アメリカはヤバイと言えばヤバイ。

ヤバクないと言えば全然ヤバクない。

心配性か?そうじゃないかの違いだったりしてな。

もはや禅問答だが時間というものを歴史で考え三年間ヤバイと言い続けて何もおきなかったぞ?としよう。

この三年間は生きている人間には長く感じて狼少年に聞こえる。

歴史的に軸を取れば三年や五年は微差。

一体、何処に世界が繁栄に向かう兆しを感じるのか?

悪化の一途だろう。

崩落曲線というのは突然ストンと落ちる。

繁栄か?崩落か?来世紀の話は知らないが今後十年な。


パリ郊外ベルサイユ宮殿の当局者は9日、同宮殿敷地内で2010年に行われる現代芸術の催しの一環として、美少女フィギュアなどで知られる日本のポップアーティスト、村上隆さん(48)の作品展示会を行うと発表した。

当局者によると、展示会は9月12日12月12日で、村上さんのフィギュア作品など計15体を敷地内に飾る。

フランス公共ラジオは「最もメディアの注目を集めそうな催し」とした上で「論争も予想される」と評している。

村上さんの作品は08年5月に、米ニューヨークのオークションで約1516万ドル(当時のレートで約15億9千万円)で落札されるなど欧米で評価が高い。

同年には、米誌「タイム」で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100209/erp1002092333011-n1.htm
ポップアーティストの村上隆さん(画像)
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/europe/100209/erp1002092333011-p2.jpg
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/europe/100209/erp1002092333011-p1.jpg

信用創造が経済用語なら同じものとして美術界は信用想像なのだろうか。

日本の金=ゴールドの保有量が少ない事を危惧する意見があるが、美術品のようなかたちで価値の保存機能を担わせるものが自由に(他者は自由では無い)創造できるのなら、まさに錬金術。

金=ゴールドはいらない。

村上隆氏の美術とは、「日本」ブランドをどう扱うかのという技法のひとつの手法、錬金術のレシピではないかと思うのだが、どうだろう?

装飾品としての価値はゴールドの価値の一面でしかない。

寧ろ信用創造できない(人工では作れない)有限性と物質としての絶対安定性が重要だ。

さまざまな通貨(国家)が滅んでもゴールドは国際通貨として流通している数千年の歴史が証明している。

資本主義を生みだし、世界に広めた欧米自身が信用通貨というものを根本では信用していないのではないか?というのが問題提起。

平和ボケと言われる日本人の個人資産に対する金の保有率は如何程だろう?

自分が外国人と交流した経験から推測すれば恐らく最低ランクと思う。

主要国・機関の金保有量

      金保有量        外貨準備に
                  占める比率

米     8133.5トン     78.9%
独     3412.6       71.5
IMF    3217.3          
仏     2487.1       72.6
伊     2451.8       66.5
中     1054.0        1.7
スイス   1040.1       41.1
日      765.2        2.2
蘭      612.5       61.7

世界一の債務国アメリカは世界一の金(ゴールド)保有国であり、外貨準備に対する割合は79%である。

世界一の債権国日本の金保有は世界で7位であり、外貨準備に対する割合は2.2%でしか無い。

日本の公的保有分の現物は国内に無くアメリカにあり、その理由は外国からの略奪に対し防衛できないからという建前である。

日本は金の公的保有増を制限されている。

フランスがアメリカに預けていた金を自国に持ち帰る時は、軍艦によって護衛した。

先ず軍事を整備して核を持たないと何もマトモな事が出来ないが・・・現実的ではない。

核不拡散体制からの離脱はウランの輸入がストップする事を意味する。

日本の電力のどれほど原子力発電に依存してるのか・・・また敵国条項を忘れたてはならない。

日本の核武装妄言は合法的な外国軍隊の占領に結びつきかねないし日本が戦敗国な認識を継続するべきか・・・。

戦争や革命が常態だった欧州は時の権力が発行する通貨を信用していない。

日本は明治以前は長く平和だったのでお上が発行する通貨を信用する。

上記は金の保有率の違いの一因と考える。

それに加え、日本の国力を削ぐための国際的圧力もあるだろう。

日本は近代以降、明治維新と敗戦で2度も通貨破綻を経験している。

つまり世界一の債権国、世界一の個人金融資産国である日本は金持ちでは無く紙持ちである。

為替も金融も通貨も信用を担保として成り立っている。

信用が損なわれれば、それらは紙切れもしくはPC上の数字データでしかない。

今後、さらなる危機で各国各企業が疑心暗鬼となり信用が失われた場合、現物資産の価値が上昇する。

日本は資源も農産物も弱小なのだから、それに代わる金(ゴールド)の保有を高めるべきなんだろうか?

