MBA留学記 in マドリッド and ボストン

MBA留学記 in マドリッド and ボストン

Spain/Madrid のInstitute de Empresa(IE) Business School、及びUSA/BostonのThe Fletcher School Law and Diplomacy留学記です。

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12月19日(金)の卒業式に出席する為、イスタンブール経由の17時間フライトを経て、2日前の17日深夜4か月半ぶりにマドリッド入りした。元々、卒業式への出席可否の連絡がStudent officeから来た際に、交換留学先のボストンからマドリッドに戻るかどうか一瞬迷ったが、やはり確りケジメを付けて皆とお祝いしたかったので行くことにした。深夜街に着くと街はクリスマスモードに突入していた。イルミネーションが非常に綺麗だった。



まだ「倫理とグローバルガバナンス」の最終レポートが残っており、結局飛行機の中でも書ききれなかったのでホテルで続きを書くはめになった。マドリッドに着いた翌日朝10時に仕上げてスタバから提出。これで、全ての課題は終了しあとは翌日の卒業式を待つばかり、ということで友達と久々にメシを食べることが出来た。日本人友達と好例のマッシュルームを食べた後、最も仲のよくなったTerm1のワークグループ"7up"のディナーへ。今回は、僕以外は皆家族連れで参加だ。このチームの国籍は、日本、オーストリア、ベネズエラ、チリ、フランス、インド、アメリカ。またオーストリア人の中国人の彼女の母親も来ていたので、8か国。英語が堪能で無い両親の方もいたので、言語は英語、フランス語、スペイン語、中国語。もうこうした環境にも全く違和感が無い、というか完全に日常になった。本当、慣れって面白い。会話の内容は、他愛もない話ばかり。卒業式後みんなと別れてしまうと、もう今後かなり長い年月会わなくなるのだろうが、そうした関係になるのが中々リアルに想像出来ないので、不思議とそこまで寂しさを感じなかった。


卒業式当日は晴天。ちょっと早めにホテルを出て、徒歩でGranviaからGregorio Maranion駅まで歩く。会場に着くと紺地に金色でie IMBAと書かれた襷を掛けられた。中々カッコいい。


式はトータル2時間で、ネットで中継される。よって、日本の両親も見ることが出来たようだ。



ただどういう訳か入学式の様な昂揚感は沸いてこなかった。会場がカテドラルではなく、コンベンションセンターの様な所だったからか、子連れが多く頻繁に鳴き声が聞こえるにぎやかな雰囲気だったらか。時差で疲れていたからか、いやもうプログラムは終わって特に感慨も無いからか、もしくは、既に1月からの配属が決まっていて、頭が既に留学モードから切り替えられてしまっているからか。いやひょっとしたら、この15か月に亘る留学生活が終了し、現実世界に戻ればならないことに対し、現実を直視したくなかったからかも知れない。


壇上に登って卒業Certificateを手渡されても、そんな感じだった。でもしかし、2時間の式を終えカクテルパーティが始まり友達と最後写真を撮っていたりすると、ある種の達成感の様なものが込み上げてきた。準備期間から考えると3年以上に経っている長い長いJourneyも、ついに終了。具体的に学んだことや手に入れたことは沢山あり意識出来ることもあるが、学びの大部分は、身について自然になってしまい意識出来ない所に確りと格納されたような気がする。


大学時代の様な、純粋に毎日が楽しくて、将来に対しては期待と不安が織り交じった感じ、同じようなクオリアを幾度となくこの留学生活中に感じることが出来た。30代半ばに入り、既に社会的には一定の責任を負わねばならない年齢に達しながら、こうした感覚に再びなれるとは、なんと幸せなのだ、と我ながら思う。


卒業式を英語でcommencement(始まり)ともいう。今は何かとってもスッキリした気持ちと、この先の生活の希望、そして純度の高いやる気が胸中にあり、よいcommencementを向かえられたようだ。将来ふとこの留学時代を振り返ることが今後幾度となくあるだろうが、それは人生のトータルの同じ時間軸の中に位置しながらも大変異質で、濃厚でポジティブな、清々しい、そして多少切ない記憶として、思い出されることになるだろう。



MBA journey, done!!





