中山峠を越えて相川の街中へ入りました。
海士町から下戸町へはすぐ。
『御番所橋』
海も見えます。
ここを右に曲がって、いくつかの町並を通って『羽田の札の辻』でゴールということにします。
下戸炭屋町
とある空き家の中を窓越しに見てみました。
映画のような世界がここの町屋にはあります。
「 狭い間口 × 長い奥行き 」
江戸期の都市部の町割り。
2~3軒分もあるような間口の広い町屋は、何か大事な商売しとったんだろな~。問屋とか宿とかかな。
塀が立派な伊藤家。3月のイベントでひなさん飾りもやる大きめな建物。
次は相川四丁目。
町屋。
平屋(一階建て)ですが、屋根裏部屋はあるかも。
旧道からは話が逸れますがせっかくだから町屋についても。
相川は平入り町屋の町並です(京都などと同じ)
軒先が道路に向いていて、もともと屋根のラインが一直線に揃うようになってた。でもその後建築年代が新しくなるほど、屋根が高くなってきたので、高さもまちまちになってます。
江戸時代には二階建てを基本的に禁止してました。
参考 : 京都市産業観光局観光MICE推進室のサイト
また、当然ですが裕福なところほど大きな建物を所有していたようです。そのような裕福な家に遣われている職業の人や、船乗りの水主など、下職さん?の家はそれほど大きくはないはず。
ここの家では何の職業をしてたか、なんてのも往時を思い起こさせる要素であって、わかれば町歩きにも楽しさプラスですね。(そんな看板もあっていいと思う)
四丁目の山側には
『弾誓寺』があります。
左には岩の崖、石仏、墓石、そして鐘楼がある。
本堂には大きな涅槃像が横になってました。
『金比羅神社』
人気はない。立派な建物なので、地元の人がうまく宣伝や、鉱山関連のネタに使って遺して欲しいですが。
宿根木の船主が寄進した狛犬。
中は舞台のようになってる。
渡り廊下もあります。
ここの船絵馬はほとんどが相川郷土博物館に移されたそうです。
相川三丁目へ。
屋根のラインが揃った建物たち。江戸時代の軒の高さってかんじで。
こちらは江戸時代より後に建てられた高さ。明治築の高さ、になりますね。
「 せがい造り 」
二階梁を腕木にして張りだし、二階を広くし、軒下空間を作っている。この形式は宿に多いようです。
次記事へつづく