアメリカという国に住んでみての肌感覚が私にそう告げていた。そして私の想像をはるかに上回る数の尊い人命が、報復によりまた奪われてしまっている。



 数十万人の「罪の無い」民間人の命を奪い「平和の為の犠牲」と謳うには余りにも利己的で残酷ではないか。飛躍した考え方かも知れないが、私にはニューヨーク・アフガン・イラクでの犠牲者全てがアメリカの石油利権争いの犠牲者だと思えて仕方がない。



 時の流れは私の当時の肌感覚や衝撃・思考といったものをどんどん希薄なものにしてしまう。私自身、実際に住んだアメリカという国に対し、未だに感情を整理できないでいる。毎年この日は自身がこの事件についてどう考え・捉え・受け止めているのかを思い出す為になるべく日記を綴ってきた。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~s-jets/olddiaryforterror.htm

五年目の今日というこの日を機に、過去9月11日に書いた日記をいつでも読めるようリンクを整理してみた。





私の心に痞(つか)えているもの。




それは「平和なアメリカで学びたかった」という想い。




その叶わなかった願望が、私の猜疑心に拍車をかけているようだ。