遊技時間の価値。 | リーマンとスロッターとバンドマンの狭間

リーマンとスロッターとバンドマンの狭間

パチスロを愛してやまないリーマン(兼バンドマン)が綴るパチスロ・パチンコに関するブログ。

本日は、夕方から用事があったので実践ナシでした。



と言う事で、休日にしては珍しく、飲み会でした。



数年ぶりに会って飲むと言う事で、正直不安要素満載ながらも、終わってみれば心地よく有意義な時間でした。



閑話休題


と言う事で、実践ナシにつき駄文になりますが、今日のテーマは「遊戯中の時間」についての考察です。


基本的に、スロを打たない知人・友人からは、スロットやパチンコに興じることについて「時間の無駄」と言われることが多いです。



まぁ、趣味の分野でもありますから、そこに割く時間に対する価値感がそもそも違いますから、反論することが無駄と判断してスルーします。



そして、打ち手である知人・友人が漏らすこんな一言。


「○○を打ったけど、終始揉まれる展開で時間の無駄だった。」


まぁ、スロット・パチンコあるある的な一言とも言えますね。


勿論、私自身も実践上でそのように感じることは多々ありました。


「費やした時間」と言う観点では、揉まれる=小幅な上下の波が続く状態ですので、遊戯時間が長い割に結果がハネないと言ったニュアンスでしょう。


でも、正直思うんですよね・・・。


目の前の事象そのものだけを見るのではなく、一歩引いた視点・俯瞰するような視点で見てみると、無駄ではないのではないか。と・・・。


つまり、「遊戯時間が長いほど、台から得られる情報も増え、その結果がどうなるかと言う部分での経験値も増える」と言う意味では、無駄とは言えないんじゃないかなと。


価値の見出し方は人それぞれですが、考え方によってはプラスに寄与する面もあるのではないかと思慮しています。

ただ、あくまで考え方の一種ですので、確実にプラスかと言われればそうとは限らないですけどね。


単純に、私個人としては、打つのであれば価値を見出しつつ打つ方がモチベーションも保てますし、後学のためにもなるのではないかなと思っています。

そんな感じの駄文でした。

◆Twitter:@KSYuki_777