あの夏の数かぎりなき
そういえばどんな夏だったか。東京から出てない夏だった。
寒々しい夏だったが祭りが楽しかったから良しとしようと思う。あの祭り独特のトリップ感を味わえて満足な夏だったと思おうと思う。
屋台を見る度血が騒ぐようになったのは大人になってからだと思う。子供の頃はそれほどノれなかった。
あのテンションの上がりようは、なんだろう。夕暮れ、会場に近づくにつれ大きくなってくる人のざわめき。ドキドキする。
確か、まず、ビールを買ったのだ。そしてイカを買った。「ほれ、一番大きいの!」とおっちゃんは渡してくれ、「わーい!おじちゃんありがとデス♪」とタラちゃん並の笑顔で受け取ったのだが味が薄いうえに半生で齧ると「おえっ」となり、「おっさん焼けてねーぞコラ!」とウルヴァリンに変身しようと思ったのだが結局イクラちゃん並に大人しく一口で捨てた。バーブッ!
大阪焼きを売っている前歯の無いおっちゃんは祭りが楽しくてしょうがないといったふうにニコニコしながら「兄ちゃんも屋台やんねーか? 似合うべきっと」と私をスカウトしてくれた。嬉しくて嬉しくて5人前買った。「おじちゃん5人前ちょうだい!」って、おじちゃんが。
美味かった。喰いきれなかった3人前はどこかに忘れた。
ソースせんべいも美味い。クジで枚数が決まる。ギャンブル好きな友人は二千円以上費やし物凄い量のせんべいを手に入れ、ホクホク顔で友人らに配った。
ビールを飲み飲み、グルグル屋台を廻った。酔いもまわった。くじ引きで手に入れたらしいエアガンを振り回す少年たちに絡む私の表情は「まるで少年のようだった」とは子供を連れていた友人の言葉だ。お酒は怖いデス♪
テンションが落ち着いたらぼけーと祭りを外から眺める。浴衣の女性は素晴らしい。年齢は関係ない。
地域の盆踊りサークルなのか、中年以降のご婦人団体がいた。皆さん着こなしから立ち振る舞いから、素敵だった。
その中の一人がお孫さんを連れていた。男の子は金魚すくいに夢中だ。
と思いきや、金魚じゃない。「ブーン」とモーターの音がするプール。流れるプールのように水が廻るなか、金魚ではなく亀のおもちゃや熱帯魚のフィギュア、仮面ライダーまで物凄い速さでグルグル廻っている。それを小さい網ですくう。
友人らと近寄り、「うわー味気ねえなあ」と大きめに呟いた私に向かい、うちわで胸元を扇ぎながら「最近はこんなんばっかよ」とそのご婦人は笑いかけてきた。「お金もったいないから、ああやって孫を遊ばせてるの」と、プールに両手を突っ込み亀のおもちゃを洗い続けている治外法権な少年を指差してケラケラ笑う。私もガハハと笑った。おばあちゃんであるそのご婦人から現役な香りが漂ってきた。
盆踊りが始まった。やぐらの周りにご婦人たちが集まり、「東京音頭」「炭鉱節」とお決まりなナンバーが流れ始める。皆さん、見事なダンスだ。
マイクで呼びかけられ、子供たちもパラパラとそこに加わっていく。「踊ろかな! 俺も踊ろかな!」と再びテンションがイチ抜けた私は友人らに制された。それくらい良い空間だった。
ゆっくりとやぐらを廻っている先ほどのご婦人と目が合った。流れるように踊りながら私に向かって照れたような流し目でウインクっぽく笑った。
あなどれん色気だった。けど何も始められん色気だった。
そんな夏だった2006。確かそんな夏だった。
来年の夏こそは大人の表情をできるのだろうかと不安に思う。逃げながらも不安に思う。
二千円
「わあ、二千円もくれるの!?」
そう喜んだ私を母親は「あんた!」と慌てて叱ったのだが、当時はそのタブーを理解できなかった。じいちゃんは苦笑いしていた気がする。
こういう場合、具体的な金額は言うべきじゃない。失礼だ。
しかし幼い私は素直にびっくりしたのだ。
――二千円が手に入るなんて! マーベラス!
