本項では、香川大学の比較対象として、今春ようやく第一期生を世に出した新設の地方公立大学、福山市立大学の就職事情を分析してみたい。対象とするのは、香川大経済学部(定員280名)と学問領域が重なる、福山市立大の都市経営学部(定員150名)である。


実は、この両校、いくつかの共通点がある。

まず、そのひとつは、両校の所在地(福山市と高松市)が、ともに江戸時代から続く瀬戸内海に面した石高12万石前後の古い城下町で、人口も40万人台で似通っていることである。市内に本社を置く上場企業数も10数社とほぼ同じである。(※人口の単純比較では福山市46万に対して高松市42万弱と1割以上の差があるが、県都でありさらに四国の中枢管理都市として企業や官公庁の出先機関が集中する高松の昼間人口は50万人を超えている)


中・四国地方の主な都市の人口比較(平成22年国勢調査より)


1 広島市--1,173,843 広島県(県都)
2 岡山市--- 709,584 岡山県(県都)
3 松山市--- 517,231 愛媛県(県都)
4 倉敷市--- 475,513 岡山県
5 福山市--- 461,357 広島県
6 高松市--- 419,429 香川県(県都)
7 高知市--- 343,393 高知県(県都)
8 下関市--- 280,947 山口県
9 徳島市--- 264,548 徳島県(県都)
10 呉市-----239,973 広島県
11 鳥取市---197,449 鳥取県(県都)
12 山口市---196,628 山口県(県都)
13 松江市---194,258 島根県(県都)
14 東広島市-190,135 広島県



また、JRのターミナル駅から自転車で通学できる場所にキャンパスがあることでも似通っている。このため、地元の最高学府として市民との距離は近い。

筆者は、共通一次以降の世代だが、タクシーの運転手さんとの雑談で香大の経済の新入生であると話すと、「ほぅ、優秀なんやねぇ」とほめられ、面映ゆく感じた。苦手の一次の数学で「やらかして」しまい、5教科7科目でせいぜい7割あるかないかという有様だったからだ。同じ経験をした他府県出身者は多いだろう。旧制高松高商以来の伝統と実績は町の人たちのほうがくわしい。

一方で、筆者が国際ホテルの社長に誘われて通っていた繁華街のマジックバーでは、香大の手品サークルの子たちがアルバイトしていた。大学の近所には、超金欠の香大生のために「洗い物1時間手伝ってくれたら、おなか一杯食べさせてあげます」といううどん屋さんも存在する。以前NHKTVの四国版でやっていたが、それで10杯食べた女子学生もいる。


幸町
高松の香川大幸町キャンパス


吾里丸の張り紙

http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-10999962093.html


一昨年現職のまま急逝されたソフトバンク本社の笠井和彦取締役(香川大経済7回卒、元・富士銀行副頭取、安田信託銀行会長、ホークス球団社長)のように、馴染みの飲み屋でカウンターの横に主人の小学生の息子を座らせて、グラスを片手に宿題を教えてやってはその日の酒代をタダにしてもらったというような逸話も残っている。

新設の福山市立大学でも、藤森かよこ先生やいろいろな市民の方のブログから、地元福山市民が新設の市立大の学生を大事にしていることがうかがえる。広島大学や金沢大学、筑波大学のように、市街地から離れた山の中の広大なキャンパスで学生と教官だけが地域と隔絶して勉強しているのとは、また違った学生生活である。

もっとも、同じ町なか、JR駅から近いと言っても、両者の立地条件には大きな差がある。大正12年、香川大学の前身の旧制高松高等商業学校が設置されたのは高松市の氏神様である石清尾(いわせお)八幡宮 の脇。すなわち「宮脇」町。香川県の最高学府として、貴族院議長だった旧藩主松平侯をはじめとする地元政財界の多大な寄付によって誘致された官立学校だけに市内の「一等地」にある。付近一帯は風致地区であり、おとなりの番町は市内屈指の高級住宅街。まっすぐ歩いて5分のところには世界的名建築家、丹下健三氏の代表作である香川県庁舎がそびえている。

これに対して福山市立大学は港湾の埋め立て地。しかも周囲は工場地帯であり、それをあてこんだ風俗街が通学路の途中にある。中国地方有数のキャバクラ街である。「こんな場所に大学を作って」と、赴任してきた福山市立大学の藤森かよこ教授が呆れていた。

http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-11979647685.html

(※キャンパスの大きさでは福山市立大が2学部で1万2千㎡であるのに対して、国立大のなかでは「狭い」部類と評される香川大でも法・経・教育3学部の入る幸町キャンパスはその10倍近い11万5千㎡の広さがある。大正時代に全国で誘致された官立旧制高校・旧制高商の敷地の相場が約1万坪(3.3万㎡)だったことに由来するが、大学病院などの付属施設まで含めた6学部全体では93万3千㎡だ。これは、現在の学生1人当たりの施設要件がゆるい大学設置基準でつくられた新設公立大と、昭和20年代の厳格な大学設置基準を順守して作られた国立の香川大との歴史の差であろう。)


