ちょっと暗い話なんですけど、原点みたいなものってありますかね?? | しまりす日記

ちょっと暗い話なんですけど、原点みたいなものってありますかね??

今、ソーイングしながら、

こんなものと格闘しつつ。。。


↓ 皆様にはどの部位なのか、分かるまい。 (俺もわかんなくなってきたよ。)



しまりす日記


あ、これ、、、なんか、、、、

むかーーーし、(←すごい昔。 もう多分10年くらい昔)

サンタフェを旅行した時、

ネイティブアメリカンのおじいちゃんが細々と

作っていた、革のちっちゃい袋に似ている。。。



って、脱力笑いがこみあげたんですが、

あの時おじいちゃんに、

わたしのつたない英語で、




「この袋は何の革で出来ているんですか?」って

聞いたら、



「鹿の皮」



ってぶっきらぼうに答えていて、

何のための袋なのかも聞いたんだけど、

忘れちゃった。。。



あんまり役に立ちそうにもない小さな袋を

おんぼろの木のテーブルに、

ちょこん、、、、ぽつん、、、、って感じで



2、3個?  5、6個?? 置いて、



別にネイティブアメリカンのことなんて

日本の「フジヤマ・ゲイシャ」くらいの知識と変わんないくらいしか、

知らないような

興味本位で来ているような

観光客目当てに、



なのに、誰からも見向きもされず。



ぽつんと座るおじいさんから、、、


俺、なんかすごく考えたことがあったんだよ。  (←爆!!!)





なんか、この一連の想い出について、

すでに「しまりす日記」に

大事な思い出として、

10年も前のことなのに、

思い出しながら書いたような気がするのに、



今、もう一度読みたくなってみて

探しても、



いっこうに出てこないんですよ。





作業の一休みに、

ちょこっとだけ、

それについて自分がなんて書いたのか

読みたかったんだけど。。。




で、探していても出てこず、

変わりに出てきた記事を読んだら、



いや、これまた自分で書いておきながら

痛過ぎて怖くて読めなかったんですけど。。。爆。





それはそれで、一応、サンタフェ旅行についての記事だったんですが、

あの10年も前に遡る

2週間だけの、

単なる「観光」という形で訪れた

サンタフェは、



単に観光なだけだったんだけど、

人生の転換期だったからか、

今でもしっかり私の心の中に何か

原点のようなものとして

根付いているのかもしれないな、、、と

改めて思ってしまいましたよ、ええ。ええ。



何気に、再録するけどさあ。。。(ぶっっ)



2008年当事に書かれた記事だね。。。俺のブログ生活も

長くなってきたよね???


えーと、おっほん、タイトルは




「シャーマンの洞窟。」




結構、、、暗いし、長いよ。。。??



****



去年の9月20日の朝方、

私はまだ明るくなりきっていない

薄暗がりの中に横たわり、

「今朝はずいぶんと風が強いんだな。」


なんて外の風の音を茫然と聞いていたのですが、



痛み止めがきいてきて、

眠りに落ちかけると、


風の音が、

私をとある景色へといざなってゆくわけで、

それは何年も前に行った、

サンタフェにあるネイティブ・アメリカンの居留地になっている

自然公園のなかのtrailで、、、。 (←trailってハイキングとかトレッキング用の小道ですかね??)




そのtrailは、両側を高い壁のようにきりたった崖で囲まれており、

風が、崖の上を

まるで波の様に

寄せては、さーーーっと去って行く音が

本当に美しく。




そこをどんどん歩いてゆくと、

今度は崖に設置されたはしごを

どんどん登ってゆかないといけない。




一応、慣れていないと、結構恐いわけで、

そのはしごをずんずん手に汗握りつつ上ってゆくと、

(下を見ちゃうと、眩暈がします。)


