私は猫が嫌いだった。

犬好き、猫好きと分かれるという。

犬好きな有名人としてはナポレオンがいるが、犬=主人に忠実というイメージがあるが、猫は身勝手で人間より家につくというイメージか。

また、恨みによる化け猫…はあっても化け犬はない。
私の中では猫には裏切りや怨念深いイメージがあり、生涯飼うことはない生物だった。

特に猫に恨みがあったわけでもないが、幼少の頃より犬を飼っており、犬と猫とは犬猿の仲と思っていたので、猫を飼う気はサラサラなかったのかもしれない。

当時、私は3匹目の犬、シェトランドシープドッグを飼っていた。名前を「アトス」という。
デュマの三銃士に登場する銃士隊長からとったものだ。

シェトランドシープドッグは、コリー犬を小型に改良したものだが、その名のとおり羊(シープ)の番をする犬であり、使命に忠実でプライドも高い。
中型犬でありながら他を寄せ付けない気品があった。

アトスは雄で特に気品が高く、子供が頭を撫でようものから低いうなり声で威嚇をしたものだ。
猫はおろか他の犬とも交わることのないプライドを持っていた。


人生には予兆というものがあるのかもしれない。
その頃、不思議と偶然にも何度も捨て猫を目にする機会があった。

初めは「可愛そうに…」と思っていたが、自分が飼う気がなかったので「世の中の可愛そうな出来事」のひとつとして割り切っていた。
きっと誰かが拾って育ててくれるだろう…みたいに思って。

当時のことを振り返ると不思議に思う。
この数十年は、捨て猫をみたことがないのに、その頃は集中して頻繁に捨て猫にであった。

初めは無視していた捨て猫も、次第に気になる存在になっていたことは間違いない。

でも、私は犬を飼っていて、彼も10歳を越えていた。
普通、犬が他の動物と共生する為には、5歳未満でなくてはならない。それを越えると他の生物を受けいることはできない。と…犬の専門書に書かれている。
捨て猫を拾うことなど、眼中になかった。

ある一匹の子猫に出会うまでは…。

今では潰れてしまったが、私の家から数㎞離れた所に、郊外型の大型書店とレンタルショップがあった。駐車場は比較的に広く数十台の車が止められるスペースがあり、便利なので時々利用していた。

ある日のこと。
何気なく立ち寄り、本を数冊見てから駐車場へ戻ると、先をいく男性が何やら脚元のものを避けている。
何やら汚いゴミのよう…とよく見るとギョッとした。

それは一匹の子猫だった。

体長は20センチに満たないその猫は、白地に黒のブチ模様であったがあまりに汚かった。
体には数十匹のノミがはい回っており、おまけに右目が潰れていた。

助けを求めるように通りがかる人へとよるが誰もが避けて通った。

病気持ちの猫かもしれないからか…。

誰にも見向きもされない子猫は建物のよこで臥せっている。

私も脇を通り過ぎて、駐車場に止めてある車に乗り込もうとして、ふと気になった。

ああ…あのままではあの子は誰にも拾われずに死んでしまう…。

もう一度、振り返ると、子猫は壁にもたれて黙って臥せっている。

何がそうしたのだろう・・・
何故そうしたのだろう…

「おいで!!おいで!!!!」

と猫に向かって叫んでいた。

人の言葉分かるのか。子猫は一目散に私に向かって走ってきた。
言葉が分かるということは人に飼われていた証拠だ。

捨てられたのは間違いない。

私の元へ駆け寄ってきた子猫は、手のひらにすっぽりと入るほど小さかった。

子猫を抱き上げ、後部座席の下へ下ろしてエンジンをかけた。

数分前の自分でも想像もできないことをしている。
捨て猫を拾ってしまったのだ…。

「ああ…家族になんて説明しようか…」

なんて気にする間もなく、後部座席でグッタリとしている子猫が気になった。

車はまっしぐらへ我が家へと向かった。
「人間五十年、化天[1]のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」

生を受けたものは必ず死ぬ。
不老不死などはありはしない。
もし、科学が発達して遺伝子操作によって不死が実現したとしたら…。

最初の1000年は楽しく過ごせるかもしれない。
しかし、その後はどうだろうか?