福山市立大
福山市立大


3つめは、後期日程の入試偏差値である。

直近の2015年の河合塾の偏差値では、後期日程の場合、センター得点率68%の香川大経済学部に対して、新鋭の福山市立大はセンター得点率67%と接近している。受験層は、ほぼ同じと言ってよかろう。


  河合塾 経済系国公立大最新難易ランキング

 (http://www.keinet.ne.jp/rank/16/kk04.pdf


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さて、以上を踏まえたうえで、福山市立大の就職事情を詳細に見てみよう。

この春、福山市立大は待望の第一回卒業生を世に送った。が、この夏に、上記の旺文社の蛍雪時代「全国大学案内号」を手に取って読まれた方はすでに気が付かれたと思うが、福山市立大は国公立大学のなかで数少ない、主な就職先の「非開示校」となっている。つまり、旺文社からの調査に対して学校側が就職先名をきちんと回答しなかったわけである。
おとなりの尾道市立大学は開示しているので、福山がやらない理由はないはずだが、やっていない。
筆者はその理由を、好調とされた就職率(98.7%)の割に、その内容が悪かったせいだろうと看破した。


大学案内
福山市立大大学案内



福山市立大の事務局は、就職率を「人集め」の目玉にしたいためか、2016年度用の大学案内に今春第一期卒業生の就職データとして、5月1日時点の全学部の就職率を98.7%として大々的に掲載している。

同時に、実数は避けながらも「就職実績」として学部ごとの就職先企業名だけは掲載している。逆に言うと、恰好の宣伝材料になるので、就職先に著名企業があれば、すべて社名を載せているのは間違いない。このため、名前がない企業は、今春就職実績がなかったと判断できる。

都市経営学部の定員は150名、就職希望者はそれより減っているのが通常であるから、大学案内32頁に掲載している約120社の就職先企業数は実績全社の掲載であり、基本的に就職者数は各社とも1名がほとんどだと思われる。卒業生はこの2015年春卒業の第1期生のみであるから、これだけのデータでも、大学の傾向を探るのは比較的容易である。
以下、この福山市立大の大学公表資料をもとに論じたい。


 大学案内2016 福山市立大学

http://www.fcu.ac.jp/r_docu/pdf/daigakuselection2016.pdf



就職実績
福山市立大就職先


まず、この資料を見て気が付くのは、都市「経営学部」を名乗っていながら、福山市立大学の場合、金融機関への就職者が銀行・保険をあわせても10.4%と、国公立の経済・経営系の学部の就職先比率としては異常に低いことである。(国立大学の経済学部では、通常20%~25%は普通である)

もっと言うと、市立の大学で、学部名に「都市」経営学を冠し、いかにも地方公務員養成に配慮したカリキュラムを編成しているという印象を受験生に与えながら、その実、卒業生の5.6%しか公務員に就職できていないことのほうが重大な問題かもしれない。地方公務員の採用先の顔ぶれは大学の設置母体である地元福山市役所(広島県、人口46万)を除けば、採用されたのは大阪市消防局、海田町役場(広島県、人口2万)、府中市役所(広島県、人口3万)、三原市役所(広島県、人口9万)、山口県警の5つ。卒業生数と就職比率を考えれば、実数は福山市役所とあわせてせいぜい6~7名というところか。ここ数年、入試説明会や入学パンフ等で「都経営学部からは金融機関にも行けます、公務員もねらえます、二級建築士の受験もできます。」と宣伝し、「でも新設学部なので、まだ実績はありません。」と逃げていたのが、いま「つじつま」があわなくて困っているというところか。

ちなみに、旧官立高商以来の伝統で民間金融機関就職者が圧倒的に多く公務員志望が極端に少ない香川大経済学部ですら、毎年35名(定員の約12%)程度は国と県庁をはじめとする地方公務員に就職している。具体的に、今春の香川大経済は、国家公務員6名(男4、女2)、地方公務員28名(男14、女14)、国立大学職員2名(男2)の計36名だった。このうち、倉敷市役所(岡山県、人口47万)は岡山大経済と同数の5名にのぼる。彼我の定員差と学生の公務員志向の強さを考慮すると、福山市立大の規模だと、入試偏差値の差を考慮しても、本来学部定員の1割の15名前後は採用されてもおかしくないだろう。したがって、臨時採用を含めて6~7名という今年の福市大の実績数は、かなり少ないことがわかる。つまり、地元の国立大学や他所からのUターン志望の学生に公務員試験の場で完全に打ち負けている姿が浮き彫りになる。経験値が少ないため、福市大の先生や学生に公務員試験の対策に関する具体的なノウハウが身についておらず、学力相応の成果が挙がっていないのだと分析できる。


香川大の場合は、香川県庁や高松市役所にOBが多く、高松市役所の事務方トップである加藤昭彦副市長も経済学部OBである。法学部には試験対策に特化した勉強会もある。

また、県都高松市は四国の中枢管理都市のため、県庁だけでなく市内に四国財務局や高松国税局、四国経済産業局といった経済系の国の出先機関が集中しており、「就職先が近い」ことも大きな強みだ。これらの役所や四国電力、タダノといった地元上場企業の若手幹部職員が自己研鑽のため香川大の大学院へ籍を置き、深夜まで付属図書館の自習室で勉強していることも一般学生の刺激になっている。こうした点で、環境的に不利な条件の福山市立大の学生が苦戦を強いられていることが推測される。