MBAに行くべきかどうか、行く意味はあるのか、行く前に随分考えた。というのも、1~2年のキャリアの中断と、2,000万円/年のコスト(実費+機会コスト)が掛かることもそうだし、何よりもここが明らかにならないと受験勉強を続けるモチベーションが続かないから。



受験中に留学経験記を随分と読んだが、結局何を学んだのか・得たのか曖昧なケースが多かった(視野が広がったとか)ので、自分なりに無理やり整理して、でも結局整理しきれないまま受験を乗り切ったように思う。


実際にプログラムを終了して、向上したと思える知識・スキルや得たものは以下の通り。
沢山列挙することは出来るし、実際そうだと思う。


・経営基礎知識:経営戦略、財務会計、マーケティング、オペレーション、HR,一通り経営科目を体系的に学ぶ。これにより、会社経営の全体像がある程度頭の中に出来たので、今後マネジメントとしてやっていく基礎体力はついたであろうし、またそうならななくても全体感を持って動けるようになったと思う。


・政治経済知識:特にフレッチャーに於いて、骨太なマクロ経済理論、国際政治経済理論をざっと把握することができた。ビジネス面以外での、国際社会の大きな潮流を把握する眼を、多少なりとも養えたように思う。


・英語:まだ非常に苦心しているが、そこそこに英語で議論を出来るようになった。また文章を読むのがあまり苦でなくなった。


・思考方法:問題へのアプローチの仕方・論点設定がうまくなったと思う。


・ダイバーシティシティ環境への対応:インターナショナルな環境でそれなりにコミュニケーションを取り、プロジェクトを進める力をつけることができた。


・自己整理:過去の経験の整理・掘り下げにより一本自分の中に軸が出来た。


・友達:日本人同級生に限らず多くの友達ができた。また極めて高い成果を出す人の習慣や人間力に自直接触れることができ、大いに参考になった。


・自信:仕事と両立しながらの受験準備からプログラム完了まで「やりきった」ことにより大きな自信を培うことができた。


また、別の纏め方をすると、この留学期間中は、経営スキル体系学習、英語力強化、国際経験、自己の集中的振り返り等を一纏めに凝縮して経験することが出来る。このセットで経験出来ることに価値があるともいえる。


また当然ながら「転職機関」としての位置づけも大きいので、キャリアを大きく変更する際のクッションとして、利用されることもある。IEの同期の友人の少なくとも3名は起業するし、私費組は当然新たな機会にチャレンジするチャンスを手に入れた。僕自身は元いた会社に戻る決断をしたが、以前と会社への向き合い方、仕事への姿勢は大きく異なることになると思う。



結局濃淡はあれど、プログラムを終了した今言えるのは、やはり先輩方が言っていた「人それぞれ」という所に落ち着いてしまうし、まあそうなんだろうと思う。


上記の内容、そしてまたそれ以外も、求めれば求めるだけ自分に返ってくる、コストは一定だけど、リターンはその個人次第で大きくも小さくもなる。


僕自身は、何度も挫けそうになりつつも、本当に受験勉強を続けて、MBAにチャレンジしてしてよかったと思うし、後輩にもぜひ薦めたいと思う。上記の一般的な項目もそうだが、もう少し自分の超主観的な視点から整理すると、大きく二つ。


一つは、精神のポジショニングが変化していることだと思う。
60か国以上の同級生と触れ合う中で、自然に自分の思考や物事の感じ方が、幅広く多様になったと思われる。(これは特にフレッチャーでそうだが)世の中にある様々な大きな課題とその解決に携わる方々から、多様な世界の形を少し理解出来たように思う。また本当にスゴイ友達と触れ、その特徴である自然なパッションの継続と執着心を持ち物事をやり切る習慣、そして純粋さを見るにつけ、なんというか、人生に対する心の構えというものを学んだ気がして、マーケティングでいう心のポジションが変化した様に思う。ダイバーシティへの理解と世の中を俯瞰する眼。こうしたことを理解出来るように心のモードが切り替わったように思う。