その時の金銭感覚に、今の私は非常に近い。
景気が良い頃はなあ、なんつってそんな時代を懐かしんだりもするのだが私の景気が良い時代なんてスーパー企業に勤めている友人の不景気時代にすら劣ることに気付かされ、「そうか」と打ちのめされている今日の私だ。
「金の価値なんて一粒の愛に劣る」
そう戒め、愛を抱きつつ生きていこうと思う。「自分を騙していない」と自分を騙して生きていこうと思う。金が欲しいと切に思う。
K.O.P.2
私に妻はいない。私がメソメソすることはない――
先日清原から「ゴーヤが苦い」と相談を受けた。そら苦い。知るか。
い、いや任せろ清原。
ゴーヤは縦に切った時点で内側の白いとこをスプーンの先っちょでガッシガッシ取り、なるべく薄ーく切って塩なんぞで洗っときゃ苦味が取れる。
――筈だ。
適当な調理方法も教えた。すると数日後に清原は「美味かったなあ」と言ってくれた。良かった。
先日教えた「かんたん男のすぱげってい」は「なんだか面倒臭くてよう」っておのれ清原。料理楽しいんじゃねえのか。
ウキャー
日曜日な私は買い物ついでに公園でお散歩。ビール片手にブラブラしていると、シーソーの横に親子連れがいた。子供は女の子二人。かわいかった。
幼稚園児くらいのお姉ちゃんはシャボン玉をふわふわ飛ばしている。近くのベンチに座り、昼間っからビールを飲むダメな私の方にもシャボン玉が飛んでくる。
お母さんとお姉ちゃんから少し離れ、一人黙々とシーソーの構造に夢中だった2歳くらいの妹はシャボン玉を飛ばすお姉ちゃんの「○○ちゃん、ほら! シャボン玉!」の声でシャボン玉に気付くとはちきれんばかりの笑顔、シャボン玉を追って「ウキャー!」と。風に乗ってどこまでも走っていく。
そしてしばらくすると消えてしまうシャボン玉。妹は足元のありんこか砂なんぞをいじり始める。そして再び「ほら!ほら!」とお姉ちゃん。妹振り向くとはちきれた笑顔、「ウキャー!」と走って来る。
どう書けばあのウキャーの輝きが伝わるのだろうか。私はあのウキャーの聴き心地の良さを誰かに伝えたいと思った。
――子供たちがキャッキャ、「ウキャー!」って! 分かる?! 空青いし日差しキツい!
子供たちが! 公園で! おのれ幼児!
強くあらねばと思う。風景に負けずにありたいと思う。勝とうと思う。書きたいと思う。
あと最近涙もろい自分を戒めようと思う。酒なんか飲むとあっちゅう間に。
――泣くのよ?! トトロで! おっさんが!! 部屋で一人! 分かる?!
蛾人間とマイン
残念ながらタイトルを忘れてしまったのだが、小学生の頃に読んだ「世界のミステリー」といった子供向けのオカルト啓蒙書に載っていた「モス=マン」。何処からともなくやって来る、とっても恐ろしい蛾人間だ。
具体的なスペックやどんな目撃談があったのか等も忘却の彼方。覚えていることは「モス=マンはとても速く飛びます」「そしてモス=マンは人間を襲います」くらいだ。
大して怖くもなかったし宇宙人やUFOなど他のミステリー(ミステリーて)の方が読んでいてワクワクしたことを覚えている。宇宙の神秘さは蛾人間(蛾人間て)なんかとは規模が違うのだ。
だがしかし、強烈なインパクトを残しやがったのだ、モス=マンは。
――挿絵が怖い。挿絵だけが怖かった。
私は暗闇が怖くない。普段も部屋を真っ暗にして寝ている。そうでないと眠れないのだ。
夜中の暗い部屋。部屋に面した道路を車が通るとそのヘッドライトが部屋の天井に影を作り出す。その影に気付く度、ウトウト中の私は何故か「ひっ」と恐怖しっぱなしだったのだ。
そしてある日、
――フラッシュ・バック。君(モス=マン)のフレイバー。
あの影はモス=マンじゃないか! あの啓蒙書の挿絵だ!