国内市場で最大級の30兆円産業私営賭博でガンガン抜かれ薬漬にされてガンガン抜かれる。

日本人の貧困化の根本原因の問題から逃げて日本人の貧困化がどうしたなどと語っている奴らは全てインチキだ。

副島の属国論とは人は武力で支配するという武力論、堺屋太一の知価社会論とは人は満足すると飽きるという飽きる論、両方正しい。

同じ武力ならば貧乏人が強いく金持ちは弱い。

貧乏人は失うものが無いが金持ちは失う者だらけだから逃げる。

帝国はこの矛盾を上手く解決した時に訪れる。

貧乏人の支配領域拡大による所得拡大衝動と金持ちの金儲け衝動が一致すると世界を奪いにかかる。

基盤は軍事力の強さ。

モンゴルは馬の突破力、航続力(草がある限り燃料補給不要)を最高度に利用した形態である。

イギリス軍は帆船の力を最大限に使った。

ネルソン提督は帆船時代だ。

米軍は石油の力を最大限に使った。

だから石油を使えないと弱く戦車から出たらすぐ負ける。

100対1の武装の優位がないと戦場に出ても行かない兵隊だ。

米軍は実は非常に弱いのが特徴でアフガンゲリラには金持ちのアホに見えてるだろう。

武器が敵と同じだと非常に弱いが武器が完備すると非常に強い。

これが世界の構造を決めると言う議論が属国論。

確かに事実である。

一方、知価論は文明論で人は飢えをなくす為に働くのが工業化社会で今は満足の為に働くと言う知価社会への転換中だという。

これも正しく人はパンの為のみに生きるにあらず。

だけではない、と言うのが大切で職が保証されないと生きれないのは自明。

だから食が達成された後の動機を説明している。

知価社会には人々は飢えから解放される必要がある。

飢えている世界では知価は成立しない。

つまり金持ち道楽論。

科学力によって生産が過剰になれば過去の王侯貴族の生活を庶民がする事になる。

そうすると価値も王侯貴族の価値観=美しさや、満足、趣味、などに移っていく。

工業力で豊かになった前提が必要。

で究極の金持ちは質素がかっこ良いとなる。

茶道の美学だ。

貧乏人上がりの秀吉は金ピカが大好きだが利休は大金持ちなんで金ピカに飽き飽きしてる。

質素は豊かさの美学。

それで日本の文化が西欧でもてる。

西欧の美学の根源にある貪欲の肯定が下らない物にみえる。

確かに西欧の宮殿は下らない装飾品=金色で満ちていて全く興味を引かない。

ディズニーランドも同じで結局、ハリボテだ。

豪華という装飾は精神の貧しさが無いと立派に見えない不思議な文化だ。

一方、盆栽や生け花は全世界、宇宙の暗示だから広く、いかようにも解釈可能。

万物に神が宿れば、道ばたの石ころも宇宙と同じ生成過程を経ている。

草木も同じ。

宇宙の暗示が可能である。

万葉集や古今和歌集は究極の知価と言える。

堺屋の議論は文明の動き、好況、不況を説明できるが現実の闘争を説明できない。

属国論は戦争や闘争を説明できるが文明の基軸の変化を説明できない。

要するに属国論は「人間は強欲だ」理論で権力論。

知価社会論は「人間は飽きる」論で文化論。

だから両方正しい。

しかし現実の歴史を動かすのは多分・・・権力で強欲。

今世界で一番強欲なのは中国人だから覇権は中国に移るかも知れない。