「原子力戦争」あるいは、田原総一郎 | さすらいの「Angry old man」                     

「原子力戦争」あるいは、田原総一郎

田原総一郎は、ドキュメンタリー映画を志す者たちの希望の星だった。
岩波映画を経て、東京12チャンネルのディレクター、劇映画の監督・・・・・、
彼は、一世代前の土本典明や小川伸介のような記録映画作家とは異なって、
テレビというマスコミの中で、ドキュメンタリーの手法を使って
自己表現をすることを確立したディレクターであった。

$さすらいの「Angry old man」                     -田原1














ドキュメンタリー映画を志す者、誰もが、いつかは田原総一郎のように
テレビの世界で、自己のアイデンティティを表現できるドキュメンタリーを
作ることを目指した。

30年以上前のことである。

田原は、東京12チャンネルのディレクターでありながら、
筑摩書房の月刊誌「展望」に原発をテーマにしたノンフィクションを連載していた。

題名は、「原子力戦争」。

或る時、「原子力戦争」の連載が中止となった。
突然のことであった。
田原は、ある雑誌のインタビューで当時の事情を、こう話している。
「原子力戦争というテーマで月刊誌に連載して、
この連載の記事で、原発のPRを担当している
大手広告代理店を怒らせちゃってね。
連載を辞めるか、会社を辞めるか、
と迫られて、僕は会社を辞めた。」

大手広告代理店とは、電通のことなのか。

「原子力戦争」を連載中、田原のもとに
一通の内部告発文書が届いた。
関西電力、の燃料棒折損事故についてである。
告発文は、美浜1号炉で折損した燃料棒から
燃料ペレットが原子炉容器内に飛散、
秘密裏にこのペレットを回収し燃料棒を
交換したというものであった。

当時、社会党の代議士だった石野久男は、この事故について国会で追求した。

$さすらいの「Angry old man」                     -石野代議士




通産省は、調査すると言って明言を避け、
関西電力は「そな事実はない」と言って事故を隠し続けた。
石野の執拗な追及を受け、3年以上もたって、ようやく通産省と関西電力は
事故の事実を認めた。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b080005.htm

当時から、電力会社の原発事故隠しは日常化されていのだ。

1976年、「原子力戦争」は、単行本として筑摩書房から出版される。

$さすらいの「Angry old man」                     -原子力戦争本



















内容は、原子力そのものの恐ろしさと、それにまつわる人間たちの
エゴと欲をドキュメンタリー形式で書いた小説である。

テーマは、実際に起きた原発事故、関西電力美浜原発の
燃料棒事故と東京電力福島原発の火災事故。
原発推進派の政治家、官僚、電力会社、地元有力者と
事実を追求する田原総一郎と思しきテレビ局の
ディレクター大槻との戦いが描かれている

田原は、「原子力戦争」の中で、原発の危険性を訴え、
今回の事故を予測していた。
また、綿密な取材をもとに利権や政治家、官僚、学者、
電力会社との癒着なども鋭く暴いている。

この本の中に、双葉町の原発反対派岩松忠男という男が出てくる。
双葉町は、今回事故のあった福島第一原発がある町である。

定かでないが、岩松忠男は岩本忠夫がモデルだとも言われる。

岩本忠男は、元社会党県会議員。
福島県原発王国の基礎を作った木村守江知事の方針に
反対し、反原発の旗手として戦っていた男である。

岩本忠男は、県会議員に落選した後、双葉町の町長になる。
そして、突然、原発推進派に転向した。

なぜ転向したのだろう・・・・、
金・・・、権力・・・・、
いずれにしても、悲しい話だ。

岩本忠男は、双葉町町長当時、あるPR誌にこんな事を書いていた。
「双葉町は、原子力発電所との共生をしてきた。
共生していくということだけではなくて、
運命共同体という姿になっていると実は思っています。
ですから、いかなる時 にも原子力には期待をしています。
「大きな賭け」をしている、「間違ってはならない賭け」を、
これからも続けていきたいと思っております。
原子力発電は私の誇りです。」と。
「Plutonium」原発関係のPR誌
http://www.cnfc.or.jp/pdf/Plutonium42J.pdf

岩本が言うように、正しく双葉町は、
原子力発電所と運命共同体であった。
その結果、双葉町は、放射能汚染という危険極まりない
事態に陥り、最悪な結果を迎えることとなった。

岩本の誇りは、地に落ちた。
それどころか、双葉町の住民たちは、先祖代々から
住んでいたこの地に、二度と留まる事が出来なくなってしまった。

東京電力をはじめとした電力各社、国家、学者は、
原発は、「安全だ、安全だ」と言い続けてきた。
しかし、安全ではなかった。

もともと安全は、嘘だったのだ。

なぜ、人は嘘をつくのだろう。
嘘をついて得をする人がいるからだろうか。

福島県の原発がある地域には、東電が作った
地域情報連絡会議という組織があという。
この組織は、CIA並みのきびしい情報管理をおこなっていたと言われる。
 
東電のいう安全=無事故とは、「事故をなくすことではない。
事故が起きてもそれを闇に葬り去って、外部に公表しないことだ。」と
田原は「原子力戦争」の中で言う。

「原子力戦争」を書いた当時の田原総一郎は、真実を追求する
情熱とその取材力は称賛に値するものがあった。

しかしながら、「原子力戦争」は、テレビの討論会で、
革新的で、真実を追求する如く見せながら、
予定調和的に権力の望む方向に議論を導く
今の田原総一郎からは全く想像もつかない本なのだ。

かつて、ドキュメンタリー映画を目指す者たちの星だった
田原総一郎は、大きく変わってしまった。

なぜだろう・・・・、

原発は、人を死に至らしめるだけでなく、関わった人の良心までをも
変えてしまう危険なものだからなのだろうか・・・。

1976年、「原子力戦争」は筑摩書房から出版された。
その後、講談社から文庫化されたが、今では絶版となっている。