「どうせ」・「しょせん」は排除しよう






作詞家の阿久悠さんが亡くなってから、8月1日で一年になる。



阿久さんが作詞をするときに、独自に定めていた「作詞憲法十五条」というのがあるそうだ。



「おんな」と表記されていたものを「女性」に変えられないだろうか・七五調に変わる、心地良いリズムがあるのではなかろうか等々。



それ以前の演歌や歌謡曲で曲作りのセオリーとなっていた事柄に疑問を感じ、試行錯誤の中で自ら取り決められた「作詞憲法十五条」。



その中の一項目が、冒頭の「どうせ」・「しょせん」というワードは排除しよう!という前向きな考え。






確かにこのような歌詞が入っていると、あきらめ感や無駄感が漂う。



日常会話などでも同じで、これらのセリフが登場すると聞いてる方もどっと疲れる。



スポーツや戦闘の場面ではもってのほか。周囲の士気も低下する。



今まで、そこまで注意しながら歌を聞いたことはないが、一字一句が人の気持ちに与える影響って凄いんだなあ、と改めて感じる。



若い頃の彼女に言われた言葉を思い出す。




「よしあき(俺の偽名)は(プレイ時間が)長いんだもん!」





上の文中の、「は」一文字にどれだけ苦しめられたことか。頭の中の、仮想敵の男と格闘していた。



俺も気を付けよ~、一字一句で周囲に不快な思いをさせないように。



けど、








どーせ」俺は、「所詮は」しがないババ専だからなぁ(笑)



「しがない作詞家」というギャグは、今回は自粛します。