過去にしたことのある怪我とその改善対処について④ | ランニングパーソナルトレーナー田中康二 Don't worry!Let's Go Running!

ランニングパーソナルトレーナー田中康二 Don't worry!Let's Go Running!

ランニング/トレーニングパーソナルの田中康二が綴る日々のトレーニング日記
    

過去にしたことのある怪我とその改善対処について

パート①

パート②

パート③


高校2年生の秋

高校生活初のレギュラーメンバーとして、
広島県高校駅伝大会の6区担当として出場。

高校生の駅伝は、
1区10km
2区8km
3区3km
4区8km
5区3km
6区5km
7区5km
※小数点以下なし

もちろんウエイトと責任の大きさは距離に比例します。
なので1区がチームのエースであることはほぼ間違いないです。

1区の流れはどの駅伝でも重要な位置づけです。

箱根駅伝も最初の一区で仕事ができなかったチームは、
終始浮かんでくることはよっぽどしっかりしていないと無理です。

2区は準エース、4区も同様です。

ちなみに僕の当時の評価か・・・

「調整力があり、爆発しないけど外さない。計算通り必ず来る」

というのが持ち味でした。


実際に一年生時は必ず周囲に目標宣言していましたが、

記憶するに5秒とレースを外していません。

唯一雨の中でシューズをスパイクされて片足裸足で走ったときだけ、
記録が伸びませんでした。

2年生になっても試走などでも評価通りの走りで、
監督としては安心して6区を任せて頂いたのだと思います。


しかし、当初の予定は1区のみで、
それ以外は詰められて詰められてで、

1区で作った大量の差をほとんどなくしてしまい、
僕のところにタスキが渡る段階で8秒差まで縮んでいました。

見た目では勢いや持ちタイムなど、

明らかに追いかける世羅高校に分がある展開でした。


その中でも非常に安定したラップで冷静な走りができ、
逆に12秒差でアンカーのキャプテンにたすきを渡すことができ、

自分に任された仕事をこなし、
チームは総合優勝できました。

最後は体調不良なキャプテンが死力を尽くしたのか、

ゴールテープを切って指を天高く掲げて倒れこみ、
気絶していたほどの壮絶な状況でした。


その後、試走ついでに出た京都の記録会で、

14分58秒[高校時の最高記録となってしまいました・・・]
をマークし、

やっと14分台に突入しました。



その直後くらいからです。。。。



【痛みの症状】
中足骨の炎症症状がでました。

いわゆる足の甲の痛みなのですが、

中足骨は足部の骨で一番細くて長く、
負担をかけやすく「疲労骨折」などを起こしやすい部位です。

おそらく経験あるランナーならこの痛みや違和感がわかると思います。

当初は接地の度に痛みが走り、
しまいには歩くときにも痛い状況でした。

チームにはすでに準エースの疲労骨折とルーキーの疲労骨折が発覚。
補欠は3名しかおけないので補欠は1名のみという状況でした。

また、重要な区間でなんと4区を指名されていたこと、

控えの先輩には申し訳ないのですが、
力不足を感じずにはいれず、痛みを押して走ることを決意しました。

日増しに強くなる激痛ショック!

数日前の試走では正直満身創痍の状態でした。
とても走れる状況ではありませんでした。

なんとなく美談に聞こえるかもしれませんが、
これはチーム競技としては決していい判断ではなかったかもしれません。

幹部は赤く腫れておそらく疲労骨折をしていたと思います。



【対処療法】
●鍼灸には通いました。

部位故障のため、お金がかかるから先生にお願いして、
部位のケアのみで節約し、またチームメイトには内緒にしてくれと言いました。

一時的には良くなりますがパフォーマンスを落とさないで練習しているのだから、

当然よくなるはずはありません。

●走ったふりをしました。
トラックではなく校舎に走りに行くふりをして階段の踊り場で隠れてアイシングしてました。

●温熱療法
アイシングからのお風呂
交代浴です。幸い、交代浴用にでかいタライを購入するほど熱心な部なので、
これをやっていて違和感に気づく人間がいなかったのでだましだましアイシングをしました。