(若手職員だけでなく、筆者が香川大の院生の時には高松国税局の序列No.3にあたる部長が入ってこられた。高松への単身赴任で、夜の時間を有効活用することを思いつかれたのであろう。税務知識を生かして、退官後は関東圏の私立大学の先生になられたと聞く。現在、福山市立大でも新設の大学院を社会人に開放しているようだが、一地方都市という立地条件では福山市役所の職員を勧誘するのが関の山のようだ)

※今年10月1日に欧州のスロベニア大使に就任した福田啓二氏(香川大経済24回卒、前イスタンブール総領事)の場合は、皇居宮殿での任命式(任免に天皇の認証を必要とする国務大臣他の官吏の任命式。任官者は,内閣総理大臣から辞令書を受け,その際,天皇陛下からお言葉があるのが慣例)から欧州赴任までのあわただしい一時帰国の日程をぬって、母校からの要請を容れて10月5日に外交官志望の香大生のため高松での講演会に駆け付けていただいた。大阪で活躍する経営コンサルタントの森下信雄氏(香川大経済34回卒、元宝塚歌劇団総支配人)も、来年1月母校経済研究所の講演会に招かれている。この後輩への面倒見の良さこそが、旧制高松高商以来90年間培ってきた伝統である。


母校香川大学で講演する福田大使
http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12077667067.html


http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/blog/2015/10/20151005slo.html


また、福山市立大都市経営学部の場合、就職率98.7%と豪語しながら、その多くは小売や運送と言ったサービス業が中心で、地銀や電力会社等、いわゆる「学校名」を重視するような伝統企業へは殆ど就職できていない。これは、戦前の旧制高商以来の伝統校で、文系学部としては四国随一の就職力を誇る香川大経済学部と個別就職先を比較してみればよくわかる。


福山市は広島県東部の都市である。対岸は愛媛県と香川県であり、新幹線を使えば広島市よりも岡山市の方が近い。在学生の3/4は中国・四国地方出身者で占められている。

このため、旧福山市立短大時代から一般職就職の実績があるらしい教育学部には、(たぶん女子だろうが)愛媛県の伊予銀行、香川県の百十四銀行等に就職した学生がいる。


にもかかわらず、新設の都市経営学部からは地元広島銀行も含めて地銀への就職者は皆無である。大学側が卒業生の金融機関への就職実績として大学案内に開示している企業名は、政府系のゆうちょ銀行、商工中金と野村證券、農協を別にすれば、笠岡信用組合、呉信用金庫、しまなみ信用金庫、高松信用金庫、中兵庫信用金庫の信金・信組の5社のみである。地域を代表する上場企業(または上場持ち株会社の中核企業)である各県の地方銀行・第二地銀には、意外にも新設の福山市立大都市経営学部からはひとりも就職できていない。広島銀行、中国銀行、百十四銀行、伊予銀行、もみじ銀行、トマト銀行、香川銀行、愛媛銀行等、それぞれUターンの大卒採用枠が多いことで知られるにもかかわらず、である。もちろん、香川大から毎年2、3名は就職するメガバンク・都銀各行への就職実績も皆無のようだ。


ここで彼らの5年前の入試を振り返ると、福山市立大第一期生は実質競争率も高くセンターのボーダーは高かった。第一期生の前期5.2倍、後期9.1倍という高倍率は、翌年第二期生の前期1.3倍、後期2.5倍という入試倍率の急降下とともに今でも同校の語り草である。


福山市立大学 2011年 入試結果

http://www.fcu.ac.jp/guide/result/2011/2011result.html


逆にこの年、香川大経済学部は志願者数が激減し、実質競争率は前・後期とも2倍を割り込んで、センター試験開始以来という大幅な易化に追い込まれた。当時、香川大経済学部の藤井学部長が同窓会である又信(ゆうしん)会の理事である筆者に対して語ったところでは、「福山市立大のような新設の公立大学が中国地方の受験生の注目を集め、志願者をさらっていった結果」だという。
このため、5年前の両校の入学者の学力は接近し、後期日程ではかなり重なる部分があったと想像できる。
この入学試験的には志願者激減で「不作の年」だった今春の香川大経済学部卒業生だが、4年後の就職状況は好調で、中国銀行・百十四銀行・伊予銀行の岡山・香川・愛媛の地銀3行の就職者だけで学部定員280名の1割を軽く超え、31名に達している。(内訳;中国銀行14名、百十四銀行12名、伊予銀行5名)