嗚呼、本のタイトルが思い出せないのが悔しい。確か挿絵では女性が襲われていた(モス=マンは女性を襲います)。
それに気付いてしまってから、分かっているのに毎度モス=マンの影にギョッとする日々が続いている。多分今晩も。おのれ蛾人間。
K.O.P.1
作ったカレーがまずい。そんなことは無いだろうか。
カレーで失敗することは無いと思う。私も無い。イマイチな味でもなんとか調整ができるし最終手段、卵とめんつゆやらマーヨ・ネーズでなんとかなる。贅沢な気分の時には納豆を落としたりトマトを落としてスパゲティにからめたり。もはやカレー風味なサムシング。
一人暮らしの男なんてそんなもんだ。(と思う) カレーこそ男の料理だ。(と思う) 作り置いて数日食べられるし上記のように様々なヴァージョンで楽しめるのである。素晴らしい。(と思う)
それを暑い夏に汗をかきながらガツガツ喰らうのだな。第一失敗することなんて無いのだ――
・・・・・・海老が古かったのかもしれない。
いつぞやの記憶を総動員して作ったつもりだったのだが、どうも生臭い。いや、海老だけじゃなく全体的に生臭い。
臭いシーフードたち。缶詰の癖にあさりもなんだか臭い気がする。イカも生臭い。
――私の作った、カレーがくさい。
先週そんなことがあったんだよ、思い出そうと頑張ったんだけど何故だかまずかったんだよなあ、おかしいよなあ、と面白おかしく語る私に目を細め、清原は言った。
「カレーはそんな好きじゃねえんだ。いいよいいよ」
おのれ清原。
清原オリンピックプロジェクト
清原 は奥さんに先立たれ随分経つ。一人暮らしだ。子供たちもどこかに出て行った。だから食事は自分で作っている。
「兄ちゃん、簡単に作れて美味いモンはねーかい」
先日ニコニコとそう聞かれた。任せろ清原。
私はゆで卵の醤油+めんつゆ漬け、そして黄身の醤油+めんつゆ漬けをレコメンドした。一度に作ることができて楽だし、なかなか良いつまみ、おかずになる。
――筈だ。私は一度しか作ったことがない。味の記憶も無い。
次会った時清原は「いやー美味かった、アレいいなあ」と喜んでくれた。良かった。
「他にねーかい」と聞かれたのだが簡単なのと言えば「塩味のインスタントラーメンに溶いた片栗粉と溶いた生卵を落とす」とか「卵かけごはんはめんつゆが美味い」とか「生卵を」とか「卵に」とか卵関係しか思いつかない。このままではコレステロールが清原の寿命を縮めてしまう。
プアなレパートリーを増やさねばと思う。学ばねばと思う。
私の「簡単☆男のクッキング」の勉強が始まる。清原を長生きさせようと思う。
エロス・マスター
ジダンがものすごく、怒ったみたいだ。母親と姉を侮辱されて。(「ジダン示談せず」的な記事絶対出ると思った!馬鹿!)
ご飯一杯分の価値しかない古いタイプの日本人な私にとって母親はなんだかこっ恥ずかしい存在だし、例え「お前の母ちゃん、売春婦!」と言われても「なんだと!」とはならない。ピンと来ない。そんなジェネレーションでありカルチャーだ。
そんなことより自分の子供を侮辱される方が腹立つ。頭突きどころじゃない。絶対、一生そいつを許さない。
子供はいない。だから私は腹が立つことはない。
幼少期の私にとって母親は私のアドミニストレータ―権限を持っており、もちろん女性だった。
赤ちゃんの頃の自分があんな乳を吸っていたと考えるのもおぞましい。男子にはそういう時期が来るんじゃなかろうか。
少なくとも私はそう思っていた。愛する息子にそんなふうに思われるなんて母親は浮かばれんもんだとも思う。
小学生の頃、エロガキがいた。近所のアパートに住んでおり、私より二つ年下だった。
そいつは道端に落ちているボロボロのエロ雑誌を秘密基地(オープンソース)にコレクションしたり、ブーム関係なく一人スカートめくりにハマっていたり近所のお姉ちゃんの部屋でタンスを漁ったり、自他ともに認めるエロス・マスターであった。小学生じゃなかったらえらいことになっていたと思う。
夏休みに近所の家族で連れ立ってプールに行った時、そいつは子供権限を振りかざし「ボクも女子更衣室で着替えたい!」とゴネた。小4で良かった。小学生じゃなかったらえらいことになっていたと思う。
「そんなに女の裸が見たいなら俺の母ちゃんのを見ろよ」
女子更衣室での着替えを拒否されたヤツに、私は何気なくそうからかったのだ。
すると彼はニヤリと笑い、こう返した。
「おばちゃんの裸なら、去年見たよ」
――去年見たよ。
こ、こいつは、ボクのお母さんの裸を見たのか。
提案した癖に何故だか私はショックだった。例えるなら、そう、ハンマーで後頭部を「ガンッ!」て。
心底嫌だった筈の裸だ。しかしその時、「見られたくない」と思う自分に気付いた。「汚された!」と思った。「お母さん」が!私のアドミニストレーター!
