1月の末ごろアンヘレスでは18度ぐらいの日が続いた、12月.1月は一応、涼しい期間とはいえ私も経験したことの無いほど暑さを感じない温度です。地元の人は寒い寒いと言うほどです。温暖化の影響かもしれませんが自分にとっては好都合(ここだけのはなし)とも思いました。昨年11月に購入契約をしてから手付金10%,プロセスフィーと呼ばれる手数料25000pesoをはらって開発業者から購入を勧めてきた土地にまずは塀を建設して先日、日本円で40万ほどの二回目の支払いをしました。契約では六ヶ月以内の支払いは金利がつかないので5月までに残りの日本円で100万ほどを支払って登記が完了すれば土地購入まで完了という計画です。フィリピンでは借家の方が有利と考えていた自分ですが娘のフィリピンでの永住の気持ちと年を重ねてほかの場所へ引っ越す必要もなくなったと感じて住宅建設を決めたわけです。のんびりしたフィリピンの生活習慣とはいえ娘も邦人企業での仕事とズンバフィットネスの指導員の仕事でけっこう忙しく又楽しく頑張っているようでうれしく思っています。自分のシニアライフもここで頑張りたいと楽しみもできたようです。

なんとか塀が完成したようです。家を作る場合、次の工事といえば、、、合併浄化槽でしょう。フィリピン方式では早速、宅地建設をはじめそうですが日本人として最低限の環境配慮をしなければなりませんから。幸い宅地内の地表近くに下水溝がありますので浄化槽を作って下水溝まで水路の埋設と浄化槽へ送り込む爆気ブロワの配管を作っておきます。建物の建築工事を開始するには建築許可(ビルディングパーミッション)が必要なのですが浄化槽までぐらいでしたら問題にはならないと思います。まあ厳密にいえば建築工事なのですが。フィリピンでの生活の基本姿勢は何事も目立たぬように、ということで外はカリカリ中はジューシーの餃子のように外はシンプルなかはガッチリをコンセプトに建築完了まで楽しく頑張りたいと思っています。





大晦日の夜、娘と兄弟の様に仲良く暮らしている隣の女の子が交通事故に合ったとか。バイクとの接触で手足に怪我をして倒れこんだということです。幸い大きな怪我とはならず翌日には結構元気そうにしています。相手は酔っ払い運転の二人乗り、おまけに無免許です。相手の方はその後の通院や治療にも誠意がないらしい。こんな場合の対応はなかなか微妙な問題です。特に日本人に対す事故でわれわれのように定住する方ですと法律や規則を縦に四角四面の対応が正しいと言えないところが分かりにくい部分です。現在のフィリピンは努力が報われる社会になりつつある所で元気がある社会ですが、こういった問題は特に対応が難しいところです。できれば交通事故は貰い事故も含めて十分に注意して暮らすことが大事だと思っています。

フレンドシップ hi-way沿いにはロイヤルガーデンGCが有ります。18H でゴルフコース、ホテル、レストランと設備は充実しています。併設のドライブレンジもしっかりしています。このコースは夜もプレーできるようになりました。プレイフィーは3000peso程度。他のコースと同じようにカードは別料金です。きれいに作られたコースでロッカールームやシャワーも綺麗です。距離は7000yard超えでドライバーの飛距離を楽しめます。グリーンの芝の整備がいまいちなのが残念です。毎日はカットしていないようでカット直後だとようのですが、それ以外はかなり遅いグリーンです。裏話を言えばここの真価はオーナーが敷地内で経営している家具製造会社なのです。マホガニーをふんだんに使ったヨーロッパ調の家具はかなりのできばえで本場のヨーロッパから買い付けにきているほどです。一般の人には目に入ることはないでしょうが紹介を依頼すれば気軽に見せてくれるはづです。日本で見ることは珍しい家具にびっくりすると思いますよ。



明けましておめでとうございます。今年も一年が始まります。フィリピンと日本をつなぐライフラインのパソコン管理自分流についてご紹介いたします。いままで長い間PCの安定運用には色々試してきましたが、これがなかなか難しい問題です。昨年から自分が使っているパソコン管理の方法はいくつかありますが、その1はクローンHDDを作っておくことです。自分はファイナルハードディスク入れ替え14をつかってクローンHDDを作ります。新しいPCでもwin updateは必要なので通信の早い日本で必要なソフトをいれ設定その他を完了させてから作ります。時間をかければフィリピンでも作れますが日本と行き来していますので日本で作ります。2はHDDの入れ替えが簡単なPCを選ぶか、デスクトップなら改造してワンタッチでHDD交換ができるようにしています。上記の入れ替えソフトはそれ自身でもBootできますので起動できなくなった場合でも対応可能な処理が増えますので便利だと思います。3.その他にもwindows 回復コンソールを使ってDVDでBoot可能な回復データを作成しています。最初に作ったHDDはマスターとして、そこからトラブル時には入れ替え用のHDDもしくは修復するHDDはフォーマットして修復します。win8の場合はUSBの起動バックアップも作成しています。ネット通信機器としてはPC日常使用、PC業務使用、スマホ、最後に電話と用意しています。フィリピンではなにごともバックアップを二つ以上の方法で準備することを心がけています。

