それは少年時代~亡くなるまで見えたものです。
私は11歳でした。場所はポルトガルで、時代や名前はわかりません。
石畳の坂道を歩いて登っています。ハンチングのような帽子をかぶり、
ポロシャツのような形の少しえりの大きめのシャツ、サスペンダーに、
短いズボンのような格好をしています。
ガールフレンドらしき幼なじみ女の子を迎えに行き、当時珍しい機関車を見に
行くようです。
芝生の広がる公園のような場所に沢山の人だかりができています。
そこで何か催し物のようなことが開催されているのでした。
それは子供ながらに印象深く心に残った楽しい思い出だったのでしょう。
そして、場面が切り替わりました。
それは家族との夕食を食べる姿でした。
長方形のテーブルを囲み、私は片側に座り、両親は真正面に、そして
まだ幼い弟は私と両親を挟んだ端の所に座っています(誕生日席のような位置です)
何かをふと感じた瞬間がありました。
「あっ地震が来る!!」と。
そしてすぐに大きな地震が襲って来ました。本能的に心の準備ができていた私は
反射的に身をかわし、逃げることができたのです。
しかし、その地震で弟が犠牲になり、助けられなかった自分が悔しくて悲しくて
仕方なかったのでした。
それと同時に、自分自身の直観力というものをより強く信じるようになっていくのです。
その地震をきっかけにか・・・経済的な理由でかわかりませんが、
私は親元を離れて一人で暮らすようになるのです。
暗い部屋でこつこつと勉強をしています。羽のついたペンでインクをつけて
(書きづらいのですが)文字を沢山書いています。
そして・・・時は流れて私は50代くらいになっていました。
立派な体格と、あごひげと口ひげを生やし、白衣のような白いシャツを着ています。
私は、精神科医になっていました。どちらかと言うとカウンセラーのような形で
薬を処方することよりも、話を良く聴き、自分の直観やインスピレーションで
答えを導くというやり方をしていました。
そのせいか女性の(クライアント)患者さんが多かったようです。
格子のような小さい窓枠が連なった窓側を背にして私が椅子に座っています。
テーブルを挟んでクライアントが座るという感じです。
なのでクライアントが外の景色を眺めながら相談ができるという部屋なのです。
それは彼が考えて配置したようでした。そして、患者とは呼ばず、
「クライアント」というような表現をしています。来客者とか、訪れてくれた人のように
病人として扱わないことが彼の信念でもありました。
そして・・・時は流れて・・・
私は教会の棺の中にいました。私は亡くなり、葬式が行われています。
死因は心臓発作が原因ですが、ほぼ老衰でした。(死期が訪れていたらしいです)。
ですので、苦しまずに亡くなっています。
見ると沢山の人が訪れていました。ほとんどが彼のクライアントでした。
そして私ははその訪れてくれた人の顔を見て喜ぶのです。
「あ~~。みんな元気になって・・・。嬉しいなあ~・・・。よく来てくれたね・・・。
あ~~。この人も元気そうだ。あ~うれしいなあ。本当にありがとう。
あ~。うれしいな~。ありがたいな~・・・。」
現世の私は涙がぽろぽろ流れるのです。それは感動の涙でした。
亡くなっているのに、感動しているのです。
多くの人が私の死を見届けてくれた・・・。
私の人生はこれで良かったのだ・・・と。感無量の涙でした。
私は沢山の人を救うことができた。
私は弟を救えなかったことを心のどこかで責めていました。
でもそのことがきっかけにもなり、自分の道を決めたのですから、
それは間違っていなかった・・・と再認識できたのです。
棺の中の自分を皆が覗いていくわけですから、皆の表情がみれるのです。
訪れた人たちは彼のおかげで元気になったり社会復帰できた人など
彼にどうしても感謝の意を伝えたく来ていますので、それは彼が心で受け取り、
感じているので、その感動の大きさは彼の生涯で一番でした。
最期にそれを体験できて転生することはとても幸せなことでした。
そして、彼は上へ登って行きました。
白い雲のような世界へ・・・。
そして、現世の私に赤い布張りの表紙の分厚い本を渡してくれました。
両手で持っても重いくらいの分厚い本です。
「その中に、沢山の知識と、「経験」、「知恵」、「勇気」「学んだこと」
などが詰まっている。
「感」で生きる心を持ちなさい・・・。
あなたにはそれができるのだから・・・」
と私の両手を握りパワーをくれました。
(私の心の中に分厚い本がある・・・)
それはとてもありがたくて、嬉しいギフトでした。
その前世を見た時に私は何か生まれて来た意味を感じたのです。
「私も人々の役に立てる存在になろう。
それは私にできる!」・・・と。
生まれて初めて根拠のない自信というものを感じました。
「セラピスト」のような存在を目指す!きっかけとなるのです。
彼の存在と赤い本は間違いなく私にインスピレーションをくれています。
それを実感することが何度かあるのです。
友人や知人などの相談に乗っている時に、気が付くと、口が勝手にしゃべっているような
状況になることがあります。
もちろん無意識で会話をすることは誰でも経験があると思いますが・・・。
頭で考えたことでなく、何か頭の「インスピレーション部門」を使って
会話していることがあるのです。
その時は「あっレッドブックだな・・・」と思うのです。
まだまだレッドブック読破するのには時間がかかりそうですが・・・
あと何ページあるのでしょう??と思いつつも・・・
私の修行はまだまだ続きます・・・m(__)m。