この3つの銀行はいずれも県金融業界の中心だが、それぞれ重役陣に香川大学経済学部のOBが居るのが強みだ。すなわち、岡山の中国銀行の青山専務と、愛媛の伊予銀行の藤堂常務はともに新制経済学部の26回卒である。同期にはさらに島根銀行の山根頭取が、1年先輩の25回卒には香川の百十四銀行の入江常務、1年後輩の27回卒には、いま又信(ゆうしん)会の東京支部長をつとめる都市銀行りそな銀行前社長の岩田直樹氏がいて、この5人は同じ時期に高松の幸町キャンパスで青春を送った仲である。しかも、経済学部の生え抜き教授で、当時先輩として彼らを教えた井原理代元学部長(簿記論)も本年から百十四銀行の社外取締役に就任し、あわせて四国電力の重役を兼ねているという賑やかさだ。(http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/employment/oblist-gakubu2.html
旧制高松高商以来90年以上培ってきたこの「又信人脈」をテコに、例年どおり経済学部定員の30%以上の学生が地銀・都銀をはじめとする金融機関へ就職している。なかでも、現職の専務と常務の二人の重役を擁する中国銀行への就職者数は、入試偏差値と地の利の差で圧倒的に優位に立つはずの地元岡山大学経済学部、法学部をそれぞれ2009年以降ずっと上回っている。毎年の推移をとってみると、一学部で9年連続で10名以上の就職実績というのは、国公立大学では群を抜いて多いことがよくわかる。


《中国銀行(本店岡山市、預金量6兆円、従業員3,055名)への就職実績数比較》

卒業年次-------岡山大学(経済)------香川大学(経済)------福市大(都経営)

2015年3月卒--------- 8名------------------14名----------------0名
2014年3月卒--------- 8名------------------13名
2013年3月卒--------- 5名------------------13名
2012年3月卒--------- 8名------------------12名
2011年3月卒--------- 8名------------------12名
2010年3月卒--------- 7名------------------18名
2009年3月卒---------10名------------------16名
2008年3月卒---------10名------------------10名
2007年3月卒----------8名------------------14名


※広島、岡山、香川の法・経学部の5名以上の就職先比較。(比較対象 滋賀大経済)

広島大学2015年3月卒
法-広島県職員、広島市職員各6、国税庁広島国税局5など。
経済-広島銀行、広島市職員各6、三井住友信託銀行5など。


岡山大学2015年3月卒
法(昼間)-岡山市職員8、岡山県職員、広島国税局各5など。
経済(昼間)-中国銀行8、岡山市職員、倉敷市職員各5など。


香川大学2015年3月卒
法-5名以上該当なし。(上位3社は、香川県警察4、百十四銀行3、広島市役所、香川県警察事務、高松市役所、国税専門官各2など。)
経済-中国銀行14、百十四銀行12、香川銀行9、伊予銀行、倉敷市役所各5など。


(比較対象)

滋賀大学2015年3月卒
経済-経済-滋賀銀行13、大垣共立銀行10、十六銀行8、京都銀行7、関西アーバン銀行5など。

★滋賀大経済の昼間主定員は500名、香川大経済の昼間主定員は約半数の280名ということを考慮すれば、香川大経済の各地元トップ企業に対する「就職率」の高さがよくわかる。


いっぽう、福山市立大都市経営学部の今春卒の第一期生は、地方銀行への就職者数はすべて0名であった。福山市から岡山市へは新幹線で片道20分弱の距離であり、完全な通勤・通学圏内である。その交通の便から、福山市立大の全学生の約2割は岡山県出身者である。このため、大勢の岡山県出身の福市大生が地元地銀・第二地銀へ応募したことは想像に難くないが、にもかかわらず地銀の中国銀行も第二地銀のトマト銀行も、福市大都市経営学部からの就職者数は0名であった。

両大学の岡山県出身者を分母として考えれば、入試偏差値に大きな差がないにもかかわらず、香川大経済からは約100名のうち14名が入行、福市大都経営からは同じく約30名のうち入行者は「無し」という結果だった。この冷酷な事実は、いわゆる両校の「就職力の差」すなわち「伝統の差」によるものであろう。


そもそも、面接が中心の上場企業の採用プロセスでは、学生のセンター試験学力がどんなに高かろうがあまり関係ない。
地方名門企業の場合は、Uターン希望の有名大学から志願者が群がるので、自然、応募者の基礎学力はそこそこあるのが当たり前である。
つまり、「面接で何度か話せば大雑把な頭の程度はわかる」のでそこでふるいにかけ、あとはそれ以上学力について多くを追求しない。
リクルートスーツの学生に、いちいち入試の時のセンター試験の点数をプラカードにして首からぶら下げて面接させないのはそういうことである。
むしろ「自分が一緒に仕事してもよさそうな学生」「何かしらひきつけるものをもっていそうな学生」「人間的に組織に適合しているかどうか」等を物差しに、自分の目につく範囲から順に選んでゆくのが文系の採用面接のプロセスである。
であれば、母校の後輩で、そこそこ礼儀正しそうな学生と言うのはそれだけでアドバンテージが高い。自分の出身ゼミや出身クラブの後輩ならなおさらということになる。
つまり、そうした企業は「一見さんお断り」なのである。

