さぶろ~のブログ
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

夜想曲―ノクターン―

明日、倉本聰作・演出の舞台『夜想曲―ノクターン―』を観に行く。

今年始め、今も福島第一原発で働いているハッピーさんがTwitterでこれ観たいなって言ってて、それから倉本聰さんのインタビューを読んで、福島のことを考え、助けていることを知り、このお芝居を観たいと思ってチケットを取った。


[以下のインタビューは、去年の10月か11月頃のものです。転載させていただきました。]

倉本聰は最新作『夜想曲』に何を込めたか
 




声高な訴えばかりに耳目が集まり、語り継がれるべき本質には誰も耳を貸そうとしない。時代の喧騒によって、我々の受信力は、すっかり衰えてしまったのだろうか。倉本聰が作・演出を手がける最新作、富良野GROUP『夜想曲-ノクターン-』は、そうした問題を考え直すヒントに満ちている。

東日本大震災とそれに伴う事件を経て、倉本が耳を傾けてきたのは、故郷を奪われ、人生を寸断されてしまった人たちの叫びだ。倉本は言う。「震災後、富良野も福島からの疎開を受け入れたんですけど、その活動を知った浪江町の女性から手紙が届いたんです。東電の社長や総理大臣に出してもまったく返事をくれない、同じものを送るといって。それから交流が始まって、浪江町の立入禁止区域に入る機会も得ました。で、その方のお宅を見てこようとしたときに、道を訊こうにも訊く人がいないことに気づいたんですね。これには衝撃を受けましたね。町に人がいないとはこういうことなのかと」。

もうひとつ倉本を突き動かしたのが、南相馬市の詩人・若松丈太郎による一編の詩だった。「チェルノブイリのことを20年前に書いたその詩の中で、もしも同じような事故が福島で起きたらここが危険地帯になるとして挙げられた町の名前が全部、今度の被害に遭った土地になってしまっている。読んでびっくりしました」。

物語の舞台は、原発事故避難区域にある彫刻家のアトリエ。無人と思われたその場所に、人影が現れる。津波で娘ふたりを失った中年男、若い新聞記者、そして女性彫刻家、彼女の妹……。原発事故以来、壊れた彫刻のピエロが転がったまま、時が止まってしまった室内に、やがてそれぞれの想いが浮かび上がってくる。

忘れ去られていく人たちの、忘れ去られていくことの悲しみ。倉本はその描写に、ショパンの『夜想曲(ノクターン)第20番』を添わせた。「ショパン自身、亡命して、ワルシャワに帰れなかった人間なんですね。“遺作”のサイドネームを持つこの曲を、今回は子供たちが演奏します。この連弾はいいですよ。泣けます」。国や時代、立場や意識の違う人間の心をつなぐとき、やはり音楽が果たす役割は大きい。

来年1月10日(土)に富良野演劇工場で開幕し、全国各地で上演。公演地には福島も含まれている。「当事者がどういう反応をとるのか、これがいちばん怖いです。百万人を感動させられても、ひとりを傷つけたら、作品は発表しちゃいけませんから」。昨年8月に富良野で最初の発表を行った後も、丹念に推敲が続けられてきた『夜想曲-ノクターン-』。饒舌に理屈を押し通す者などそこには登場しない。まさに音楽のようにこぼれ出す声なき声に、しばし心を重ねたい。


そして、1月10日、北海道は富良野から公演が始まった。
今日から東京での公演。
[1日、初めて福島県南相馬市での公演の様子がYahooニュースで上がってたので転載させていただきました。]



“心の奥底を代弁” 「ノクターン―夜想曲」感動の拍手響く
福島民友新聞 2月2日 11時29分配信


カーテンコールで観客から花束を受ける倉本さん

 南相馬市のゆめはっとで1日に県内初演を迎えた倉本聰さん(80)脚本の演劇「ノクターン―夜想曲」。会場には震災、原発事故から丸4年を迎えようとする中で今なお避難生活を続ける相双地方の住民も詰め掛け、被災者の思いを代弁する舞台を見つめた。カーテンコールでは観客からの拍手が鳴りやまず、感動の大きさを物語った。会場には、劇中に登場する詩を書いた同市の詩人若松丈太郎さん(79)も駆け付け、舞台を見守った。
 「表層的な悲劇ではなく、心の奥底を代弁してくれた」。同市小高区から同市鹿島区に避難する安部あきこさん(68)は、原発事故の不条理さを描く精緻な描写に声を詰まらせた。「家があっても戻れない避難者のつらさ、それぞれの苦境をよくここまで表現してくれた」。安部さんは食い付くように舞台に見入った。
 劇中には患者を病院に残して避難するかどうかの判断を迫られた看護師が、苦悩を吐露する一幕がある。元看護師で同市原町区の渡部京子さん(61)は、震災直後の状況について倉本さんの取材を受けた経験を持つ。「ありのままの原発事故が描かれていて、若い看護師が悩んでいたことを思い出した」と振り返った。
 「この舞台は原発事故後の将来へ向けた警鐘」。浪江町から相馬市に避難する根本洋子さん(72)は、舞台にちりばめられた、豊かさを追求する現代社会への警句に息をのんだ。舞台の主人公と同じく、家族を津波で失った友人を持つ。「気持ちが重なり、最後まで引き込まれた」
 南相馬市鹿島区の岡孝雄さん(64)は、震災、原発事故の風化に怒りをぶつける主人公に自身を重ねた。「風化に一石を投じる舞台。こういう作品が必要なんだ」と力を込めた。

