東京では放映されていない読売テレビの「たかじんそこまで言って委員会」での武田中部大学教授の発言が波紋を呼んでいる。その発言というのは、子供には東北地方の農産物は食べさせてはいけないというものだ。一関市を例に挙げたため、早速一関市長から抗議が寄せられた。私はむしろ青森や、秋田や山形の農家が抗議の声をあげるべきだと思うが。

武田先生は、地球温暖化問題では正しいことを言っているのにほとんど相手にされなかったが、今度の原発事故での放射能の影響についてはかなり間違ったことを言っているのにほとんど崇拝されている。世の中とは面白いものだといってすましておれないところである。

とにかく、原発や放射能のことになると極端な議論しかされないのはどういうわけであろうか?つい最近まで原発賛成派と反対派は議論のテーブルにつくことさえしなかったという。今も低線量の放射線についてまったく問題ないどころか体にいいとまでいう専門家(福島医大副学長の一人)がいるかと思えば、武田先生のような方もいる。しかし私はどちらも正しくないと思うのだ。 

はっきりしていることは、広島 長崎の被爆者の研究によって、急性の100mSvの被爆では癌の超過死亡率が0.5%増加するということだけであって、低線量についてはわからないというのが科学的な結論である。さらに困ったことには、この数値をもって、本来原発労働者のような人たちを母集団とすべきなのに、日本人全体を母集団にして、今後癌死亡者が50万人も出るなどとあおっている似非科学者までいることだ。

超過死亡を言うなら喫煙が年間15000人程度の超過死亡をきたしていることは事実である。したがって日本人全体の100mSvの被曝より喫煙のほうが悪影響は大きい。リスクを言うなら日本人全体が100mSvの被曝をしたとしても交通事故で死ぬ(遅延死亡を含めて)確率のほうが高い。

ところが伝統的に日本人は食品などによる健康被害に対して神経質である。それはいいことでもあるが、賞味期限に対する態度を考えてもおかしい点も見られる。ある時間から突然腐るわけではなく、賞味期限というのはかなりの安全域を持たせてあるからだ。

 さて武田発言に戻るが、ある範囲の農作物を子供に食べさせないという判断は正しい。しかし、問題はどの範囲であるべきかである。東北地方の農産物を全数調査していないから念のため東北全体の農産物を食べるなというのは合理的なようだが、同胞いじめでもある。抽出検査でもいいからできるだけ検査して、暫定基準値を下回るものは食べさせてもいいはずである。

子供は大人に比べて放射線感受性が高いので基準は厳しくすべきだが、武田先生のようにICRPの平時の基準、すなわち年間1mSvを金科玉条のごとくとなえていても誰も幸せにならない。そもそも自然放射線が1.5mSvあり、医療被曝も平均的日本人では1mSvあるのだ。しかも、食品の暫定基準値というのは、その食品を毎日通常量よりかなり多い量を食べ続けた場合に年間10mSvに達するような量に設定されている。これを武田説のように1mSvにするのは非現実的であろう。武田先生は、いろいろな食品が汚染されているからというが、逆に汚染された食品ばかり食べるケースも考えにくい。ましてやお茶の葉を食べる人もいるから茶葉の基準は荒茶でなきゃだめだなどという人の感覚を疑ってしまう。

 このブログでも一部紹介した自著「東日本大震災と福島原発事故」で強調したのは、危機管理の問題であるが、政府東電が故意にか、無知からか大事な情報を秘匿したため、国民の間に猜疑心がおきたのが、現在の混乱、つまり福島から遠く離れた地方のお母さんたちまでが線量計片手に、子供に公園で遊ばせず、給食を食べさせず、水道水を飲ませないという現実を招いた。

 今一度冷静になってみよう。前記の放射線無視派の教授が、低線量の放射線を浴びた後にくよくよすると癌になる、笑ってすごせばならないといっているのは根拠がないわけではない。一日20分笑うとがん細胞をやっつけるナリュラルキラー細胞が増加するというかなり確からしい研究結果があるからだ。被曝は少量でも健康に有害な可能性があるけれども、そのことを出発点として今後子供たちに健康な生活を送らせれば、つまりタバコを禁じたり、栄養のバランスをよくしたり、適度の運動をさせたりすれば、前記の超過死亡はあったとしても打ち消されるかもしれない。原発事故という現実を前提として考えるならば、1mSvに拘泥するより、こうした考え方のほうが国民の幸せに寄与するということがおわかりになるのではないだろうか

 もっとも、原発作業員の方々は放射線障害の危険に直面しており、先ごろも急性白血病で亡くなった方を原発事故と関係がないなどと東電が言ったのは軽率のきわみである。最後に原子力発電であるが、これについてはいったん事故がおきたときの被害があまりに広範なので、リスクベネフィットやコストベネフィットの原則を適用することは困難で、国民投票に付すべき問題であろう。現在のすべての原発が老朽化する40年後までに自然エネルギーに頼ることは可能であると思う。