「実績校と非実績校」、これが伝統企業では学力以上に大きくものをいうのは知る人ぞ知る事実である。
でないと、入学時のセンター試験では殆ど学力差がなかった香川大経済学部生と福山市立大第一期生のあいだで起きた今年春の「地銀3行で31名対0名」という極端な就職実績の差を、合理的に説明することができない。


出身県内訳
福山市立大出身県一覧


筆者は四国に在住しているので、改めて、福山市立大の四国出身者の動向に限って再考察してみよう。

新設の福山市立大は、われわれ土地勘のある中・四国の企業担当者から見れば「できたばかりでまだ不揃いの小規模公立大学」としてすぐにお里が割れてしまう。しかし、校名に「市立大学」を冠しているため、意外にも全国規模の企業から見れば「地方の公立大学」として、同一県内の県立広島大学、広島市立大学、尾道市立大学など他の公立大学と同列に扱ってもらえる。このため、学歴差別がうわさされるゆうちょ銀行をはじめ、政府系の商工中金や巨大企業の野村証券といったところへも(中国地域限定の女子採用が中心と想像されるが)就職実績がある。

この点、首都圏有名大学のUターン志望者が群がって激戦となる地方の名門企業よりも敷居は低いといえよう。


では、筆者の地元、四国から福山市立大に進学した者はどうなったのだろうか。

福山市立大の四国出身者は大学全体の累計で12.4%である。これに対して今春の四国へのUターン卒業生は教育学部で7.4%、新設の都市経営学部ではわずかに4.8%だった。都市経営学部の四国の4地銀(伊予、百十四、阿波、四国銀行)への就職者数は0名、そのうえ第二地銀4行(愛媛、香川、徳島、高知銀行)就職者数も0名。やはり、中・四国の企業から「できたばかりで不揃いの地方の小規模学部」として見られ、きわめて苦戦したことがわかる。しかし、これに対して面接より学力試験のほうが重視される各県の県庁行政職採用者も0名。同じく四国管内の国家公務員の採用者も0名。さらに、四国の県警や市町村職員採用者も0名。学力勝負のはずの公務員試験も、まったくふるわない。福市大HPにいう「目指せる進路」とは、掛け声だけのキャッチセールスなのか。

結局、四国へのUターンに成功したのが今回の福山市立大学は大学案内の実績を見る限り、わずかに高松信用金庫と愛媛の寺子屋グループ、高松の朝日スチール工業他で上場企業は皆無である。これでは、いかに大学関係者が福市大を持ち上げようとしてもフォローのしようがないだろう。四国出身の都市経営学部生にとっては、福市大への進学は、つまるところ本州への「片道切符」だったということである。「全学就職率98.7%」という、福市大側のキャッチコピーが虚ろに響く。率だけで内容を伴わない「羊頭狗肉」だと批判されても仕方がないだろう。


上で述べたように都市経営学部の第一期生は入試競争率が非常に高かった。9.1倍の実質倍率を突破した後期日程入学生の上位層の場合は、四国唯一の国立経済学部である香川大経済学部の下位学生と入学時の学力差は殆どない、いや学力だけなら上回っていたに違いない。にもかかわらず、この残念な就職実績である。

正直、筆者は、今年の就職戦線が全国的に「売り手市場」であったこと、都市経営学部第一期生の入試成績が優秀だったこと、地元公立大が初めて出す卒業生だということから、「ご祝儀採用」で同じ広島県内にある同規模の新設校の尾道市立大なみに、地元の地銀と第二地銀には数名くらいは就職しているだろうと想像していた。昨年5月時点での筆者の予想コメントは、本ブログの下記頁の通りである。


激増する地方公立大学の就活事情

http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-11867254872.html


したがって地銀、第二地銀とも周辺国立大はおろか尾道市立大経済情報学部(2015年3月卒就職実績-日本郵便5、コスモス薬品4、しまなみ信用金庫3、JA福山市、中国銀行各2など。)を下回って、地元広島銀行を含め中・四国の全県全行で門前払いというのはまったくの予想外であった。これは、いかに人脈がない新設公立大とはいえ、「お買い損度」も極まれりというしかない。福山市の羽田市長は、先日の新聞社の取材に対して「第一期生は地元出身者数を上回る60名が福山市内に就職した」ことを自画自賛していたが、それ以外の地域のことには関心がないようだ。授業料収入+国の助成金と大学運営経費との差額をすべて福山市民の税金でまかなっている大学である以上、市議会に叩かれないよう福山市の活性化につながる市内企業への就職者数を増やすことだけが大切なのであろう。


もちろん、「人生いたるところ青山あり」ということわざもある。残る8%の四国出身者が故郷を忘れ、前向きに、嬉々として中国地方や関東といった新天地で就職したのならば筆者は何も言わない。しかし、たいていは出身県への他大学とのUターン競争に敗れ、「地元に帰りたいのに帰れない」ために「やむなく福山に残留した」か、「泣く泣く新天地に赴いた」というケースが多いと想像する。

受験生諸君は、センター試験の合否判定や、大学側が発する「客引き」のための「都合のいい情報」だけをうのみにすることなく、時間の許す限りいろいろと比較検討・吟味したうえで志望校を決定することをおすすめする。