崖のてっぺん付近にぽっかりと空いた洞窟に到着。




その洞窟はというと、

昔、この地に住んでいたインデアン達の心の拠り所であった、


シャーマンが住んでいたとされる洞窟で、




中には


ちゃんと「キバ」もある。



「キバ」というのは、

地中に空けられた穴だったり、

あるいは、土で塗り固められた小さな小部屋のようになっており、



大体はてっぺん部分から

はしごをつたって降りて行くようになっており、



中で祈りを捧げたり、

要は儀式をするための


なんだか、

子宮のような小さな穴なんですね。。。




そのキバへ降りてゆくと、

今は、

土で壁を固められた単なる

空っぽの小部屋で、


別に神秘的なものも何も感じないわけなんだけれど、

気付けばその中でも、

ずっと風の音が聞こえていて。。。

洞窟の端にたつと、下は目がくらむような崖。。。




シャーマン、こんなところに一人でいて、

怖くなったり寂しくなかったのかなあ、

なんてちょっとぞっとしましたけれども。



友達は「風の音」だけ。




ぼんやりその洞窟と、風の音を思い出しながら、

「ああ、あの洞窟に戻りたいなあ。

あの洞窟に入ったら

傷が全部いやされるんじゃないだろうか?」



なんて思う私の頬には涙がつたっていて、

正直、1年間、心も体も疲れ果てていたんだな、

とやっと気付くわけで、

それが、

ちょうど、大出血が始まって、


痛さと、「流産」という不安に耐えていた

長い夜が明けた朝だったんだけれども、




横にいた夫ケイブメンは、

暢気にものすごく酔っ払って帰ってきた割りに、

私がどうやら流産しそうだと分かった途端、



大層機敏に対応してくれて、

あんまり痛くて身動きも喋ることも出来なかった私の代わりに

病院に電話してくれたり、




青ざめてくる私を


(死んでしまうんじゃないかと焦っていたそうで)


じっと見つめて、


「こんな最中にあっても、君はきれいだよ。」


っていったんですよねえ。




そのときは、なんじゃそりゃ?って

青ざめてるのに

笑ってしまったんですよ、、、ははっっ。




人の命っていうものだけは、

どう努力しても、ままならない。



こればっかりは、

なんとも残酷なものです。




今お手伝いさせていただいている、

例の、「ふたご座の彼」の  (←注: あ、おやびんのことですね。。。??爆!!!)


ビジネス・パートナーであり

プライベートでもパートナーである方のお父さんは


最近ガンが見つかり、

しかも去年は、お母さんの方が、

やはりガンで亡くなっているらしく、

なんとも

人生のつらい時を過ごされていまして、




だから「ふたご座の彼」は、

お店オープン間近に控え、


ストレス満載、


プレッシャーだらけで無精ひげまで生えてるんだけれど、




「それでも、私は幸せよ。

こんな仕事のことなんて

人の生死に比べたらどうってことないし、



夢に向かっているんだから


むしろ幸せなのよ。」


というわけで。 本当にそうだよな、と思います。




世の中には、祈りも、努力すらもとどかない出来事もあるわけで、



そしてむしろ、皮肉なことに

そうして死を間近にするほど、

命の重さを感じるようになるわけで。




「生」という光を沢山吸収してまっすぐ強く、育っていく。




ああ、命、生命。




形もないし、目に見えないし、


どのくらい大きいのか、

本当に「重いのか」さえもわからない、

儚げだったり、強かったりするこの、

実体の無い物よ。




実体をはっきり提示して、「だから大切なんだよ。」という説明は出来ない

曖昧模糊なもの。




ネイティブアメリカンの詩で私の一番好きな詩は、

たった、4つの言葉からできているんですが、



「稲穂


矢尻


セミ


命」



稲穂もarrowもセミも、形がにているんだけれど、

じつは命をあたえるもの、

うばうもの、(あるいはそれによって、味方の命を助けるもの。)、



地上に出た一週間程の短い期間精一杯鳴くもの。 



そうやって、縁取りをしてゆくと、最後に

「Life」(英語だと、人生も命もLifeで。)という言葉が浮かび上がってくるわけで、、、




私もモカシンをはいて、


一歩一歩、砂漠を踏みしめながら


インデアンの女の子のように

ずっとずっと歩き続けよう。





疲れたら、

子宮みたいな

シャーマンの洞窟に戻って、


風の音を聞きにいこう、

そうしたら、またエネルギーが湧いてくる、



命がある限り

私は幸せです。