筆者は先に、香川大学の就職事情(39)で、同じ中四国地方の旧高商系国立大学である山口大学経済学部のことを取り挙げた。

これについて、少し補足して論じたいと思う。


まず、香川大学の就職事情(39)から引用しよう。

山口大学の大学案内によると、平成24年度の就職実績として経済学部の全卒業生397名のうち、11%が資格試験のためか専修学校その他にすすみ、いっぽうで金融保険業への就職者は15%にとどまっている。1年だけの特殊ケースではないとしたら、金融機関への就職率がこの水準というのは、昼間主だけの旧官立高商系の学部としては異常事態だろう。夜間主も併設している同じ年度の香川大学経済学部の卒業生の28%、滋賀大学経済学部の25%、さらに同一地域の岡山大学経済学部26%という数字と比較すれば、金融機関への就職率の低さは奇異ですらある。


いま地方国立大学はセンター試験で輪切りにされ、全国的に同程度の陣容の大学には同程度の基礎学力の学生が出願するようになって久しい。ただでさえ絶対数の少ない国立大学が、さらにその優秀層の相当部分の進路を新しい分野に振りむければ、当然残りの分野は手薄になる。


「一升入る枡には一升しか入らない」という言葉があるが、無理をすればどこかにひずみが生じる。山口大学の場合は、「学生」という(マンモス私立大学に比べて)限られた資源を資格試験という、ある意味「博打」の世界に誘導するような制度設計を行ったため、従来の強みを自分から消してしまっているといえよう。

2014年8月14日の時点で各大学の主な就職状況について報道しているのは旺文社だけであるが「パスナビ」によると、2014年3月卒業生の山口大学経済学部と香川大学経済学部の4名以上の主な就職先は次のとおりである。


〔山口大学経済学部 2014年春卒業の就職先〕

丸久 ------------- 8名(本店;山口県、資本金40億円)

山口銀行----------7名(本店;山口県、資本金100億円)

山口大学職員------4名

財務省職員--------4名

山口県庁 --------- 4名


〔香川大学経済学部 2014年春卒業の就職先〕
中国銀行 ---------13名(本店;岡山県、資本金151億円)

百十四銀行--------8名(本店;香川県、資本金373億円)

香川銀行----------8名(本店;香川県、資本金120億円)

伊予銀行----------7名(本店;愛媛県、資本金209億円)

日本生命 --------- 5名(本店;大阪市、相互会社基金2,500億円)

高松市役所-------- 4名


山口大学の就職先にある「財務省職員」についてひとこと解説しておこう。香川大学には法学部があって、公務員志望者はそちらに集まる傾向があるが、法学部のない山口大学の場合は、公務員志望者は経済学部の経済法学科(定員70名)に集まる。これが財務省職員や山口県庁といった公務員の実績につながっているものと推測される。

しかし、同学科は定員わずか70名の学科である。香川大学経済学部の昼間主コース定員280名に対して、山口大学経済学部の学部定員は385名と100名以上多い。にもかかわらず、4名以上の就職先の少なさと、地域性の広がりのなさはどうしたことであろうか。旧高商系経済学部の大量就職先であるはずの地方銀行へはかろうじて地元の山口銀行1行だけが顔を出すという有様で、隣県の広島銀行、山陰合同銀行といったところが上位に顔を出してこない。大学の公式発表資料によれば、2014年春卒業生の金融・保険分野への就職比率は景気回復で前年度より上昇したにもかかわらず18%で小売・サービス業(16%)とほとんど変わらないそうであるから、普通の旧高商系学部とはかなり趣を異にする。

http://www.yamaguchi-u.ac.jp/campus/_3647.html


これがリーマンショック直後の就職氷河期の就職結果だというのなら話はわかる。しかし、2014年春はアベノミクスの影響でようやく各大学の就職状況が改善した時期である。香川大学でも大企業への就職率が前年度より10ポイント上昇し、景気回復が実感された時期である。

にもかかわらず、山口大学の民間就職のトップは、山口県に本店を置く2部上場の食品スーパーの丸久(資本金40億円)であった。不況時なら緊急避難的に地元小売業が雇用の受け皿として採用実績を増やすということは多々ある。現に、岡山大学経済学部などでも、前回の就職氷河期には紳士服のはるやま商事あたりが就職先上位に顔を出している。しかし、好況期にこの結果は首をひねらざるをえない。