福山市立大の場合、正念場となるのは現在就活中の第二期生の就職実績であろう。就職環境が良好ないま、どれだけいい実績が残せるか、そこで、この新設大学の社会的評価が決まるといっても過言ではない。しかし、二年目の入試は、上述のように開校初年度の高人気の反動で倍率が前期1.3倍、後期2.5倍と激減してしまった年である。大学側に危機感はあるのだろうか。試学力面でアピールできないのなら、「大学が就活までの3年半のあいだに学生をどれだけ鍛えあけたか」が問われるわけだが、もともと日本の大学が一番弱いのがこの部分である。その証拠に、開学からすでに5年も経つにもかかわらず、福市大にできた文化系のサークルは音楽、ダンスといった「遊び」系が中心で、経営や会計等の学部専門分野に根ざしたものは見当たらない。香川大が、昔に比べて減ったとはいえ、法学研究会や会計学研究会あるいは直島プロジェクトのカフェ経営など、真面目に勉強しようという学生がそれなりに活動しているのとは大きな差がある。

http://www.asahi.com/shimbun/release/20131216a.html


筆者は、今春、入試学力的には過去5年の福山市立大学入学者層のなかで過去最高だったはずの第一期生から国家公務員・県庁行政職・政令市等にひとりも就職者がいなかったことから、福市大が自校カリキュラムの「目玉商品」として独自に導入している4学期制が、(留学には向いているかもしれないが)少なくとも公務員試験にはプラスにはたらいていないのではないかと危惧する。そうなると、どう贔屓目に考えても、大学そのものの知名度が上がるまで相当年数のあいだ、入試学力的には歴代福市大生で最高だった今春の第一期生以上の就職実績をおさめるのは非常に難しいと予想せざるをえない。そうなると、受験生諸君の側にもあらかじめその覚悟が求められるだろう。「伝統をつくる」というのは、長い時間がかかるものなのである。

たとえば、都市銀行というと戦前からどこも東大閥が幅をきかせていることで有名だが、23年前に香川大経済出身の笠井和彦氏(前・又信会東京支部長)が平成に入ってはじめて新制地方国立大の出身者として富士銀行(現・みずほ銀行)の副頭取、続いて安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)会長にのぼりつめ、その風潮に「風穴」を開けた。1990年常務、1991年専務、1992年副頭取就任という異例の昇進速度は、笠井氏が富士銀行ディーリング部隊を率いてマーケットで連戦連勝を続け、「伝説の相場師」と言われた活躍ぶりを物語っている。「この人なら」と、惚れ込んだソフトバンクの孫正義オーナーが三顧の礼で笠井氏を迎え、亡くなる直前までグループ全体の金庫番として辣腕を振るった。みずほが、今日においても毎年香川大学から卒業生を採用し続けている大きな理由である。

それが2009年の岩田直樹氏(現・又信会東京支部長)のりそな銀行社長就任にもつながったという見方もできる。そして、その根底にあったのは昭和の政財界で存在感を発揮した旧制高松高商時代の先輩OBたちの活躍である。戦後の復興を主導した池田勇人大蔵大臣(のち首相)と「法王」と異名をとった一万田尚登日銀総裁、京大と東大、出身大学の違うこのふたりが同じ熊本の旧制第五高等学校出身というのは有名だが、双方の秘書として折衝を担当したのは大平正芳、矢野良臣(のち日銀外国局長、丸善石油化学社長)という二人の高松高商OBである。旧官立高商は、どこも後輩への面倒見がいいことで知られているが、大正・昭和・平成と三代にわたって受け継がれてきたその学統は今も健在である。

その象徴が、平成27年春に旧制高商と新制経済・法学部卒業生が一緒になって建立した「又信戦没学友慰霊碑」であろう。高松高商現存者の平均年齢はすでに90歳近くになっていたが、目標額の工事費用500万円は発起人の呼びかけから1年たたぬうちに高商・学部同窓生の寄付で埋まり、経済・法学部の同窓会館である学内の「交友会館」脇の日本庭園に、地元庵治石の立派な慰霊碑が建立された。除幕式には筆者も出席したが、歴代経済学部長のほか、香川銀行の大林元会長、高松琴平電鉄の真鍋会長など旧制高商、新制経済学部OBの地元財界人も多く参列して賑やかであった。

これに対して、福山市立大は第一期生が卒業した今も、大学としての同窓会は、閉校した旧福山市立女子短大の卒業生だけの同窓会があるだけで、市立大卒業生は、現状「ほったらかし」の状態である。これでは他大学では常識となっている在学生への就職支援など、期待できるはずもない。問題は市立大側にある。現・教育学部と旧・女子短大については学問領域も同じで教官の連続性や卒業先が似通っていることでスムーズに伝承が可能であると思うが、HPに公表されている平成27年6月改正の福山市立女子短大同窓会の会則を見る限り、市立大卒業生を同窓会に受け入れるという文言は見つけられなかった。これに対して、新設の都市経営学部と旧・女子短大は学問領域的には水と油。キャンパスの場所も教官の顔ぶれも違って、「別の学校」といってよい。たぶん今後、自然発生的に市立大だけの同窓会が生まれるのだろうが、ゼロから作るとなると、かなりの時間とエネルギーを要することは想像に難くない。同じ新設公立大学ながら、すでに旧・女子短大と仲良く共同の同窓会を運営している尾道市立大学に比べ、一歩も二歩も差をつけられているといえよう。


