書評『恵庭OL殺人事件―こうして「犯人」は作られた』 | leraのブログ

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書評『恵庭
OL殺人事件―こうして「犯人」は作られた』伊東秀子著、日本評論社

 「恵庭OL殺人事件」に触れることは、皮膚の痛みのような感覚を伴う。それはあきらかに無罪でありながら有罪になってしまったことや、控訴審から東京の支援会に加わったもののうまく機能できなかったことからだ。冤罪被害者(以下元被告)と現地支援会との関係がうくまいかなかったこともあるだろう。さらに殺害方法、犯行現場、動機までもが曖昧のまま可能性の積み重ねで有罪とした前代未聞の判決だったからかもしれない。

 あきらかな冤罪という乱暴な表現を避けるならば、現在の裁判員制度とその中の公判前整理手続があれば、必ずや無罪判決になっていただろう事件と言い換えてもいい。

 しかし一度も無罪判決がなかったことは、いくつかの不運が重なったからだ。

 事件は2000523日早朝、女性の焼かれた遺体の発見から始まる。そして、犯罪被害者(以下被害者)と同じ会社に勤めていた女性社員が犯人として逮捕される。

 あきらかに性犯罪を思わせるものだったにもかかわらず、警察はかなり強い自信をもって元被告を逮捕した。その理由として本書は無言(いやがらせ)電話を示唆する。

 その電話はメディアによると、元被告が被害者に「数日間に約120回」かけたものであり、「三角関係のもつれによる嫉妬殺人」というストーリーとなった。実際には230回ほどの架電があったが、リダイアル操作の「指遊び」のみで相手側コールがあったのは30回ほどで、課金されたのは17回ほどだった。

 本書によると、勾留満期日に近づいたある日、地検次席検事から呼ばれ弁護士が行ってみると「200回以上のいやがらせ電話をしている」ことを示す着信記録を示されたという。

この電話(「無言」「いやがらせ」ばかりではないことが後にわかる)に関してはメディアが報じたほうが先だったが、その時弁護団は元被告に「かけていない」という確認をとっていた。ところが起訴後、「かけたこと」を告白するのである。

 いやがらせ電話が殺人に結びつくなどナンセンスな話であるし、確かに数だけの問題でもないと思うが、「200回のいやがらせ電話」という数字が独り歩きした。捜査側が着信記録からだけではなくコール回数も認識していれば見立ても変わったのではないだろうか?

 その時にもうひとつの大きな告白があった。被害者は「灯油」で焼かれたとされていたが、元被告は事件発生時に持っていた10ℓの灯油を疑われるのが怖くて捨て、後に「あるべきものがない」と不自然と思いなおし新たに買ったというものだった。

 起訴後のこのふたつの告白は、元被告と弁護団との関係性において大変不幸なことだと思う。さらに燃焼実験で10ℓの灯油では炭化するほど燃焼されないことがあきらかになった。灯油を消費しそれを買い足したという不審行動が「灯油使用説」の流れを捜査側につくったとしたらこれも不幸なことだと思う。

 ところが元被告を犯人にするにはあまりに「反証」が多いのも特徴だろう。

 犯行時間に給油していたり、遺体焼却現場における二台の車の目撃証人の存在、体格差による物理的問題、犯行後被害者ケータイ電話を犯人が持ち歩いた事実、駅に残された被害者の車。

 そして冤罪につきものの不思議な事象。普段使っていない被害者ロッカーキーが元被告自動車から発見されたり、警察の24時間尾行がついている時に被害者所持品を山に焼きに行ったとされたり…そして炎を見たという目撃証言も時間的な変動をしてゆく。

 弁護団は不運が重なる中でアナザーストーリーを展開してゆく。冤罪支援の場合の解のないテーマが真犯人説の提示である。本書の第2部で白取祐司氏はアナザーストーリーを肯定しつつもこう指摘する。

「弁護士の役目は検察の立証構造を揺るがして「灰色」に持ち込むだけでいいのである」

 本書ではかなり大胆なアナザーストーリーを展開している。

 いくつかの不幸が重なったこともあろうが、本書に書かれていない弁護団の迷走の問題もある。しかし、本年1015日に再審請求がされた。今後を見守りたい。証拠隠し、ねつ造、不十分なアリバイ操作など本事件の概要について書かれた数少ない公刊本のひとつである。