人間の幸福とは「ある到達点」ではなく「置かれている状態」である。
進歩し続けること、変化し続けること、それによる未来があることこそが幸せの根底にある。

停滞した怠惰な人生は本人に、絶望と倦怠感しかもたらさない。
死ぬことは自然な行為であり、理屈では喜ばしいことである。

しかし、人生は理屈では割り切れない。

猫が死んだ。
捨て猫として生を受けて14年を猫として生きて普通に死んだ。

普通のことなのに…。
私はどれだけ打ちのめされたことか。

少なくとも数ヶ月は廃人のようになってしまった。

ただの野良猫が、私が飼うことによって「とても特別な猫」「世界で一匹だけの猫」
になったのだ。

人間に比べて寿命の短い猫にとっては人間は不老不死の神のような存在に思えるかもしれない。

それはそれでよい。
神と一緒に暮らしていると思えばどれだけ心安らかにいられることか。

私の猫。
名前を「マップ」という。

名前の由来は背中の模様が地図に似ていたこと。
そして、捨て猫となって迷子だったので二度と迷わない「地図」が名前になっていることだ。

マップはとても変わった猫だった。
私や私の家族に喜びを与えただけでなく、多くの人々へ心の安らぎや喜びを与えた。

猫にそんなことができるのか?
ただの思い違いじゃないのか?

と思われるかもしれない。
その判断は本文を読んでからにして欲しい。

見たこともない猫の人生の一遍をしることができるだろう。

「つづく…」
「生活習慣病」というネーミングが登場して、15年くらいだろうか?

それまでは「癌」「糖尿病」「心臓病」「脳卒中」その他などは「成人病」と呼ばれていた。
年をとれば誰もが自然となる病気と認識されていたからだ。

これらの病気は確かに若年の時にはかかりずらく、遺伝も大きな要因ではあるが、
それ以上に「各自の生活習慣」が要因であるとの認識され始めた。

予防医学の発達によってか?またはネットワーク的な民間療法が急激に普及したためか?
国からの働きかけはスローモーションを見ているように鈍足なので、良し悪しとは別に
民間療法の普及がネーミング変更の原因となったと思う。

「活性酸素(フリーラジカル)」といった言葉が登場するのもこの頃。

現在、老衰で亡くなる方は全体の3%足らずで、それ以外の死因でトップは生活習慣病ということになる。癌で亡くなる方は二人に一人に迫る勢い。

「生活習慣」が基因するといってもそれが何かは一言では言えない。
食習慣、過労、睡眠不足、ストレス、運動不足、環境汚染、食や水の汚染、環境ホルモン、など様々な原因が考えられる。

その中でもクローズアップされるのが「食習慣」である。

「生活習慣病予防」については未だに未知な部分が多い。
例えば「電磁波」であるが、携帯電話が発信するマイクロ派は人体に有害であるという説があり、
電車に乗っても再三に「携帯電話のご利用の中止」をお願いするアナウンスが流れる。

そのため、「携帯電磁波は有害であり、人体に多大な悪影響」といわれている。
車中でうっかり携帯等を使おうとするならば、まるで犯罪者のように睨まれたりすることもある。

「携帯電磁波」にこれほど五月蠅いのは世界でも日本だけであるが、さも注意深い国民にみえて、
平気で高電圧の高圧鉄塔の真下に住んでいる。
高圧鉄塔の真下に居住区があるのも先進国では日本だけだ。
高圧鉄塔からは大量のマイクロ派が出ており、その付近で生活すると精神障害や癌を誘発するといわれているのだが…。

一方、携帯電話のマイクロ波が肉体に悪影響を及ぼすかどうかについては筑波で長年にわたってマウスによる生体実験を行っている。大量のマイクロ波をマウスへ投射して、病気との関係を調べる実験なのだが、研究を始めて十数年が経つがマウスへの影響はまったくみられない。
人間よりも極端に寿命が短いマウス(約2年の寿命)で実験することで何世代にもわたる影響を知ることが出来るのだが何も変化はないという。

それでも電車内ではしきりに「携帯電話使用の注意!」が放送される。

これは何か(我社は環境に配慮していますよ的な)のポーズなのでは?と思ってしまう。

他の例では栄養素がある。
βカロチンの摂取は生活習慣病予防に有効という説から、βカロチンの健康食品が多数登場した。
βカロチンは水溶性成分なので体内へ残留せずに過剰摂取した分は排出されるため、どれだけ摂取しても有害にはならず、むしろたくさんとればとるほどに有効だと言われてきた。