ひるがえって香川大である。先日、欧州赴任前に母校香川大での講演会のため高松市にやってきた新任の福田啓一スロベニア大使は、経済学部構内にある大平正芳氏(元総理、外務大臣)の銅像にお参りするのを忘れなかった。福田氏が香川大の下級生時代、母校の大先輩である大平外務大臣(当時)の日中国交回復実現を目撃したことは、畑違いの経営学科から外交官を志望する大きなモチベーションになったはずである。

経営コンサルタントの森下信雄氏は共通一次世代の卒業生だが、大阪の阪急電鉄入社後、電車の車掌や運転士を経験したあと阪急グループの顔ともいうべき宝塚歌劇団に出向し、星組プロデューサーや歌劇団の総支配人をつとめた。阪神・阪急両グループの経営統合後、数年前に梅田芸術劇場常務を最後に阪急グループを離れ経営コンサルタントに転身したが、来春の1月、経済研究所の招きで香川大学で講演することが決まっている。電鉄会社の大先輩としては、阪神タイガースの球団社長として江川問題で辣腕をふるった小津正次郎阪神電鉄専務が高松高商時代のOBとして有名だ。

今年日本ハム副社長となった畑佳秀氏が、卒業にあたって日本ハムを就職先に選んだ理由は、同社が創業者の大社義規氏以下、幹部に高松高商・香川大OBの多い企業であったことが大きかったはずである。

一橋大教授の西條辰義氏は、香川大から一橋の大学院に進んだあと、長く大阪大学社会経済研究所の教授として政策提言を行ってきた。阪大のこの研究所には、宇野浩司氏(現・大阪府立大学准教授)、若山琢磨氏(現・龍谷大学准教授)といった大学院出たての香川大経済の若手の後輩が西條氏のもとに集まり研究を行っていた。

このように、先輩が切り拓いた道を後輩が追いかける姿というのはどの学校にでも共通することだろう。「伝統は一日にしてならず」ということである。そして、旧制高商以来の「標高の高い」先輩を数多く持っていることは、香川大経済学部、法学部の学生にとって大きな幸運である。


大平銅像
大平さんの銅像に大使拝命を報告



銅像をバックに
銅像をバックに(右;福田大使)



〔参考記事1〕

>内々定100人…市内企業は30人のみ 福山市立大4年生の就活中盤 経済界に地元定着率向上望む声

(2014/07/04 中国新聞朝刊より


 2015年春に初めて卒業生を送り出す福山市立大(港町)で4年生の就職活動が中盤を迎えた。6月1日時点で民間就職希望者の67・6%に当たる100人が内々定を得ている。ただ、市内企業から内々定を得たのは約30人にとどまる。地元経済界から「地域活性化のために設立された大学。卒業後の地元定着率を高めてほしい」との声も上がる。小林可奈)
 同大によると、福山市に本社がある企業や団体の内々定を得た約30人のうち、10人程度はその企業や団体に就職するか、さらに就職活動を続けるか悩んでいるという。このため市内の企業や団体に就職する学生の割合はさらに下がる可能性もある。
 同大は11年4月、「地域社会(福山市)の発展に寄与する人材育成」を目標に掲げて開学した。初の卒業生となる現在の4年生259人のうち、148人が民間就職を希望。他の学生は夏に採用試験がある教員を志望したり、大学院進学を目指したりしている。


 市立大生の内々定の現状について、地元経済界からは「市立の大学なのに、市内就職を考える学生の割合が低いのでは」との声が漏れる。同大は「学生の8割強は市外出身者。多くが故郷での就職を望んでおり、どうしても福山への定着率は低くなる」と説明する。
 中小企業の多くは、大手企業の採用がほぼ固まる夏から採用活動を本格化させる。同市鞆町の金属製品製造業オーザック の岡崎瑞穂総務部長は「福山の中小企業にもっと目を向けてほしい。市立大に求められる役割は大きい」。県中小企業家同友会福山事務所の橋本秀一所長も「地域の企業が存続するには若者の力が必要。福山に残ってほしい」と話す。



〔参考記事2〕

>広島)福山市立大で初の卒業式 245人巣立つ

朝日新聞web版2015年3月24日03時00分より


2011年に開学した福山市立大学の初の卒業式が23日、大学に近いリーデンローズ大ホールであり、1期生245人が巣立った。

 式では、稲垣卓学長が教育学部の2コースと都市経営学部の各代表3人に学位記を授与した。稲垣学長は式辞で「みなさんは福山市立大学の歴史と伝統を自らの力で切り開いてきた。学業においても就職においても素晴らしい成果を残すことができ、大学としての礎はしっかりと築かれた」と卒業を祝福した。