今年もとうとう年末となりました。ということで今日はあまり教えたくないゴルフ場を特別に紹介します。アンヘレスでゴルフを本気でやるなら絶対お勧めなのですが、コースのコンディションとは反対に少し街の中心地から離れていることもあって今のところ穴場ゴルフ場なのです。コース名はbevely place G.Cです。池とバンカーが多くグリーンのアンジュレーションもあるため攻略は簡単にはいきません。その上、プレーフィーが1300pesoと超安い。所在地はアンヘレスの隣、サンフェルナンドのSMモールの裏を入ったところです。グリーンコンディションも日本に引けをとりません。このコースで戦略を覚え、アンヘレスのair force city golfでショットを鍛えるのは経済的にも合理的にも一番だと思います。お勧めしてしまいましたが本気のゴルファー以外はご来場いただきたくない自分の練習コースです。プロを目指すプレーヤーなら日本から一度いってみても損はないですよ。



アンヘレスに塀が出来ました。へー、ということで10x25x1.5の塀を今年、購入した宅地の周りに作りました。フィリピンでは土地を買うと先ず塀を作るのが一般的です。日本なら買う時も売る時も、測量から始めるでしょうが、その辺はおおざっぱが塀で確定されると言うところです。塀の建築費は35000ペソです。これは隣の土地を買った友人の建設に引き続き施工したので地元価格です日本人が建設依頼するとそれまりの価格になってしまうでしょうから。今年の正月は建築意匠図などのんびり描く事にします



ズンバ教室の忘年会。年末は特にパーティーが多いのは日本もフィリピンも同じようです。これが結構、企画されていて司会進行、ゲームと賞品などで盛り上がります。賞品はスポンサーをしてくれる人からのものとか、参加者が持ちよったプレゼント交換方式で、シャツや香水、お米のパック、電気釜、コードレスアイロン、ドライヤーその他色々に現金も現れて大人気です、私も娘の教室に通って頂いた感謝を込めて賞品を提供しました。ゲームではストローでピンポン球を吸いつけて順番にリレーする競技や二人一組で紐を着けたナスをベルトにつけて床のゴルフボールをパートナーのところまで転がしてゴールする、これがズンバの生徒は女性中心ですのでなんとなく色っぽいことになって大盛り上がりです。モデリングというのは日本ではなじみが無いでしょうがフィリピンでは学校でモデリングも行いますので人気です。モデルのような動きで音楽に合わせてアピールするわけですが’みんなで輪になって指名された人が中央で自己アピールするのです。指名された人が最初はちょっと恥ずかしがりながらも皆、プロも顔負けの動きです。出る釘は打たれる’と覚悟する日本人には圧倒される光景でした。この国でフィットネス教室にきている生徒さんは、生活に余裕もある方とはいえ普通のおばちゃん達です。こんな生活の作り方をさせてくれるフィリピンと地域の良き友に感謝して娘を見ながらの楽しいパーティーの時間でした。

http://youtu.be/2s43Jmv33bY

今日は亀田選手のタイトルマッチを見ている方も多いと思います。2010年だったと思います、有明トリプル戦が開催されました。その時のミニマム級レフェリー(オーストラリア生まれ)はアンヘレスに住んでいます、何度か話したこともあり奥様は友人でもあります。その当時、この町の繁華街バリバゴの空き地でボクシングが開かれました。昼過ぎから夜のメインエベントまで行われます。その前座ともいえる試合には圧倒されました。選手は子供です。小学校高学年ぐらいの選手が何人も戦います。みんな本気でノックアウトまで大人の選手と同じように戦います。勝利者には観客から日本で言うオヒネリ、(コインなど)が飛んできます。勝者はこれをタオルで集めてもって帰るのです。日本で忘れかけたかもしれない戦いの人生、自分も自分のやり方で戦いの人生であろうと思わずにはいられません。娘とアンヘレスで楽しく戦います。

アンヘレス市内でも有数の老舗ネポモール隣のアルマンドピッザはライブもあるレストラン。古い建物にガーデンテーブルもある。ちょっと雰囲気がいい感じです。ピザ中心ですので特別料理が良いという訳ではありませんがライブを聞きながらのディナーは寛いだ時間を過ごせます。5年ほど前まではピアノ演奏の老演奏家がいたのですが残念なことに無くなってしまいました。ジャズピアノで戦時中から演奏しているとのことでした。リクエストをしてお金をあげようとすると、や、ビールを一本と言われて、リクエストに答えてくれる。おそらく高い出演料はもらっていないであろうが、ピアノ一本で人生を過ごしてきた渋い演奏でした。若いころ本気で音楽も志した自分ですが、人生の駆け引きから音楽の道はあきらめてしまった。音楽家たる者の生き方をつらぬいた老ピアニストは店に行くたびに思い出さずにはいられません。フィリピンの音楽を目指す人たちはそれぞれが遊び心ではなく生活なのです。それだけに田舎の町にも本格的音楽があちこちに見られます。