続く県内の地方銀行である山口銀行は、同大学の伝統的な就職先であるといえるが、実はこの年の県下の公立大学である下関市立大学経済学部の山口銀行就職者は6名であり、すでに山口大学経済学部の背後に迫ってきている。受験生にはよく知られているように、下関市立大学は戦後派の市立の小規模な大学であるが、大学入試では中期日程をとっているため入試難易度そのものは悪くない。入試科目が違うため一概には言えないが、3教科に限っては山口大学経済学部の上にあり、学生の質は拮抗しているといえよう。現時点では山口銀行内にはまだ山口大学のOBのほうが多く、問題にならないだろうが、山口大学経済学部がいまの資格試験重視姿勢をこのまま続けるならば、早晩採用人数で逆転を許し、行内の役職者数でも逆転を許すことになるだろう。

http://www.keinet.ne.jp/rank/index.html


にもかかわらず、現在山口大学では全学的試みとして定員100名の国際総合科学部の新設準備が着々とすすんでいる。これにより、全国でも珍しかった商業教員養成課程は廃止され、国際系の教員の転籍による改組で山口大学経済学部の定員は40名削減される。いっぽうで「職業会計人コース」は維持され観光政策学科も増員されるため、金融機関への人材供給はますます細ることになろう。


余談だが、歴史をひもとけば、明治38年に山口大学経済学部の前身旧制山口高等商業学校が創立された経緯は、それまでナンバースクールと並立して運営されていた旧山口高等学校で、明治維新の戦勝国の特権として(鹿児島とともに)例外的に認められていた地元山口県出身者に対する優先入学制度を撤廃したことによる。よく知られているように、旧制高校は、全校の卒業者数が東京・京都の帝大入学定員とほぼ一致するように配置された特殊なエリート校である。定員割れした人気のない学部なら東大といえども地方の高校生でも無試験で進学できた。

「旧長州藩の子弟を実質無試験で高級官僚養成機関である帝大に進学させられる学校だから」という理由で、学校運営経費の高額な寄付に応じてきた地元有力者たちにとってみれば、そうした藩閥の情実のはたらく「不明瞭な部分」を排し、能力主義だけで近代的な官僚制度を建設したいとする東京の明治政府の意向は、郷里を捨てた裏切り行為と映ったのに違いない。

これに反発した地元有力者たちが年間運営費の寄付を拒絶したため、学校は完全な国立に移管され、文部省は「田舎に高等学校は不要」と判断し、実業専門学校である高商に転換した。その意味では、この学校は創立時より当時の入試制度に振り回された、また非常に「土着性」の高い特殊な学校であったといえよう。

本来、官立の旧制高商は欧米式の商取引制度を身に着けた世界を相手に商売する人材の養成を目的とし、したがってその設置場所も貿易港や交通の要衝である商業繁多な土地を選んで設置された。

第二高商である神戸、第三高商の長崎、さらに小樽、横浜、高松、大分といった具合である。第二高商の神戸高商については、初代校長となった水島愛庵が、設立準備中に一部代議士から大阪設置の動きがあったのを「新高商は世界に通用する商人の養成を使命としているのであるから、船場商人の旧弊が横行する大阪ではなく、自由闊達な貿易港でしがらみのない新開地の神戸にこそ置かれるべき」と力説して当初予定通り神戸への設置を実現したという経緯を持つ。

そのなかで、幕末に城下町の萩にかわって藩の政庁が置かれたといっても、商業都市ではない内陸地の山口に高商を置いたのは、旧山口高等学校の校舎をそのまま転用したためとはいえ、いささか無理があったのかもしれない。ちなみに戦前13校あった旧官立高商・商大で海の近くにない学校は、琵琶湖のほとりにある彦根を別にすれば、福島と山口の2校だけである。所在地としては、本来は、山口県随一の人口を持つ商業都市の下関や長府といった瀬戸内海沿岸の商業地が適当だったのだろう。このためスマートなイメージのある官立高商としてはなぜか地味なイメージがある。

明治以来100年を超える古い歴史と伝統をもつにもかかわらず、山口の経済出身者として象徴的な人物の名前がすぐに浮かんでこないのも、そのせいかもしれない。