 卒業生を代表して、愛媛県今治市の小学校教諭になることが決まっている児童教育学科の阿部美里さん(22)が「仲間や先生方と話し合いながら大学をつくっていく過程は大変だったが、前例がないため自由に試行錯誤ができた。この大学に来て、仲間や先生と共に学べたことは一生の財産になる」と答辞を述べた。

 同大学事務局によると、1期生の就職希望者の内定状況は好調で、20日現在で教育学部は100%、都市経営学部も96・9%に達している。事務局は「最後の一人まで最大限、支援をしていきたい」としている。(東裕二)



>福山市立大学 開校、真新しいキャンパスに第1期生 265人が入学


広島ニュース 食べタインジャー-2011/04/04より


福山市立大学 (ふくやましりつだいがく)が、広島県福山市港町に4月4日 開校しました。福山市立大学 は、福山市立女子短期大学を4年制大学に改組する形で開学したもの。(後略)


〔参考記事3〕

>地元に就職したい学生たち、地元就職を条件に奨学金は本末転倒?

http://bylines.news.yahoo.co.jp/moriimasakatsu/20141231-00041640/


森井昌克 | 神戸大学大学院工学研究科 教授
2014年12月31日 0時14分より


今年度からの大学生や大学院生の就職活動が変わります。例年ならば来年1月から就職活動が本格化し、4月から採用試験が始まり、事実上、順次、内々定が出され、個々に就職活動が終わります。

私が所属する神戸大学大学院工学研究科電気電子工学専攻では、学部卒業で就職する人は1割程度であり、ほとんどが大学院に進学します。昨年度までは、研究に没頭しなければならない大学院生が入学後、半年もしないうちから就職活動に走り、翌夏頃まで研究に集中できないことが問題となっていました。これが後ろ倒しになったことによって、解決できたわけではなく、結局、研究がおろそかになる期間が後ろ倒しになっただけです。


その学生の就職に関してですが、国が「地方創成」を目的として、地元(地方)に就職することを条件に学生への奨学金免除を行う制度を発表しました。
政府は2015年度から、地方に就職する大学生に学費を支援する制度を始める。卒業後に地方で一定期間働くことを条件に、自治体や産業界と共同で奨学金の返済を減免するための基金をつくる。若者が地元で就職せず、東京に人材が集中して地方の活力をそいでいる。学生が地元に残るように促し、安倍政権の重点課題である地方創生につなげる。
出典:地元就職条件に奨学金 地方創生へ大学生向け基金 政府、自治体や産業界と15年度から


この制度は、学生が地元(地方)に就職しないことが前提です。詳しく言えば、学生が地方の企業に魅力を感ぜず、都市部の企業に就職が集中してしまうことが前提になっています。確かに、学生が地方の企業に魅力を感じないことはあるでしょう。福利厚生も含めて、賃金を中心とした待遇が必ずしも良くないということも原因でしょう。しかし事実を言えば、学生は地元に帰りたい気持ちが強く、就職も、少々条件が悪くとも、地元に就職したいという希望が強いのです。

かつて、地方国立大学である、愛媛大学工学部情報工学科、そして徳島大学工学部知能情報工学科に合わせて十数年在職しましたが、地元の大企業、そして中堅企業には、優秀な学生が挙って希望しました。その結果、競争率が高くなり、地元に残れない人が泣く泣く在京の企業に就職したものでした。

つまり、学生が地元(地方)に就職しないのではなく、出来ないのです。今回の制度は、奨学金免除に関係なく、地元にもともと就職できた人に取って、更なる特典になるかもしれませんが、奨学金免除があるからといって、地方への就職希望者が増えるとは考えられません。もともと地元(地方)への就職希望者は多いのですから。また増えたとしても、地元企業側に魅力、何よりも新入社員を増やしていくだけの企業体力がなければ採用は叶わないでしょう。


愛媛大や徳島大学に在職時、就職希望の学生にとって一番の人気企業は、その地元での大手メーカのグループ企業でした。企業では優秀な人材を確保するため、積極的に地方に関係会社を作り、開発設計を中心に生産も行いました。1970年代、80年代の好景気を背景に数多くのメーカや開発会社が地方に拠点を作ったのですが、景気が急激に衰退した90年代後半以降、それらが在京の本社に吸収され、2000年代に入るとほとんど消滅してしまいました。特に情報系に限っても、80年代、90年代は中堅企業が成長し、地方でのベンチャー企業の躍進もあって、地元に残る学生も多かったのです。

地元(地方)への就職希望学生の奨学金免除は、学生の地元就職希望に振り向かせる若干のきっかけにはなりうるでしょうが、やはり地元企業側の体力作り、それは研究開発、そして生産能力を含めた経営基盤の改良、そしてかつて分散していた中央のメーカや開発会社が、当時のように人材を求めての地方分散を行う事が必須でしょう。今回の施策目的である学生の地元就職希望と、地元企業の体力強化が産業における地域創成の両輪であり、それぞれは独立に駆動してこそ、前に進むものと考えられます。