http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11723487354.html
世の中にはね、「知らなくてもよいこと」がたくさんあるような気がするのね。それはムカシっからそう思ってた。

オレらには「知る権利」とともに「知らない権利」もあると思うんだよね。

知らない権利、つまり「耳をふさぐ権利」を蹂躙しているのがマスコミなわけで、だからオレはマスコミが嫌いなんだが。

でもマスコミだけじゃないんだよ。耳をふさぐ権利を蹂躙しまくってるのはたとえば隣のおばちゃんね。ああいう存在ってかなりウザいし、危険。

だって風評を広めるのはたいがい隣のおばちゃん(もしくはそれに準じる存在)だから。
アイツらってみょーにお上に従順でさ、ズバリお上が広げてほしい風評をニュアンスどおりに伝えることに長けていたり。

ま、つまりは「隣のおばちゃん」はマスコミの手先なわけ。ということはイコールマスコミなんだよ。


でね、福島の原発問題とか放射能とか被災地復興のハナシだけど。

数万人が亡くなったり、避難して不自由な生活を余儀なくされているという状況は、確かに異常でさ、このぐらいのレベルになると、マスコミ(手先含む)じゃないルートでも情報が入ってくるわけ。

だから、もう情報量としては十二分なんだけど、その中に「耳をふさぐな、ヴォケが!!」といった類の声も必ず紛れ込んでくる。その情報の混入は、おそらく意図的なんだ。

オレ思うんだけど、東京とか首都圏に住んでて放射能問題を気にして、再稼働反対とかいってる人たちって、ほっとんど「ふりをして」安心してるだけだと思うよ。
「耳をふさぐな、ヴォケが!!」という大きな声を上げている恐怖の存在に対するエクスキューズ。「い、いや、ワタクシも耳をふさいでいるわけではございませんでして。。このようにデモにも参加させていただいていますし、これでいいでしょ?」みたいな?

東電のヤツらに「だったらテメエがフクシマの立ち入り禁止区域に住んでみろや!」と外野で声を荒らげてる人たちだってもちろん自分らもそこにはすまないわなあ。なんか「そのあたり」に少し違和感があるんだよね、ここ2年ぐらいずっと。


あっと、ハナシがそれた。ホントに言いたかったことに強引にハナシを戻す。
たとえばね、田舎町で誰かが行方不明になって変死体で発見された、とかいう事件があったとして、そういうニュースは少なくともオレの耳には入ってこない。
耳をふさいでるわけじゃないんだよ。入ってこないだけで。

それって、いいの? って。
オレが考えたいのは、事件の規模のハナシ。数万人死んだ事件(あるいは事故)は「耳をふさぐな、ヴォケが!!」で、一人が変死体で発見された事件は風化していいの?

いや、書いていて違うような気がしてきた。。
つまりは「スキャンダラスさ」なんだよ。スキャンダラスな事件だったら、ヒトが死んでなくとも週刊誌があることないこと書くから、結果的にオレの耳にも入ってくることがある。

その事件がスキャンダラスか否かで、風化させてよい/わるい を決めていいのか?って。そういうこと。オレの小さな疑問は。
(大勢の人間が死ぬってことはそれだけでスキャンダラスである)

そうじゃなくって、オレたち庶民は、スキャンダラスさや事件の規模ではなくて、どんだけ自分にとって「身近か否か」で風化させてよい/わるい を決めていいんじゃねえのか? ということを言いたいの。

だからはっきりいってしまえば関西に住んでる人間は東日本大震災の記憶を風化させても別にいい。だって直接的にはぜんぜん関係ないもん。
あ、悪い例出しちゃった。。この例でいうと、関西のヒトは阪神淡路大震災の復興を関東にガン無視されたっていう苦い記憶があるから、あれは一種の「報復」だよな。
だからこの件は、難しすぎる。

オレ個人は、バリバリ福島出身なので、大震災、原発、放射能問題はむっちゃ「身近」だから。ちなみに。親が福島に住んでるからな。耳をふさいでるわけはない。こうして、多角的に(?)いろいろ考え続けている。


最初に蹂躙のことを書いたけどさ、オレらってどんだけマスコミに踊らされてるかって、オレら自身わかってんのかな?

アイツらがあらかじめ取捨選択したニュースを、オレたちは、口を開けさせられたまんま、流し込まれ。
それが「蹂躙」という行為そのものである。

もっと言葉を選べばそれは「レイプ」に近い。そしてあろうことか、庶民はその行為に対して快感すら感じているのだ。だからタチが悪いんだ、この問題は。

でもオレは、快感などゼッタイに、死ぬまで感じないし。そういう人間は少しはいる。