もう一つは、改めて青春時代の感覚に戻れたこと。
社会人になると責任も伴い、仕事自体はダイナミックなこともあり面白いが、着実に大人になり、なんというか、感性も段々と固まってきていたように思う。
仕事に対する責任も無く、明日の予習とこれからのキャリアについて時間の大部分を割くことが出来る状況で、友達と純粋に将来のイメージを語ったり自己と対話を深めたり。その過程で、心の奥底に沈んでいた懐かしい感覚を思い出すことが出来た。将来に対する漠然とした不安とそれを上回る期待、自分の可能性への信頼、時間に対する哀惜。機械的・人工的になりがちな生活で凝り固まった感性が、この機会に大分ほぐされたように思う。豊かで瑞々しい毎日が送れる様に、工夫して日々を充実したものとしたい、そう思えるようになった。人生の充実にとっては、実は最も大事なことかも知れない。


なんだか最後はMBA留学でなくてもよさそうな纏めになってしまったけど、これが今の気分なので、まあそういうものなんだと思う。抜本的に能力が向上したとかそういう類の経験ではなく、心的態度のベースが大きく変化する。これが、どのキャリアを歩むにせよ、数年後、数十年後の未来に大きく変化を及ぼす要因になる。そういう思いで、今後やっていきたい。



 

8月最終日にボストンに到着してから早3か月。そして、ボストンを離れるまで丁度2週間となった。マドリッドを離れて新しい環境で、ビジネスではなく国際政治経済を学ぶ、その試みにワクワクし、実際毎日の授業や生活が楽し過ぎて、非日常のまま過ぎていった3か月だった。その楽しかったボストンの生活も終了間近、留学期間も1か月を切ってしまった。夏休みの最終週に入ってしまった様な、寂しさとこれからの新生活の希望、そうしたものの混在した心境。

ボストンでの残りの2週間は、各授業のレポートと期末テスト、そしてIEの方の卒業試験もあり、感慨に浸る間も無くあっという間に過ぎて行ってしまいそうだ。しかし、たかが2週間、されど2週間。2週間あれば、また一皮むけることが出来るかも知れない。ということで、最後までペースを落とさずに、各種カンファレンスにも参加しつつ駆け抜けようと思う。終わりよければ全てよし、ということで、一番充実した2週間となるように集中して行きたい。

明日は、ケネディースクールでの2つの授業の最終回となる。メドフォードからケンブリッジまで週二回通ったのもこれで最後と思うと大分さびしいが、必ず終わりはあるもの。まあ仕方ない。予習して、最後に備えようと思う。

第4回は倫理とグローバルガバナンス(Ethichs and Global Governance)。この授業はハーバードケネディスクールでの授業だ。元々ケネディでは他の授業を取りたかったのだが、一杯だったので同じ時間にやっていたこの授業に参加してみたら意外に面白かったので履修を決めた。


ビジネスの面に限らず、人生の選択に於いて、様々な意思決定を行わなければならない。AかBか。究極の判断を迫られた場合、その判断基準となるものは何か。何が正しくて、何が間違っているのか。答えが出ないことを分かりながら、それでも自分なりに判断基準となるようなものを作る為にも、とことんまで考え抜く訓練を、この授業を通しやりたかった。



1.全体の感想:
最初の理論編はよかった。功利主義のベンサム・JSミル、またカントやアリストテレス、孔子の思想を一しきり学んだ。

他方、移民、気候変動、貿易等に就いて倫理的に考える応用編に入ると、どうしても実現性の無い理想論を唱えるだけの空虚な議論に思えてしまった。倫理の議論は、何がRight, Justice, Fairなのかを考える、ひょっとして実行とは位相の違うことなのか。特に授業の後半からそういう違和感を覚えながらの参加となった。


言わずもがな、倫理を説く人が必ずしも倫理的で無い様に、これを学んで実際に自分の中で何かが変わるのか、変わったのか、正直分からなくなった。これが正直な感想だ。がっぷり四つで組むべき科目に対し、どこかで冷めて肩すかしをしていたのかも知れない。


