フェルメールは,オランダを代表する画家です。以前の記事でも書きましたが,オランダのハーグに,マウリッツハイス美術館に収録されている代表的な作品「真珠の耳飾りの少女」が,「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」と題する展覧会に展示される作品として,日本にやってくることになりました(朝日新聞社など主催)。



展覧会は,来年の平成24年6月30日から9月17日に東京都美術館で,その後9月29日から平成25年1月6日に神戸市立博物館で行われる予定です。早く絵に会いたいですね。





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そのフェルメールの絵には,「絵画芸術」という,とても美しい作品があります。




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「絵画芸術」は1666年から68年にかけて製作された,と言われています。現在はウィーン美術史美術館に所属しています。



実はフェルメールは,この「絵画芸術」を,元々は聖ルカ組合という,芸術家のギルド(協会)に寄贈する目的で描いた,と推測されています。でも,描かれた1660年代後半から死ぬまで,フェルメールは結局この絵を手放そうとはしなかったのです。その経緯からして,フェルメールがこの絵に特別な愛着を持っていたと考えられています。



そのフェルメールのこの絵への愛着を知っていた家族は,フェルメールの死後,なんとかこの絵が家族から他の人へと手放さなくてすむように,様々な手段を講じたとされています(経済史学者モンティアスの調査でそれが明らかとなったそうです(朽木ゆり子他著『フェルメール巡礼』(新潮社,2011年)61頁))。



フェルメールの妻カタリーナは,フェルメールの死後,多額の債務を抱えていました。分かっているだけでもパン屋,薬屋,酒屋,フェルメール家で雇っていた女中などに対しての債務です。そのためフェルメールの家族は,家財やフェルメールの絵などの多くを売りにださざるをえなかったのですが,フェルメールの妻カタリーナは,この「絵画芸術」を手放さなくてすむようにと,フェルメールの財産目録が作成される5日前に,公証人のところに行き,「絵画芸術」を母マーリア・ティンスに譲渡する手続を行ったのです。



ところが,フェルメールの遺産管財人に任命された微生物学者アントニ・ファン・レーウェンフック(1632-1723。近時,『生物と無生物の間』で著名な生物学者の福岡伸一氏が,このレーウェンフックの著作に残された生物のデッサンを描いたのはフェルメールではないか,との大胆な説を唱えて話題になりましたね。ご関心をお持ちの方は,福岡伸一『フェルメール光の王国』(木楽舎,2011年)をご覧下さい。),は,その母への「絵画芸術」の譲渡を見逃しませんでした。レーウェンフックは「絵画芸術」を,フェルメールの遺産に所属した財産であるとして,競売リストに載せたのです。



それに抵抗した母マーリアは,公証人に依頼して「その絵は自分に譲渡されたものであり,競売で売られるべきではない。もし売られたら,自分にはそれを差し押さえる権利がある」という内容の手紙を作り,それ遺産管財人のレーウェンフックの所に持って行かせたそうです。でも,抵抗むなしく,「絵画芸術」はそのまま競売で売られてしまったのでした。



ある人の占有する財産につき,強制執行が行われる場合に,その財産は実は自分の所有物である,と主張することを「第三者異議の訴え」と言います。母マーリアは,必死になって,その訴えを行ったのですが,その思いはかなわなかったのですね。



以前の記事にも書きましたが,絵は白いキャンパスの上に,絵の具で描かれた存在にすぎません。でも,人の心を掴んで止まない絵が確かに存在するのです。そこには何があるのだろう,と思います。



「絵画芸術」に対するフェルメールの思い,さらには母マーリアの思いは,「芸術」を追及されている方々が目指されているものを示唆しているように思います。そして活字である法律に影響を与えて,芸術のように動かして行くべき私達法律家も,同じものを目指しているように思うのです。