1986.04.08(火)…当時のトップアイドルだった岡田有希子さん(享年18歳)が自ら命を絶った。

 

彼女の人気はデビュー当初は伸び悩んだものの産前で芸能活動休業中であった松田聖子さんが作詞担当し、当時は数少ない国際的な音楽家であった坂本龍一氏が作曲を担当していることもあり、「くちびるNetwork」はレコード売上ウィークリーベストテン入りし、トップアイドルの仲間入りの一員へ歩み始めた直後でもあった。

 

 

ボクは特別な彼女のファンではなかったが、大学入学を控えて地元で準備をしている中でランチを食べた帰りに何気なく観た街頭に映っていたテレビでその一報を聞いた。当時はGIL EVANSとかBILL EVANSに憧れ、スタジオミュージシャンの夢を見ていた音楽少年だった自分はアイドルにほとんど興味がなく、そんな自分でも同年代である彼女の死は衝撃だったし、当時の事は鮮明に覚えている。後日、当時のアルバイト先で一緒だった40歳代の女性が「思春期の女の子は思い詰めるから…死神が憑いてしまったのだろうね」との言葉が現在でも印象に残っている。

 

この出来事の顛末も数十年後に友人の芸能記者ならびにフリージャーナリストから聞いたことがあるが、ひとつだけ言えるのは18歳の女の子を地方から上京させておきながら、管理できなかった事務所ならびに業界全体として大きな反省点となり、大手中堅事務所には専属臨床心理士のサポートを受ける体制ができるようになった。

 

 

ボクの友人にKくんがいるが、彼はサッカーヲタクであり、先にも後にもアイドルファンクラブに入会したのは岡田有希子さんだけであり、愛知県にある彼女が眠る墓には遠征の度に訪れるそうだ。そして今年2018.04.08(日)も彼女が死を選択してしまった四谷四丁目に多くのファンが訪問したとのこと…そして現在のアイドル業界も彼女の死という反省を踏まえて成り立っていることも忘れてはならないと思います。

 

1986.04.08(火)も今日のような春らしいぽかぽかと晴れた一日でした。

 

 



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