狩猟に対する考え方 | クレー射撃・狩猟・ショットガン・クロカン四駆!

狩猟に対する考え方

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猟銃・散弾銃(ショットガン)のお話を中心に、
射撃や装弾、サバイバルや登山、ナイフなどだべっております。
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「狩猟」にはいくつかのスタイルが存在する。

①食糧や物資など生活必需品を得るため
②有害鳥獣駆除
③スポーツ(ゲーム)ハンティング

獲物を食べたり、又は売ることで生計をたてている
「マタギ」と言われる職業は①になるだろう。

現代の先進国において、よほどの僻地で原始的な生活をする者以外に
①に該当するものは少ないはずだ。
客観的に見て②と③が今日のハンターたちに最も該当する。
むしろニコイチと考えたほうが良い。

もし、自分は①だと答えるハンターが大多数だとすれば
ほとんどが嘘か自分を美化したいだけだと言える。

近くのスーパーで事足りるものを
わざわざ大変な労力と無駄金はたいて①のために
動物を狩りにいく理由はないからだ。

ちゃんと食糧とその生産者に感謝してスーパーの肉を食えばいい。
もちろん肉を食べたり売ったり分けたりもするが
それで生計を立てているわけではないので
あくまで副産物であり、やはり趣味としての③と考えるべきだ。

さて、最も社会貢献度が高く世間的にも評価されるべきは
②有害鳥獣駆除である。
大変な労力とコストを払い山へ行き
スズメの涙ほどのお金を行政からもらい
大赤字のボランティア状態で
田畑や森を破壊する増えすぎた野生動物を間引いている。
自分の田畑を守るために行う狩猟は
こちらか①で良いだろう。

そして、世間様から最もバッシングされるのが
③スポーツハンティングである。
シカやイノシシを狩る場合は「ビッグゲーム」などとも言われる。

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【スポーツハンティングについて】※ウィキペディアより
狩猟の中にはスポーツハンティングまたはゲームハンティングと呼ばれる形態も含まれている。これらは、人間が、自然の中で鳥獣を狩る為の自らの知識や判断力を試すために、または、猟犬や猟友との連携を楽しむ事ために行われ、狩猟の行為それ自体または狩猟を通じた他人との交流が目的化されたものである。狩猟本来の目的は薄れ、いわば娯楽や趣味の行為として狩猟が行われるのである。このような狩猟ではスポーツマンシップに則ることが求められており、そのような狩猟行為はスポーツハンティングと呼ばれている。
スポーツハンティングは、古い時代では貴族・王族といった特権階級や富裕層の間で行われ、また武士のような戦士階級の軍事演習としても行われた。近現代においては許認可を受けた一般市民にもスポーツハンティングを行う者が存在している。
現代の日本における鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律では、捕獲した鳥獣については、それ自体および残滓の放置が禁じられ、持ち帰る事が義務付けられている。捕獲した鳥獣は、食用にする以外にも剥製にして観賞用とされることも多い。
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私の場合、ただ猟に出るだけであれば
もちろんスポーツハンティングに該当し、
要請があれば駆除も行う。
そのようなスタイルになると自覚している。

もちろん、命をいただく以上
得た獲物は可能な限り回収し捕った肉は
おいしくいただいたり分けたりする。

どうしても回収しきれなかった分が出た場合は
(地形や、獲物が大きすぎて運べないなど)
できるかぎり解体して小分けにし運べる分だけでも運び
残りは残念だが地中に埋めることになる。
又は、許されるなら沢や雪で冷やし一時的にキープし
後で回収に向かう。
半矢(負傷まで)の状態で逃げられ追っていけば
かなり不利な地形でとどめを刺すこともあり得るし
私は将来的に単独猟をするつもりなので
その場合にシカやイノシシを運ぶのは骨が折れる。

ただし、私の目指すところとしては時として①になり得る。

「無補給単独登山」

これの達成のために狩猟の技術は欠かせない。
どのような難易度でこれを行うかは自分の成長によって
段階的に行っていくつもりだ。
ゆくゆくは誰もなしえなかったことをしてみたい。

登山自体が自己満足のスポーツであるため
その中で狩猟をおこなえば③ともいえるかもしれない。
但し、あくまでも「生きるため」に捕獲するのだ。

仮に、スポーツハンティングを否定する人がいれば、
(いや、実際にいるわけだが)
私は人の価値観の違いとして考えている。

義務や生活の糧としてハンターをやっている者は少ない。
ほぼゼロに等しい。

だから殺生はよせというなら
趣味としての魚釣りも殺生である。
「釣った魚を食べる・剥製にする」
「狩った鳥獣を食べる・剥製にする」
私には同じにしか思えない。

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