内田樹格言集~著作権編~ | 内田樹(うちだたつる)格言集

内田樹(うちだたつる)格言集

思想家、武道家で、著書も多い神戸女学院大学名誉教授内田樹先生の格言、警句を項目ごとに整理したブログ。
同氏が著作権を放棄しているブログ、ネット記事から選んでいます。

ネット上に掲載されたものは誰でも使用できる「公共財」であるというのが私の考えである。
(内田樹の研究室、詩人のコピーライトについて 2007年11月2日)

私は「私のような考え方をする人」を一人でも増やしたくて、ネットを利用しているわけであるから、私の意見を「まるで自分の意見のようである」と思ってくれる人がいることは歓迎しこそすれ、非難するいわれはない。
(内田樹の研究室、グーグルの存在する世界 2010年3月5日)

「ついに一人のフォロワーも得ることのなかったユニークさ」には何の価値もない。
「多くのフォロワーを獲得したためにいつのまにか少しもユニークなものでなくなってしまったユニークさ」だけに価値があると私は思っている。
(内田樹の研究室、詩人のコピーライトについて 2007年11月2日)

著作権をふりまわして、その使用を制限してまわる人たちの中には、オリジネイターに対する敬意も、作品に対する愛情も、何もなく、ただ自己利益のためにそうしている人が多数含まれている。
私はこういう人たちの言い分に耳を貸すにはどうしてもなれない。
(内田樹の研究室、疑似著作権とブライアンウィルソンの気鬱について 2010年6月7日)

コピーライトという「既得権」に固執する人は、「コピーライトがあるがゆえに生じる逸失利益」というものが存在することにたぶん気づいていない。
(内田樹の研究室、グーグルの存在する世界 2010年3月5日)

(著作権法が改正されれば、)著作権者の死後70年も著作権相続者がその恩沢に浴するというのは孫や曾孫が著作権者になるということである。、顔も知らぬし、その思想信条も美意識も価値観も知らぬ孫や曾孫に著作権の「管理」を任せるということは、「孫子かわいさ」とは話の次元が違うのではないか。
(内田樹の研究室、詩人のコピーライトについて 2007年11月2日)

著作権が権利として尊重されるのは、「それがクリエイターを保護し、その創作活動を支援する」限りにおいてであって、この条件を満たさないものについての著作権は認められるべきではないと私は思う。クリエイター自身ではない著作権所有者が、他人の創作物の使用を制限したり、それについて「返礼」の支払いを要求したりすることに合理性があると私にはどうしても思えないのである。
(内田樹の研究室、疑似著作権とブライアンウィルソンの気鬱について 2010年6月7日)