ところが最近、信頼できる医療調査機関の実験ではβカロチンを食事とは別に摂取している人の方が癌を誘発する可能性が高いとの報告が出ている。

これから「実はマルチビタミンは体に悪かった!!」などという報告が出ても不思議ではないほどに、
「生活習慣病予防」に何が有効かは、絶対的なものではなく「取りあえず今の段階でのひとつの説」でしかない。

前置きは長くなったが、ここでは「私のひとつの説」を書きたい。

惣菜屋さんやスーパーなどで売っている「揚げ物」は死に至る食べ物である。


なぜそう思うのか?

それは今まで多くの人をみてきた。
この上なく健康に気を使っている人、まったく健康に無関心な人など様々だが…、健康に十二分ほどに注意して生活している人が若年でなくなるケースをよくみる。

夫婦揃って亡くなってしまうので、遺伝的な要因は考えられない。何か生活習慣に基因したものだと思えるが、彼らの共通点は揚げ物は家では揚げない…ということだ。

台所が油で汚れたり、調理の手間を考えてのことだろうが、天ぷら、フライ、から揚げなど油で揚げるなどの料理は家庭では一切行わず、それらはすべて惣菜屋で買っていた。

揚げ物と生活習慣病の関係はどうだろうか?

人間の細胞は食によって摂取した油と置き換わるといわれている。
細胞壁が酸化しやすくなれば、生活習慣病にかかる可能性が高くなり、出来るだけ参加しづらい肉体にしておくことが予防には重要である。

そのため、摂取する油は酸化しやすい「べに花油」などではなく「オリーブ油」などの酸化しづらい油を使うことが大切とされている。

さてお惣菜屋さんで揚げ物に使っている油はなんだろうか?
「べに花油」よりも酸化しづらい「ナタネ油」などを使っているのかもしれないが、毎回油を全部捨てているとは考えづらい。

おそらくこしては何度も使いまわしているのではないだろうか?

油は酸化しやすい性質がある。
何度も使った油は当然に酸化するし、それをたっぷり吸った揚げ物は「酸化しやすい体」にする可能が考えられる。

たまにしか食べないのなら影響も少ないだろうが、食事として常にお惣菜屋の揚げ物を食べていたらどうなるのだろうか??

私の知る限り(あくまでも私の知る限りでは…)長生きした人を見たことがない。

同じように揚げたお菓子類や外食でのファーストフード、天もの、フライドポテトやチキンなどは体に非常に悪いと思うので極力摂取しないようにしている。

私の中では上記の食は嗜好品であり、食事とはとらえていない。

家で揚げ物をする場合にも、油は少量を使うように工夫をして、使用1回で捨てることにしている。

体に良いものを摂取する必要はもちろんだが、非常に悪い可能性があるものは可能ならば摂取しないに越したことはない。
絶対権力を手中にした中国の秦の始皇帝は、ありとあらゆる手を使って不老不死の方法を求めた。
そして、誰の入れ知恵か「水銀」を不死の薬として飲んでいたそうだ。

水銀を飲めば不死どころか死に至る。
「あるある大辞典2」のディレクターも足下にも及ばない誤情報だった。

個人的には「ヒジキは体によい」とか「魚は体によい」とかect…様々な誤情報によって、
あまり食べてはいけないモノを熱心に食べてきた。

「ヒジキ」はミネラルを含んでいるが、一方で「ヒ素」も含んでいる。
少量の摂取では害はないが、積極的に毎日食べるものでもない。

一方くせ者は「魚」だ。
「魚」にはタンパク質や良質の栄養素が多いことで知られているので…「体に悪い!!何で!?」

と思う人も多いだろうが、よい一方で定期的に食べれば「確実に悪い」

数年前から厚生省では「妊婦は魚を食べるのは週2回まで」と推奨しているはあまり知られていないが、
世界食の安全委員会の会議では、水質汚染によって魚が汚染されているのは有名な話。

