相川街道④下戸町から三丁目 | 古き良きふる里佐渡

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佐渡島出身大工親父と、愛知出身手ぬぐいデザイナー母と、難病のてんかん治した6歳娘の日々。現在岐阜(各務原市)在住。過去にはビーガン、自然栽培も経験。LD・自閉症児の教育環境やリハビリに興味。一級大工技能士、二級建築士、自然大好き。マイペースなB型。

中山峠を越えて相川の街中へ入りました。


海士町から下戸町へはすぐ。

『御番所橋』




海も見えます。

ここを右に曲がって、いくつかの町並を通って『羽田の札の辻』でゴールということにします。


下戸炭屋町





とある空き家の中を窓越しに見てみました。

映画のような世界がここの町屋にはあります。

「  狭い間口  ×  長い奥行き  」

江戸期の都市部の町割り。



2~3軒分もあるような間口の広い町屋は、何か大事な商売しとったんだろな~。問屋とか宿とかかな。




塀が立派な伊藤家。3月のイベントでひなさん飾りもやる大きめな建物。


次は相川四丁目。
町屋。

平屋(一階建て)ですが、屋根裏部屋はあるかも。

旧道からは話が逸れますがせっかくだから町屋についても。

相川は平入り町屋の町並です(京都などと同じ)

軒先が道路に向いていて、もともと屋根のラインが一直線に揃うようになってた。でもその後建築年代が新しくなるほど、屋根が高くなってきたので、高さもまちまちになってます。

江戸時代には二階建てを基本的に禁止してました。

参考 : 京都市産業観光局観光MICE推進室のサイト

また、当然ですが裕福なところほど大きな建物を所有していたようです。そのような裕福な家に遣われている職業の人や、船乗りの水主など、下職さん?の家はそれほど大きくはないはず。

ここの家では何の職業をしてたか、なんてのも往時を思い起こさせる要素であって、わかれば町歩きにも楽しさプラスですね。(そんな看板もあっていいと思う)



四丁目の山側には
『弾誓寺』があります。


左には岩の崖、石仏、墓石、そして鐘楼がある。



本堂には大きな涅槃像が横になってました。



『金比羅神社』

人気はない。立派な建物なので、地元の人がうまく宣伝や、鉱山関連のネタに使って遺して欲しいですが。


宿根木の船主が寄進した狛犬。


中は舞台のようになってる。


渡り廊下もあります。


ここの船絵馬はほとんどが相川郷土博物館に移されたそうです。


相川三丁目へ。

屋根のラインが揃った建物たち。江戸時代の軒の高さってかんじで。


こちらは江戸時代より後に建てられた高さ。明治築の高さ、になりますね。


せがい造り 」
二階梁を腕木にして張りだし、二階を広くし、軒下空間を作っている。この形式は宿に多いようです。


次記事へつづく