って台詞、あったかなぁ。
のんすけのエレファントマンを観た感情日記です。


「何十年も前に映画館で観て今だに心に残っています。
ホラー映画と勘違いしたことが恥ずかしい。」


という感想を作品を見た後で目にして、たった2行のこの感想がとてもこの作品の真髄を付いているような気がして、胸に火傷のような、いつか消えるかもしれないし、ずっと残るかもしれない傷跡を残した。
私もまたこの作品のタイトルだけを見て、面白そうだと思い興味を惹かれたから。その時そこに深い意味はなかったけど、タイトルがじわじわと今口の中に滲むように広がっている気がする。

人間は例えば悲しい時にも笑えるし、どんなに歓喜感動した記憶も脳に録画していつでも見たい時にそのまま再生するなんて事はできない。どんなこともすぐに忘れてしまう。だから生きられる。忘れたことを時には美化し、忘れてもいいことがずっと自分の心にのしかかって、はっきり覚えてもない形のないものに何年も、生涯、足を引っ張られ続けたりもする。
それでも可能な限り、前を向いて生きられるのであれば前を向きたい。さまざまな境遇で、それができない人がどこかにいることを知っていても。夢は目線の道標だ。

絶対に自分からは手にとらないような他人の作った物語や目を背けたくなるような、それでも何か人の心に爪痕を残して語り継がれてきたような実話。大好きな人を通して、きっかけとして、こういった作品を目撃するということにはきちんと1つの意味があり、忘れっぽい私の記憶のドアをいつかノックしてくれる鍵になってくれると思う。舞台が作るあの、始まりの音楽とともに外の世界と別の時間が流れているような、外とは何か空気の質が変わったかのようように感じられる空間というのは、何度、どんな作品に足を運んでも心に何か言葉にしようのない余韻をお土産に手渡してくれる。自分にそういった作品に触れる機会をくれる人がいることに、感謝の気持ちが湧く。こういう気持ちになることを、心に火を灯すというのであれば、どうにかこの火が舞台の上にも熱となって届けばいいのになぁと帰路につきながらいつもそんなことを思う。舞台から目が離せない間はそんな冷静な考えはまとめられないから、言葉にならない感情はカーテンコールの時間に強く心を込めて拍手として送る。
わたしの感想はいつも感想として残したいと思って言葉を綴り始めるけど出来上がりはただの感情日記に近い。
それでも今日見たものから湧き出した感情を忘れたくなくて何か言葉で残そうとせずにはいられない作品だった。

素人目に見ても難しいお芝居だった。正直私が見てきた限りあんまりお芝居は上手い方の人じゃないと思っている彼のずっと続く苦しそうな呼吸が、今日、会場の空気を作り出していた。