米国では魚が体に良いとのことで毎日魚の缶詰を食べた男性が「水俣病」になった…とのもきく。

ソ連は冷戦終結後に核廃棄物を日本海溝へと大量に捨てているし、中国でも何をやっているか分からない。
分かっているのは収穫された魚介類からは一様に「水銀」や「カドミュウム」など食べると恐ろしい物質(重金属)が検出されている。
これらの物質を含まぬ魚介類は皆無といって良い。

「え…遠洋で捕ったのでは汚染されていないのでは?」
と思うかもしれないが、残念ながら世界中の海で捕れた魚はみな多かれ少なかれ汚染されている。
海流が世界を巡るからだ。

勿論、放射能廃棄物の危険がある日本海溝付近よりは太平洋のど真ん中で捕れた魚の方がよいような気もするが…魚漁って日本の周囲で行うものなので…。清流の川魚なら良いだろう。

魚の胎内に重金属が蓄積されるのはこうだ。
魚は大きい魚が小さな魚を食べていく。
重金属は一旦、体内へ取り入れると細胞に入り込み排出できない。
小さな魚の体内にある重金属を大きな魚が取り込み、更に大きな魚が取り込む。
これを繰り返す。
よって「マグロ」や「カジキ」といった大型の魚の肉の中には重金属がどんどんと蓄積されていく。
「よく脂ののったマグロ」とかいうが「重金属を大量に含んだマグロ」とも言える。

そした意味では小さな魚の方が危険度が少ない。
30センチ未満の魚は安全??と言われている…(そういう説だけですが…)

では魚を積極的に食べるとどうなるのか?
魚の体内の重金属を人間の体内へと取り入れると…、やはり細胞(まあ脂肪)に入り込み排出されない。
これを排出する方法は主には3つある。

ひとつは食べる時に排出効果がある食品と食べること。
主には「玄米」だ。
玄米は籾殻に農薬がついているので、白米に比べて農薬による汚染度は高い。
しかし、籾殻に含まれる繊維質によって、摂取はしたものの対外へと排出してしまう。
結局は白米よりも体内に残留する汚染物質は少なくなる。

玄米と魚を一緒に食べた場合、魚に含まれる重金属は効率よく対外へと排出される。
水溶性繊維質の高い食べ物と一緒に食べると良いのだ。

二つ目は、毛や爪から抜け出る。
人間の毛髪からは一様に微量の重金属が検出される。これによって現代人は重金属によって汚染されていることが分かる。ただ、あまりに微量な排出の為にほとんど体内へ残ったままだ。

三つ目は、女性限定の出産の時だ。
女性は出産によって体内へ蓄積した重金属を子供へと排出する。
生まれたばかりの子供は母親の重金属をもらってくるのだ。

さて重金属が体内へと蓄積するとどうなるのか??
はっきりは分からない。

一説には「神経障害」が起こると言われている。
その症状として「落ち着きがない」「集中力がない」「怒りやすくなる」
はては「鬱病」やその他の精神障害。
または「リューマチ」や視神経障害など様々な状況が予想されるが、はっきりと研究している人がいないので分からない。

最近、街へ出ると「奇声をあげている子供」をよく見る。
自分が子供の頃はあんな奇声を発する子供などいなかったのに…。
親の教育が甘いのかな…とも思うが、重金属による神経障害じゃないかな?とも思う。

生まれたてで汚染物質を持った子供はそれからも食を通じて体内へと取り入れ続けるのだから…。

「良かれと信じて食べた食品」が実は、「毒」だった。
ということでは
「秦の始皇帝の無知」を笑うことはできない。

現代人も同じようなことをしているからだ。

次回はもっと身近にある「死に至る食品」について書きたいと思う。




少子化が問題になっている。
日本だけではなく世界中で少子化が進んでいる。

国民数の減少はストレートに納税者数の減少につなるし、経済面で国家存続の危機とも言える。

少子化対策として「子育て支援策」があるが、子供のひとりあたりにお金を出す。
または授業料免除…、なんて案もあるが「少子化問題」をまじめに検討した上での対策とはまったく思えない。
もしそうなら口は悪いが「アタマが悪い」のか「やる気がない」のではないだろうか?

