昨日 父と母にいろんなことをぶちまけてみて
『私って 父や母に 思ったことをあまり言ってこなかったのかな?』
と 改めて気づきました。
『お姉ちゃんなのに わがまま』
『お姉ちゃんのくせに 素直でない』
という言葉が 自分の中にずっとあって
結構私は わがままを言っていたのだと思っていたのだけれど
心の底の底までは 言えてなかったんだぁ。
そういえば 泣くことで抵抗していたな。
すぐ泣いていた。
学校でも 男の子に「泣き虫!!」とからかわれて
さらに もっと泣いていた。。。
そんな 泣き虫の私はダメなやつだと思っていた。
泣き虫な私は 嫌いだったが すぐ涙が出てくるのは
どうしようもなかった。。。
言葉で表現するのが 苦手だったのかな。
しなくてももう大丈夫と思っていた 父母との話し合いを
なんかしらんけど もう終えてしまったんだ・・・
と 不思議な気持ちですごしていた 日曜日の午後
この日も予定していなかったけれど・・・
前日夜遅くに 関西でのイベントを終えて
途中 寄り道帰省していた娘と二人で
急に でかけることになりました。
次回のイベント用の 衣装や化粧品を探したいので
つきあってほしいらしい。。。

よさこいに誘ってくれたことといい
最近はほんとうに なんだか娘がまあるい
あの時 大喧嘩して 私を蹴飛ばして家出して
もう戻ってこないんじゃないかと思った娘と
また まあるい時間を過ごせてうれしい。
・
・
・
買い物を済ませて そろそろ車も家に着こうかという頃
なぜか 私は 昨日のバンジーのことを
娘に話し始めていました。
娘との関係は 私が心屋塾へ行きはじめてから
少しずつ良い感じに変化してきていたので
それだけでも うれしくて
今どうしようということは 考えてなかったのですが
なんかしらんまに・・・気がつくと
「昨日 おじいちゃん達と 話をしたんよ。」って
話し始めていました。
「ママは 自分でも気づいてなかったんだけど
おじいちゃん(父)に認めてもらうために
今まで 生きてきたみたいでさ。」
私は 運転しながらでしたが
ふと見た隣の娘の目が とても潤んでいたので
『ここで 私 娘にも 言わなければ!!』
という気持ちに 一気に変わりました
「○○ちゃん(娘) ごめん。。。
あなたも ママのために ずっといい娘でいてくれたんよね。
しんどかったんよね。 苦しかったんよね。
ほんとにごめん。長いこと こんなママでごめんなさい
あの時 ○○が出て行って
ママは 自分でも何が悪かったのかわからなくて
すごくつらかったけれど
でも あなたが 出て行ってくれたからこそ
心屋塾に出会えて
やっと 私も自分のことがわかった。
そしたら
〇〇も どれだけ苦しかっただろうって
それが やっとわかったよ。 ほんとにごめん
気づかせてくれてありがとう。 〇〇のおかげ。
長いこと苦しませたね。
でもママみたいに50年もかからなくてよかった。
まだ 半分くらいだから これからはもう自由に!!
もう あなたは 自由だからね。
ママのことなど 気にせずに 好きに生きなさい
どんなあなたも 大好き
」
娘も私も 涙が止まりませんでした。
娘は 声を出さずに 静かに泣き続けました


(駐車場の車の中で・・・買ってきたアツアツのピザは冷たくなっていました)
「ママのばかやろう!!」って 言っていいよ。
「ママ うざいわ!!」って 言うてみて。
「ママなんか だいっきらい!!」って言うてよ。
って 言ってみたけれど
娘は 首を横に振って 泣くばかりで
一言も言ってはくれませんでした


(私に 似てしまったかな?)
”言えると癒える” から
娘が 癒えるには まだまだ時間がかかるかもしれません。。。
ただ 私にとっては 昨日と今日が
思ってもみない奇跡の連続だったような気がしています
私は 自ら被害者になり
そして同時にひどい加害者になっていました。
気づいていなかった今までは 罪でありますが
気づいたこれからは 償えるのかもしれません。
京都Beトレからの一週間は
怒涛の勢いで
悲しさと 悔しさと 寂しさと うれしさを
感じることができた 奇跡の日々になったのでした。
(この 奇跡のメダルのおかげかもしれません
)