またこれは、自分自信が究極の選択に迫られる様な切迫感の状況では無い話に、どうしても感情移入出来なかったのが原因かも知れない。結局、人権、移民、気候変動、不平等貿易等の問題に対し自分の問題とは感じられないので、何かそうしたことに対し言葉遊びをする様なことに虚しさを覚えたのかも知れない。


基本的な常識に照らし合わせれば、意外と間違うことは少ないんじゃないか、と思う。但し、この常識が知らず知らずの内に自分や組織の都合のいい常識になってしまう可能性があり、ここが問題ではあるが。


2.理念の大事さ:
但し、世の中を動かしうるのは矢張り普遍性のある言葉であり、これは個人の倫理観からも来るものであると思う。政治は、遠大な理想を掲げつつ超現実的に動くという、ある種曲芸が求められると思われるが、やはり究極的には正しい理念に人は動かされるのだと思う。建前と本音は随分違ったりするのだが。


誰かが一定の負担をしなければならないグローバルな課題に対し、倫理的な判断から来る理想が、一つ一つ現実になっているのは、国際機関のUNCHRやNGO等で実例を見ることが出来る。向こう30年後位には、今回学んだことがちゃんと理解し肚落ちするようになっているのかも知れない。少なくとも、目の前のことからちょっとずついいことをしようと思う。


3.西洋的・東洋的:
生徒のドイツ人が、論語の内容があまりにも相互に矛盾しており、「状況により最適に判断する」という、ある種軸の無い考え方に、何度も違和感を唱えていたのが印象的だった。「いやだって、絶対的な基準が無いと、何が正しいか分からないじゃん」と。


乱暴に東洋と西洋を分けてしまえば、


東洋は直感的・身体的・主観的。
西洋は論理的・頭脳的・客観的。


なので、西欧人(とこれも乱暴に括ると)を納得させるためには、言葉の筋・論理を確りと通さなければならない。逆にちゃんと通すことが出来れば、納得してもらえることが出来る。この感覚を得られたのは非常によかった。



尚、授業についていくのは非常に大変だった。言葉の問題もあるし、そもそも概念自体が難しい。
教授も難しい言い回しを使うし専門用語も出てくる。正直、講義内容をちゃんと消化しきれたとは
言い難い。日本語でやったなら、もっと大きな気付きがあったのかもしれないが。


いずれにせよ、贅沢な時間だった。来週の2回で最後です。


3つ目は外交(Diplomacy)について。


外交という、何となく秘密めいた、華やかな、そして国家の大きな方向性に関わるスケールの大きさから、元々興味があり履修した授業。フレッチャースクールは若手外交官養成スクールと言われることもあり、実際、日本の官僚に限らず、20代前半~30代前半の若手外交官・候補がおり、彼・彼女らと触れ合う貴重な経験となっている。この授業でも、アメリカの外交官候補、コロンビアの現役外交官等が参加していた。



この授業、以前述べた通り上品な紳士の教授による授業で、戦前と思しき白黒写真が沢山飾ってある雰囲気のある教室(クラウンルーム)で、一つの長テーブルを囲んで課題部分の教科書を読みながら、教授の(時に脱線しまくる)格調高い説明を聞く。現実世界から遊離した様な錯覚を時々覚える授業でもある(寝てません)。


外交に関わるトピックを包括的に網羅した授業であった。トピックは以下。


外交理論、外交の歴史、ウィーン会議、外務省、大使館・領事館、国際会議、国際機関、地域外交、サミット、特使、外交交渉、外交言語、コミュニケーション、パブリックディプロマシー、インターネット、外交儀礼、文化外交、経済外交、新外交、グローバル化。


正直、特定の何かを学んだという感じがしないのがツライ所ではあるが、学びのポイントは以下になるか。


1.Intellectual Capital:
「Intellectual Capitalを蓄積せよ」は教授の口癖。これは、バランスオフパワーの基本概念やウィーン会議の概要等、重要なエッセンスを完全に記憶せよ、ということ。ネットの検索機能にあまり頼ってはいけない、本を確り読んで、ちゃんと大事な所を覚えなさい、というメッセージ。また知識だけではなく、Conceptual Skillsを鍛えなさい、とも。