もし、少子化が家庭経済の低迷に影響があるのなら「お金持ちはみな大家族」ということになる。
景気は青天井と勘違いされていたバブル経済の時代に子供の数が増えただろうか?
答えは否だ。

富裕層が大家族化しており、貧困層が小家族なら「少子化の原因は家計」と証明できるが、私の知り合いの富裕層が大家族…なんて見たことがない。せいぜい2~3人の子供だ。
逆に一般家庭で大家族の知り合いはいる。

よって、子供に対して「お金」を出すことは何の少子化対策にもならない。
お金は貯金となるか、娯楽に使われて終わりだろう。

少子化が発生する原因は、「個人の自由の拡大、または個人の可能性の拡大」である。

以前は個人の自由には枠があった。
少なくとも40年前に海外旅行へ行くなどとは「大金持ち」だけだった。
70年の大阪万博へ関東圏から行けるのも富裕層だけ。

それが今では日本中からディズニーランドへ一般家族が集まってくる。

趣味、娯楽や習い事、その他多くの事柄で「個人の可能性」無限ともいえる拡大続けている。
個人で宇宙旅行なんていうことも実現しているではないか。

そんな中、子供を楽しみに…とか、子供に未来を託す…とかいう考え方が減少してきているのだ。
「自分が楽しむ」「自分のことで手一杯」

子育ては「お金」よりも「時間」が失われることが辛いのだ。
自分の時間を犠牲にしてまで「こどもの為に」と思わなければ子育てはできない。

こうした自分中心主義は若年層の男女の子供虐待(育児放棄)などを生んでいることからも明らか。

では、どうしたら良いのか?

その答えは「教育改革」にある。(つづく)
現代はかつてない程のペットブーム

私に近くにもペットショップは8件はあり、それらの店舗では狭いショーケースの中に子犬や子猫が入っている。

近隣でもこれだけショップがあるのだから、全国ではその数はいかばかりだろうか??
売れない子供達は半年以上もケース内で過ごして、ある日どこかへ消えていく…。

報道番組ニュースジャパンでは「現代のカルテ」のコーナーで「命の現場」としてペットブームの闇の部分をクローズアップした。
ショーケースの中の子犬や子猫、見るに堪えないブリーダーによる虐待、そして不要とのレッテルを貼られた犬猫の処分風景…。

中国を小馬鹿にしている日本(私)だが、実は日本も同じようなものではないだろうか??
これで先進国なのか???

ペット産業への国の管理のずさんさを見ているとまるで先進国のフリをした後進国のようだ…。

さて、国の対策を待っていると日本の場合は1000年もかかりそうである。

そこで優良なペットショップへの提案がある。
是非、実行して欲しい!!!!


ペット産業に携わっている業者には当然ながらしっかりしている方もたくさんいる。
それがダメダメ業者と一緒くたに思われるのはいただけない。

ペットはショーケースで売って欲しくはないが…その現状を変えられないなら、ペットの両親達の写真、そしてブリーダーやその施設の写真を一緒に掲示して欲しい。
最近、野菜に生産者の顔が載っているものがあるが…(あれって意味不明だが)

どこの生まれ、誰が親かもまったく分からない子供を飼うよりも、ハッキリしている方が飼い主にも喜ばれる。
希望があればアポイントをいれてブリーダーに会うこともできる!!!

なんてサービスをしたらショップとしての株は絶対に上がる!!!!
他ショップとの差別化も十分にできて売り上げは向上?!


そして、この方式を広めれば…不良なブリーダーの数は少なくなるだろう!!

優良ペットショップの方…犬猫を愛するなら、是非そうして欲しい…。
以前、外食産業について でハーフサイズメニューを提案したが、
これが一番役立つのはコンビニではないだろうか?

コンビニはメニューが勝負だが、どこのコンビニも似たり寄ったりで画期的なものはない。
肉まんの具が違ったり、おにぎりのご飯が美味しかったり、味での差別化がメインになっているので
コンビニ店の違いは間違い探しのように分かりづらい。

そこで誰にでもハッキリと分かる「画期的なメニュー」の提案をひとつ。

それは「プチおにぎり」だ。

おにぎりは現状、ある程度の大きさが定番となっているが、「プチおにぎり」は現在のおにぎりの大きさの1/3もしくは1/2である。

これには以下の効果がある。

1.1回の食事でいくつかの味のおにぎりを食べたい。(現状では1個または2個が限度だ。)
2.ダイエットをしているのでカロリーをとりたくない。(プチサイズなら1個70キロカロリーくらいだろう)
3.老人や子供でも食べやすいサイズで。
4.小腹が空いた。一口だけ食べたい。
5.形の可愛さが、女性達にウケる。