こうさかあきこさん ありがとうございました
Beトレで あきこさんに奇跡のメダルをもらってから
ぢんさんに質問でき
支離滅裂の手紙を書いて 自ら穴に落ち
バンジー飛んで また飛んで・・・。
そんな 京都Beトレからその後 奇跡の?シリーズを
読んでくださったみなさん ありがとうございました
そして 次に私がしたいこと・・・
あの日 ぢんさんが繋いでくださった
大好きなつぐみさんに 会いにゆこうと思っています
おしまい(番外編また書くかも?書かないかも?)
『私って 父や母に 思ったことをあまり言ってこなかったのかな?』
と 改めて気づきました。
『お姉ちゃんなのに わがまま』
『お姉ちゃんのくせに 素直でない』
という言葉が 自分の中にずっとあって
結構私は わがままを言っていたのだと思っていたのだけれど
心の底の底までは 言えてなかったんだぁ。
そういえば 泣くことで抵抗していたな。
すぐ泣いていた。
学校でも 男の子に「泣き虫!!」とからかわれて
さらに もっと泣いていた。。。
そんな 泣き虫の私はダメなやつだと思っていた。
泣き虫な私は 嫌いだったが すぐ涙が出てくるのは
どうしようもなかった。。。
言葉で表現するのが 苦手だったのかな。
しなくてももう大丈夫と思っていた 父母との話し合いを
なんかしらんけど もう終えてしまったんだ・・・

と 不思議な気持ちですごしていた 日曜日の午後

この日も予定していなかったけれど・・・
前日夜遅くに 関西でのイベントを終えて
途中 寄り道帰省していた娘と二人で
急に でかけることになりました。
次回のイベント用の 衣装や化粧品を探したいので
つきあってほしいらしい。。。


よさこいに誘ってくれたことといい
最近はほんとうに なんだか娘がまあるい

あの時 大喧嘩して 私を蹴飛ばして家出して
もう戻ってこないんじゃないかと思った娘と
また まあるい時間を過ごせてうれしい。
・
・
・
買い物を済ませて そろそろ車も家に着こうかという頃
なぜか 私は 昨日のバンジーのことを
娘に話し始めていました。
娘との関係は 私が心屋塾へ行きはじめてから
少しずつ良い感じに変化してきていたので
それだけでも うれしくて
今どうしようということは 考えてなかったのですが
なんかしらんまに・・・気がつくと
「昨日 おじいちゃん達と 話をしたんよ。」って
話し始めていました。
「ママは 自分でも気づいてなかったんだけど
おじいちゃん(父)に認めてもらうために
今まで 生きてきたみたいでさ。」
私は 運転しながらでしたが
ふと見た隣の娘の目が とても潤んでいたので

『ここで 私 娘にも 言わなければ!!』
という気持ちに 一気に変わりました

「○○ちゃん(娘) ごめん。。。
あなたも ママのために ずっといい娘でいてくれたんよね。
しんどかったんよね。 苦しかったんよね。
ほんとにごめん。長いこと こんなママでごめんなさい

あの時 ○○が出て行って
ママは 自分でも何が悪かったのかわからなくて
すごくつらかったけれど
でも あなたが 出て行ってくれたからこそ
心屋塾に出会えて
やっと 私も自分のことがわかった。
そしたら
〇〇も どれだけ苦しかっただろうって
それが やっとわかったよ。 ほんとにごめん

気づかせてくれてありがとう。 〇〇のおかげ。
長いこと苦しませたね。
でもママみたいに50年もかからなくてよかった。
まだ 半分くらいだから これからはもう自由に!!
もう あなたは 自由だからね。
ママのことなど 気にせずに 好きに生きなさい

どんなあなたも 大好き

娘も私も 涙が止まりませんでした。
娘は 声を出さずに 静かに泣き続けました



(駐車場の車の中で・・・買ってきたアツアツのピザは冷たくなっていました)
「ママのばかやろう!!」って 言っていいよ。
「ママ うざいわ!!」って 言うてみて。
「ママなんか だいっきらい!!」って言うてよ。
って 言ってみたけれど
娘は 首を横に振って 泣くばかりで
一言も言ってはくれませんでした



(私に 似てしまったかな?)
”言えると癒える” から
娘が 癒えるには まだまだ時間がかかるかもしれません。。。
ただ 私にとっては 昨日と今日が
思ってもみない奇跡の連続だったような気がしています

私は 自ら被害者になり
そして同時にひどい加害者になっていました。
気づいていなかった今までは 罪でありますが
気づいたこれからは 償えるのかもしれません。
京都Beトレからの一週間は
怒涛の勢いで
悲しさと 悔しさと 寂しさと うれしさを
感じることができた 奇跡の日々になったのでした。
(この 奇跡のメダルのおかげかもしれません




こうさかあきこさん ありがとうございました

Beトレで あきこさんに奇跡のメダルをもらってから
ぢんさんに質問でき
支離滅裂の手紙を書いて 自ら穴に落ち
バンジー飛んで また飛んで・・・。
そんな 京都Beトレからその後 奇跡の?シリーズを
読んでくださったみなさん ありがとうございました

そして 次に私がしたいこと・・・

あの日 ぢんさんが繋いでくださった
大好きなつぐみさんに 会いにゆこうと思っています

おしまい(番外編また書くかも?書かないかも?)