私は曖昧に笑うのみだった。リアクションを間違えれば周りの男子から引かれることは分かっていたし、私自身その時自分が抱いた感情に引いていたから。
母親が女性であることは当然だが、そこに「女性性」みたいなもんは見たくない。だから私は自分の頭の中からそういう要素を積極的に排除していたと思う。きっと人間(?のオス?)はそのようにできているんじゃないか。
小4のエロス・マスターは私に思い出させたのだ。ボーイな私も憧れていた「女性の裸」を自分の母親も持っていることを。そしてその裸はおぞましいけどなんだか大切なものだったということを。
ジダンは何より母親を侮辱されることが許せなかったのではないか。私にはそんな感情は無い。繰り返すが、きっとそんなカルチャーだからだ(繰り返すが自分の子供は別だ。いない)。
しかし心の奥底では・・・とも思う。もっと原始的な感情。うまく言葉にできぬし、わざわざ言葉にしないカルチャーだ。多分。
ちなみにエロス・マスターの行方は分からない。あれだけ「ボクは性に関心があります!」と公言できたヤツはいなかった。引退していることを願う。
記念日
私は普段から自分で自分のことをおっさんだから、おっさんだしさ、と言っているが、そして実際自分でそう自覚してもいるのだが、それは心の準備というか予行演習的な部分が大きいのだよ。
今日私はものすごいナチュラルな流れで子供連れのママ(私より年配)に、「ほら、おじさんにバイバイしなさい」と言われたのだ。産まれて初めて。そう、ハンマーで後頭部「ガンッ!」て。
強張った私のニン。子供はニンしながら「おじさんバイバイ!」って。ハンマーで。
とりあえずここに記録しておこうと思う。
清原2
清原 と会った。最近ちょいちょい話す。自分がヘコんでる時などに話すと、楽しい。その元気っぷりがいい感じで伝染してくれる(しかし彼はトリノオリンピックに出場しなかった)。
「そろそろだなあー、俺ァ長生きし過ぎだよー」と彼は言った。
「いや、あと30年はいける」と私は言った。「こないだ○○も脳梗塞で体半分ダメになっちまったしよう。皆いなくなっちゃうんだよなあ」と周りを見ながら、その日の清原は少し寂しそうだった。
この喫茶店は数年前まで清原世代でもっと賑やかだったらしい。私はその時代を知らないのだがそれでも十分パワフルじじいが多い場所だと思っている。
俺ァー体丈夫なんだよなあー、と見た感じほんと丈夫そうな清原は私に言い、タバコをプカプカした。
タバコも値上がりだね、と言うと、
「タバコはいいんだよ、お国に金あげてんだから。奉仕だよ。よその国は800円するんだよ、タバコ。いいじゃねえか日本」と清原。
サッカー、日本を応援したか?と言われ「フランス」と答えると「非国民だなぁ」と笑われた。
彼の友人が到着した。
じゃ、と店を出ようとすると「兄ちゃん兄ちゃん」と清原はポケットをガサゴソした。
取り出だしたるはアメ二つ。なぜかこっそり握らされたのが可笑しかった。
ビタミンCが大事なんだよ、ちゃんと摂れよ?と清原。
ありがとうと言い口に放り込んだ。
正直、私はアメがあんまし好かん。口の中を切る気がして落ち着かない。
袋を見、口の中のアメはオレンジ味だと理解した。もう一つはブドウ味だった。
若者が買わないタイプのアメだ。ビタミンCはおろか果汁すらも無添加の。
舐め舐め店を出た。
清原は友人と仲良さそうに談笑している。何時までこの店にいるのだろうか。
「ボクたち」は老人になったらまた発生するのかもしれないなとぼんやり思った。