ユーザーのメリットは以上の通りだ。
ショップのメリットは以下の通。

1.他のコンビニと明らかに差別化出来る。
2.プチ1個の値段は従来の1/2ではなく、3割引程度。1個作るために包装紙やノリなどのコストも出るが、従来品を1個売るより、プチを2個売った方が利益が出る値段設定にすることにより収益UP
3.バリエーションを持たせられる。(3個入りパックや季節限定プチなどを作り、従来よりも売り上げをUPできる。)

などである。

そんなに良いなら…自分でコンビニへ提案に行け???

そうとも思うが、私は特に考えていなくても日頃からアイディアが無限に溢れ出てくるので、いちいち面倒臭い。

誰かコンビニの人、これを読んで商品化して!

大ヒットしますよ。

低周波を利用したボディのシェイプアップマシーンとしてNo1の位置にいるスレンダートーン。あのコマーシャルを観るたびに「買っちゃおうかな~」と今でも思う。

何せお腹に巻いているだけで腹筋200回と同じ効果があるなんて素敵過ぎます。

しかし、買えないでいるのは以前に似たような商品を購入してダメだった。ということもありますが、それは「類似品注意!」をつかんで失敗したとして、

「スレンダートーン」登場の遙か以前に試したことがあるからです。

今から10年以上前ですが、本格的な「低周波治療器」を購入しました。
価格は15万円ほどだったと思いますが、原理はスレンダートーンと同じ。
ただ違うのは低周波を細かく調整出来ることや、パッドが多くあるので色々な部位で使うことが出来ること。
また低周波の出力の幅も非常に大きく、最大出力にすればその刺激たるや強烈です。

「スレンダートーン」がシェイプアップマシーンとして登場した時に、内容が分からず安価な類似品を購入して試しましたが、これってあの「低周波治療器の簡易版じゃない」と気がつきました。

そこで「我が家の高級?低周波治療器」の登場です。

出力を様々に調整して、1ヶ月ほど試しました。

結果…「効果ありません」

確かに筋肉は激しく動くので運動しているような気分にはなりますが、これを1ヶ月続けても腹筋を数十回出来るようにはなりませんでした。(つまり筋肉は鍛えられていなかったということ…)
低周波刺激により筋肉はほぐれますが、筋肉がつくことはないのです。
つまり、腹筋は締まらないし、痩せる体質になることもありません。

CMではお試し期間があるっていうけど「効果の実感って人それぞれですからね…」

ああ…でもあのCMは今観ても刺激的です。
引き締まったボディ、美しい体…。
もしや「スレンダートーン」なら効果あるのか???
(ただのボディビルモデルに間違いないですが…)

と振込詐欺に何度も引っかかってしまう人間心理になりそうです。

「ザ・マスターキー」 「ザ・シークレット」「引き寄せの法則」などベストセラーになっている本は元よりこの手の本は非常に多く出版されている。

元は「ザ・シークレット」がヒットしたことに端を発しているが、これらはいわゆる「思考は現実化する」まはた「願望は実現する」といった ナポレオンヒルの成功哲学に似ている。というより成功哲学の元になった考え方だ。

「引き寄せの法則」は非常に魅力のある考え方だ。
自分の人生は自分の思考が全てコントロールしているので、正しく強く望めば何でも実現する。いわば引力がモノを引き寄せるように、思考が望みを引き寄せるという科学的な物理法則と同じだという。

元来コノ手の本は大好きなので6冊ほど購入して読んだ。
読んでいる内に「目から鱗!」的な希望が湧いてくる。
自分に人生が明るくなっていくような希望だ。

しかし、冷静になって考えるとこれは「本当だろうか?」

本によってはこの論理を実践した多くの人々の証言があり、論理の正当性を打ち立てているように感じる。実行そして、実現により論理は正当性を勝ち得るのだが…。何か忘れてはいないか??