福島民友新聞



今も辛く苦しい思いをしている人達の気持ちに寄り添うことはできても、理解することはできない。けどこうしてお芝居を通して、分かること、知れることがあると思います。

観に行ったら、また感想を書きます。

http://www.kuramotoso.jp/ver02/img/play_2015_nocturne_01.jpg

東京はもうチケット完売のようだけど、他にも公演する場所があるので、興味がある人は上のサイトから富良野GROUPの活動内容やスケジュールを見てみてください。


明日、雪が強く降りませんように🙏




あけまして

おめでとうございます。

遅くなりましたが、今年もゆるゆるたまにブログを書いていくのでよろしくー。

昨日の仕事始め、職場の大好きな友達が、きっと私に必要だと言って、こんなステキなものをくれました。



松岡修造の日めくりカレンダー!
1日1つ、修造さんからの自分を励ます言葉が刻まれてるの。
31日分の日めくりなので、月が替わったら、また1日からめくり直すのです。
ちなみに昨日は、



自分を持ちたいならサバになれ!

しかもね、どうしても弱って元気が出ないときにしか見ちゃダメよってのが日めくりの終わりにあるの。もちろん、まだ見てないです。何が書かれてるんだろう…

毎日修造に励まされてると思うと、心強いよ。
何より、コレを見つけてくれた友達に感謝、ありがとう。



お世話になりました

今年もなんとか生きられた、それでよし。

楽しいこともツラいことも、嬉しいことも悲しいこともそりゃあったけど、こうして最後に一年を振り返られたからいい一年だったのかもね。

今年のライブもハイエイタス中心。

2月9日のSTEP in FUKUSHIMAは大雪の影響で延期になり、幸運にもいわきにたどり着けた私と友は、急遽開けてくれたclub sonic いわきで初めて、ACIDMANのライブ(弾き語り)を聴けた。

4月25日にSTEP in FUKUSHIMAリベンジ。ここでLOW-ATUSが誕生したんだよね、楽しかったなぁ、漫談(笑)
2回もいわきに行けたおかげで、東京から意外と近いな、て感じたの。
来年もまた、行きたいな。

5月27日はthe HIATUSツアー@Zepp Tokyo
前の記事読み直したら、この日初の最前列で観たんだった……あまり覚えてない(笑)ダイバーとモッシュでぐったりだったのかも。

6月27日 the HIATUSツアー@宮古クラブカウンターアクション
この日は一生忘れられない日になったよ。




初めての東北ライブハウス大作戦のハコで木札が書けて、細美さんと話せて握手までできた夢のような日。
宮古の人とライブが観れて、心がとても暖かくなれた日。
また行きたい。

7月22日 the HIATUSツアー@新木場
楽しかったなぁ、この日。
最前でみんなで観れて、体がバキバキになったけど、むっちゃくちゃ楽しかった! 
それと、初めて大人数で打ち上げできたことが嬉しかったよ。

9月7日 BAYCAMP 2014@川崎
初ベイキャンも思い出深い。
雷雲が近づいてるからって途中で中断したり、雨の中、the HIATUSのライブが始まるのを待ったり、BRAHMANのPLACEBOをトシローさんと歌う細美さんの姿に感動したり、楽しかったな。ベイキャンもまた行きたい。

12月22日 the HIATUS@武道館
いまだにまだ余韻の中にいる。
なんも考えないで思いっきり楽しんだな。
周りを見渡して、人がたくさんで、見上げれば日の丸。鳥肌もんだった。
感想はまた、ゆっくり書こう。



ライブはそんなに行ってないけど、今年は行きたかった東北に行けたこと、初めてライブ遠征してその土地を少しでも回れたことが大きな収穫。
それから、Mめちゃんも言ってたけど、石井麻木さんの写真展に行けたこともよかった。

今年もらったたくさんの笑顔や気持ちを忘れないで、ちょっとだけ強くなってまた来年、頑張ります。
関わってくれたみなさん、今年もありがとう。
来年もよろしくです。






1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>