ドビュッシー(1862-1918)は,1862年にフランスのサン・ジェルマン・アン・レーに生まれた作曲家です。「亜麻色の髪の乙女」,オーケストラで演奏される「牧神の午後への前奏曲」,さらにはオペラ「ペレアスとメリザンド」などの作品で知られた方です。



実はドビュッシーの両親は,音楽には何の関心も持っていなかったそうなのです。つまりドビュッシーは,その生家では音楽的な素養を育まれることなく育ったことになります。



では,彼の芸術的才能を刺激したものは何だったのか,と申しますと,それは絵画だったのです。彼は事情により伯母さんに育てられたのですが,その伯母さんが裕福な生活をしていた方で,絵画のコレクターだったのです。



そしてドビュッシーは,伯母さんがカンヌに引っ越したのに伴って移り住むことになります。カンヌは青く,美しい海で知られる街です。少年時代のドビュッシーの感覚に,絵画だけでなく,海の景色と香り,そして潮騒の音色が影響を与えたのです。





そのドビュッシーが生きた時代,絵画の世界ではいわゆる印象派の画家が活躍し,大きな影響を与えていました。ドガ,モネ,ゴーギャンやロートレック。歴史的な宗教的・写実的な絵画の世界ではなく,人々が風景を見て感じる「印象」「感覚」をキャンパス上に表現しようとした人々です。



ドビュッシーは音楽家でありましたが,上で申したように,少年時代から絵画に大きな影響を受けた方でした。同時代を生きた印象派の画家とも多く交流を持ち,影響と刺激を与え合ったという話が残されています。ドビュッシーとその作品群は「音楽における印象派」という評価を受けているのです。



実はそのパリで活躍した印象派の画家の方々に大きな影響を与えたのが,日本の江戸時代の浮世絵でした。ゴッホが浮世絵に強い影響を受けて,その作品の中に浮世絵を登場させていることは有名なことですね。



日本の浮世絵から影響を受けたパリの印象派の作品群。そしてその印象派の画家の作品群から影響を受けたドビュッシー。国が違え,芸術の表現方法が違えども,心の中に感じる「何か」を,真っ白なキャンパス,そして楽譜に彩りを与えることで表現したのです。



ドビュッシーの代表作に交響詩「海」があります。その「海」は葛飾北斎の連作『富嶽三十六景』の一つ,『神奈川沖浪裏』にインスピレーションを受けた作品として知られているのです(ドビュッシーの同作品の楽譜の表紙には,北斎のその絵が描かれていたのです)。







少年時代にカンヌの美しい海を見て育ち,その芸術性を育んだドビュッシー。そのドビュッシーに芸術的な影響を与えた北斎の海の絵。



大切なことを感じること,そしてそれに自らの価値観を通して作品として表現すること。それは私達が人であるがために行われる創造活動であって,そこには国境も,言葉も関係がないことを教えてくれるエピソードだと思います。





そのドビュッシーの代表作に「月の光」があります。1890年から作曲され,1905年に出版された四曲からなる「ベルガマス組曲」の第三曲で,甘美な旋律で有名なピアノ曲です。それと同時に,ドビュッシーが印象派,印象主義への第一歩を踏み出したことでも知られた作品なのです。



その作品「月の光」は,降り注ぐ月の光が描写された作品でありますが,音楽評論家の人々の間では,ドビュッシーが重きを置いているのは,その月や月光の直接的,表面上の描写ではなく,むしろそれに投影された人々の心の描写である,と評価されているのです。



印象派が白いキャンパスに描いた鮮やかな色は,この世で懸命で生きる人々の人生における喜びと悲しみの色です。青空の光,海の輝き,月の光。ドビュッシーがその生涯をかけて描こうとしたのは,人々の人生にかけた思いそのものだったのかもしれませんね。