そう!!それを実証したのは日本人自身であるということを。

今から66年前の太平洋戦争の時、日本国民は老いも若きも全てが日本の勝利を信じ、強く望んでいた。
日本は「神風の吹く神の国」と多くの人々が信じていたし、それに向けて最大限の努力もした。
当時の国内の報道(大本営による発表)はウソの100連発なので、戦況が苦境に陥っても国民は日本の勝利を心から信じてた。世界の歴史の中でも国民全体が団結をして、勝利を信じた国家はあの当時の日本以外にはない。(ドイツではナチ党を嫌う人も多かったし、ソ連などは国民に強いていただけの団結だから)

日本1億人が命を賭けて勝利を信じ、勝利を望んだ。
結果はどうか?
日本のボロ負けである。

もし、「引き寄せの理論」が正しければ、日本は勝利していなくてはならない。
日本人1億人を使った実験は既に完了していたのだ。

その後の経済戦争で勝ったではないか?などという詭弁はいらない。

外国人著作者も当時の日本の状況を知れば(大概日本についての知識は乏しい)「引き寄せの論理」などという空論を日本人に勧めなかったのではないだろうか?
というより、こんな本を読む日本人は誰か?(私でした…)

ただ、全くのデタラメでもない。

少なくとも「願い」は絶対に「願わなくては実現」しないからである。

「強く願えば絶対実現する」のではない「強く願わなければ絶対実現しない」の間違いである。

しかし「実現しない願いもある」ということだ。

昔、プロレスでの試合前にアントニオ猪木氏へインタビュアーが「もし負けたらどうしますか?」と
いう質問をして猪木氏が大変に怒ったことがある。
「負けること考えて試合なんかするか!!」
ということだ。

「願い」へのチャレンジはこの猪木氏の思いと同じではないだろうか?

「強く願えば実現する」というウソ。そろそろ止めて欲しい。
大阪府知事になった元タレントの 橋本徹知事 が選挙時に公約していた「学力別クラス編成」はあえなく実現不能になったが、ある意味当たり前である。
「学力別クラス編成」は現在の学校教育が問題なく順調に機能した上で初めて成り立つことである。
いわばシッカリした食事の後のデザートだ。

どこの学校でもクラス崩壊や授業崩壊が進んでいるケースがあるのではないだろうか?
少なくとも私の住んでいる地域ではほとんどの学校で授業崩壊のケースがある。
それは特定のクラス、特定の先生の授業であったりするが、決して少なくない。

そうした一般的な公立学校での状況を理解したならば「学力別クラス編成」などという高望みな案は出てこないのではないだろうか?

まずは学校を「学舎」へ戻す必要がある。
これは先生や学校の力によって行うので望まれるが、現にその力はない。
生徒に口頭で注意しても聞き入れられず、体罰は一切禁止の上、逆に生徒に殴られる始末。
これでは先生達に生徒を指導しろという方が無理である。

これを解決する一番良い方法は、父兄達の協力を得ることだ。

いわゆる「抜き打ち授業参観」である。

つまり、期間ごとに担当の父兄グループを作り、その父兄には校内への立ち入る許可書を与えて、
父兄が入りたい時に、いつでもクラス参観が出来る仕組みにする。

勿論、父兄にもシッカリしたルールを遵守してもらう義務を課し、それに反した場合には二度と立ち入りを拒否、または場合によっては事件として処理されることがあることを認識してもらう。

父兄が校内に立ち入ることを管理する共に、それ以外の人間の立ち入りも管理するということで、
学校のセキュリティ強化にも役立つ一石二鳥案だ。

父兄は自分の子供達が、どのように過ごしているかがよく分かる。
また、子供達は親が突然に学校に来る可能性があることに緊張感があり、
先生は手抜きの授業が出来ない。

この制度を一番嫌うのは実は「学校側」だったりもする。
先生は適度に自習にしたり、明らかに手抜き授業をするケースがあるからだ。
また、自分の無能ぶりを披露してしまうかもしれない。

しかし、この制度を導入すれば学校が「学舎」に戻ることが容易に出来るようになるだろう。
いじめ問題 や 子供達の心のケアにも役立つかもしれないし、ひいては子供達の 自殺 にも歯止めをかけるかもしれない。

親が問題を発見し、先生と子供達とも交えてそれを解決していけるからだ。

え…?最近は非常識な親が増えてそんなことは出来ない??
だから、父兄は単独ではなくグループにするのだ。
非常識な親は確かにいるが数はまだ少ない。

学校への訪問は2名一組でまわることを原則とする。

誰か実施して!!!(つづく)