ボストンに来て非常に困っているのは、膨大な文献を読んでも細かい内容はどんどん忘れていってしまうということ。今でもそうなのだから、今後暫く経てば頭の中から綺麗になくなってしまうのかな、と思う。まあ別に学者になるつもりはないので、細かいことは忘れても構わないと思うが、本質的なエッセンスは記憶しておきたい所。

この点、例えば1814年ウィーン会議や、そこで実現されたバランスオフパワーの考え方はきっと頭に残るだろう。またサイドリーディングとして読んだ『国際紛争』(ジョセフナイ)『国際秩序』(細谷雄一)2冊で、国際政治の大まかな考え方と18世紀以降の歴史の流れを押さえることが出来たのはよかった。


尚、これは特にアカデミックの世界に限らず言えることなのではないかと思うが、ある程度の数値目標を達成するために、最も効率のよいことをやるということからは到達出来ない世界がある様に思う。興味を持って、どこまででも探究していくからこそ、膨大な知識が蓄積出来るようだ。


どうも性格的に怠け者の癖に成果を早急に求める為、どうしても効率重視に走ってしまう自分にとって、自由自在に文献のフレーズを正確に引用するその博覧強記な教授の姿は、純粋に、また羨ましくも覚えた。


2.外交に関わる包括的理解:
外国との交際=外交とは詰まる所、日本の国益の為の行為であり、また特にNegotiationがその神髄。少し長いが、教科書の定義を引用。


Diplomacy is an essentially political acitvity and, well-resourced and skillful, a major ingredient of power. Its chief purpose is to enable states to secure the objectives of their foreign policies without resort to force, propaganda, or law. It follows that diplomacy consists of communication between officials designed to promote foreign policy either by formal agreement or tacit adjustment. Altough it also includes such discrete activities as gatherng information, clarifying intentions and engendering goodwill, it is thus no surprising that, until the label "diplomacy", was affixed to all of these activities by the British parliamentarian Edmund Burke in 1796, it was known most commonly as "negotiation".........Together with the balance of power, which it both reflects and reinforces diplomacy is the most important institutionof our society of states. (G.R. Berridege, 2010)


これを頭に置きつつ、また日本の安全保障の課題を踏まえると、先日のサミット、日中首脳会談の為の特使派遣、TPPの交渉等の外交等のニュースの理解がより深まったように思う。個人的な課題はこれをビジネスの世界でも上手く活用していくことなのだが、大きく以下2点であると思う。


1)カントリーリスクアセスメント:

これは投資検討時に分析するものであるが、そのプロジェクト自体のFSをやることと比較し、あまり詳細な検討はしない(できない)傾向がある。あくまでも補完的要素にすぎないが、大きな枠組み(これは外交というよりも、国際政治といった方がよいかも知れない)がどの様に変更していくのか、しっかりと洞察する為の基本を身に付けることが出来た。今では、CIAやモサド等のインテリジェンス機関とのコネクションはあるのだろうか。そうした所から情報を取ることも考えなければならない。


2)民間外交:

民間の立場で、外交、というか外国との関係を良好にする為に出来ることは何だろう。それは、やはりビジネスを推進し関係各国でWin-Winの関係を構築することであると思う。いやビジネスに最早国家の枠組みはあまり関係ないだろう、という意見もあるだろうが、グローバル化が進むことにより逆にナショナリズムが強くなる傾向も、特に天然資源の一次産品に頼る国には見て取れる。一民間人の立場ではあるが、ビジネスを通し相手国とどの様に良好な関係構築に貢献できるか、
この観点は忘れないようにしたい。


3.ウィーン会議:


オーストリアのメッテルニヒと英カースルレイにより主導されたと云われるナポレオン戦争後のウィーン会議とナポレオン戦争の原因のフランスを巻き込んだバランスオフパワーの構築は、正に外交交渉の神髄を見る思いだ。その後のヨーロッパ協調(Concert of Europe)に繋がる、様々な叡智が詰まったこの会議を調べることが出来たのはよかった。