大菅小百合自転車参戦、その理由と効果 | SPEED SKATE LOVE

大菅小百合自転車参戦、その理由と効果

2002年、サンキョー・スケート部が自転車競技に参戦し、そこで自転車でも日本トップクラスのタイムを連発する大菅小百合は、自転車連盟の合宿に本格的に参加し、秋のアジア大会に出場。500メートルのタイムトライアルで銀メダルを獲得し、大きな注目を集めた。


もちろん、レース感覚を磨く、競技は違えど、大きな大会に出場して、勝負勘、レース勘を養うといった目的もありったが、実は、そうしたアスリート的な部分以外の理由、そして会社にもたらす効果があったのは否めないと感じる。


清水宏保、島崎京子の2枚看板を擁し戦った長野五輪をピークに、スケート部は縮小、廃部の危機に何度かたたされていた。長野五輪後、清水、島崎の2枚看板を相次いで失い、その後、期待の新人大菅小百合が順調に成長を見せ、長野の次の五論、ソルトレークシティでは羽石、大菅の2人を送り込むもメダル獲得ならず。相次ぐ企業スポーツの縮小、撤退の波は三協精機(当時)にも押し寄せてきた。


2002年春には、それまで8人居た部員が4人に減っていた。新人で大菅小百合の実妹、淳子を新人として取っていたので、実質的には5人の選手が部を去っていた。


しかし、大菅小百合の自転車での活躍が、また世の中に三協精機という名前を広める結果にも繋がったのは確かだ。名門と言われながら衰退気味のサンキョー・スケート部の冠を、再び注目させたという部分でも、大菅小百合の自転車での活躍は、非常に大きな出来事となったのだ。


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簡単にそう言ってしまうのは、やはり躊躇われるが、正直、傍から見ていて、そう考えられてもおかしくはなかったではないだろうか。