●消炎剤を使いました
シップですね。でもこれも寝るときだけ。
人前で筋肉じゃない部位に貼ってたらなにを言われるかわかりません。



でも、走っている以上は正直すべて気休めです。
痛みが改善することなく当日を迎えました。

自分の力不足も否定できませんでしたが、
個人では37位。なんと7人に抜かれる大失態でした。

人生でこれほど失敗したレースはないです。



初陣の洗礼ってやつなんでしょうか?



チームも舞い上がっていて、部員全員をかなりの時間を使って前のりさせていたので、
気持ちにズレがあったと思います。

チームメイトで自分の力を発揮できたのは2名ほどで、
他は散々な結果でした。

走った自分自身も全国の猛者たちを前に緊張し、
走行中にはたしか2分55秒で入ったのにも関わらず
後ろからはなぜか名門高校が隊列をなして追いかけてくるし、

当時の走っている最中の記憶がないくらいパニックになりました。

本当に覚えてません。


どんな流れでタスキを渡したのか・・・


終えて残った無念な結果と、


激痛の足を抱え、人生で最初で最後の全国大会が終わりました。




【その後の対処】
足の状態はひどく、年を越してもその痛みが引くことはありませんでした。

駅伝を終えて監督にカミングアウトしたときの逆鱗はいまでも忘れないです。

結局その痛みが取れてまともにレースに出れる上体まで戻るのに、
5ヶ月ほどの時間を必要としました。



【故障期間中のトレーニング】

最高学年として見せるべき姿があり、
それを故障期間に見せるのは毅然とした態度で、
できることを余すことなくやる必要があります。

だから本当に妥協をしなかったです。

接地時の痛みがあるため、
痛みがなくなるまでは歩くことはしませんでした。

朝練習はいつも6時30分からですが、
5時30分には起きてエアロバイクをサーキュレーションを着てこぎました。

当時の知識でできる補強は時間いっぱいまでやりました。

精神論が大きなウエイトを占める高校時代です。
校庭中に響き渡るほどの声を故障中の選手のだれよりも出しました。

みんなが練習を終えても自分が納得するまでトレーニングをしていました。


歩けるようになったら、限りなく最大限の努力でできる早歩きで、
山坂を歩きました。

ついてこれない後輩は置き去りにして寡黙に歩きました。


自転車を使ってプールへ行ったり、
学校のプールを使って遠泳3000mをがんばって行いました。
いま思うと平泳ぎじゃなくてクロールにすべきでした・・・


とにかく幹部に負担をかけないで
痛みがなくなり、必要な感覚が戻るまでは徹底して走りませんでした。


しかし、無念にも広島県高校陸上大会に間にあわない状況でした。


結果的には「思い出作りになるだろう」

とどういう意図でコンディションのままならない僕を出したのかわかりませんでしたが、
まともに走れてまだ数週間の僕も代表で5000mを出場。

結果は15分40秒くらいで散々な結果でしたが、
再びチームの柱として復帰することができたことが嬉しかったです。


【みなさんに言いたいこと】
足部(足首)の痛みは注意が必要です。

なぜなら筋繊維も骨も小さく薄いです。

負担が大きく痛みが伴うなら無理をしないことです。
皆さんが思っている以上にやっかいな怪我につながります。

中足骨に痛みを感じる場合は
・シューズを強く結ばない[幹部に紐がかからないようにする]
・厚みのあるシューズを履く
・試し走りをしない
・炎症があきらかな場合はアイシングを

でも何よりも剥離や疲労骨折している可能性もあるので、
自分で判断しないでまずはスポーツ外科に行き、レントゲンをとることをおすすめします。

骨に影響がある場合は完治に時間がかかります。
負担の少ない別の種目で心肺低下を抑え、パフォーマンス維持に努めましょう。

=KANATA=