「時間講師」という存在 | 中学受験つれづれ-プロ家庭教師の独り言-

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中学受験に携わって25年になりました。日々、生徒と触れ合う中で感じることを発信していきたいと思います。

 早いもので,前回のアップからあっという間にひと月以上が経ってしまいました。

 25年度の中学入試も終わりました。まだ数字を精査していないのですが,今年は例年にも増して入りやすい入試だった印象があります。リーマンショックからこの方,明らかに,経済的に中学受験をさせられる家庭は「し得」,という感じです。今年も「うーん,五分五分よりちょっとだけ分が悪いか」と思っている子たちがボコボコ志望校に受かりました。つまり,今や僕の見立て自体が時代とズレているのですね。


 その辺りはまた回を改めて。


 さて,前回の続きを書く予定だったのですが,今日は予定を変更して塾の時間講師について書きたいと思います。


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 時間講師とは,読んで字のごとくお給料が1時間ごと(あるいは1授業コマ)の時間給で支払われる講師のことです。塾や予備校は戦力の大半がこの時間講師です。また少子化で経営が厳しい専門学校はむろんのこと,私立の中・高・大学も時間講師の占める割合が年々高まっています。


 大学の時間講師の時給ってどれくらいだと思います?びっくりするほど安いです。僕が知っているのは数年前のMARCHの文系学部ですが,1時間あたり2700円。もちろんそれだけでは食べていけませんから,大学の講師の先生たちはほとんどが塾・家庭教師で副収入を得ています。


 私立の中高の時間講師も時給は同じ程度です。この私立中高の時間講師の最大のメリットは,講師として経験を積めばその学校に専任教員として採用されることです。知り合いが家庭教師センターの相談員(派遣の手配をする立場の人)をしているのですが,彼曰く,「家庭教師として優秀で評判の良い時間講師は,すぐに勤めている学校から声がかかる。専任になるとほとんどは『兼業禁止規定』があるから,途中で担当生徒を放り出す形になる。仕方がないとはいえ,痛い」と言っていました。逆にずーっと時間講師を続けている人は,やはり家庭教師として派遣してもいまひとつ評価が高くないそうです。特に1年ごとに勤務先の学校が変わっている講師は要注意で,要するに勤務先の学校が懲りて次年度の契約を更新しなかった,ということの証しとか。なるほどねぇ。


 採用する立場の私立中高の幹部の先生に言わせると,「一度専任で採ってしまうと,よほどのことがない限りやめさせられない。だから時間講師で様子を見て,ということになる」とのこと。「覇気がない,性格が暗い,陰険」あるいは「授業が分かりづらい」⇒(よって)「生徒の評判が悪い」。しかしこの程度で辞めさせるわけにはいかない。最悪,裁判になったとしても学校側が勝てるような非行がない限り,退職を促すことはできない。よって時間講師でその辺りをじっくり吟味して,ということなのでしょう。


 この「日本の被雇用者(労働者)に手厚すぎる解雇法制は,経営リスクの一つになってしまっている。アメリカとは言わないまでも,大陸ヨーロッパくらいに緩めないと,逆に非正規雇用を増やすだけだ」という意見は,経営者側もしくは経営サイドのサポーター学者に根強いですね。逆説的ではあるけれど若者の雇用を増やすには,今より何倍も解雇しやすくするべきだ,と。

 この問題に関しては僕は完全に専門外ですから,軽々とは意見は述べられませんが,何となく一理あるのかな,という印象はあります。


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 すみません,また話がよれました。


 この時間講師のお給料は前述のとおり,基本的には授業をやっていくら,という体系です。普通は講師は,授業の15分前とか30分前に出勤(大概の塾には定めがあります。しかし例えば30分前に出勤したからといって,その30分間はお給料は発生しません。その30分なりの準備時間は,まともな授業をするための必然の時間,ということです),授業後は特に拘束されずにプリントの整理などが終わったら自然に帰っていい,という仕組みです。面談などがあるとその分は「事務給」みたいな時間給をつけてくれる。といってもコンビニのレジのバイト代と同じくらいの時給です。また手が足りない時には試験監督などもお手伝いしますが,その時給は授業給と面談の時の事務給の中間くらいの時給だったりします。(渋い塾だと面談だろうと試験監督だろうと,授業以外の仕事は全部いっしょくたで950円/時とかで計算されてしまう)


 今は働き方が多様化していて,「契約社員」とか「準社員」「嘱託社員」という名称もあり,一般企業では役職についていながら正社員でない人もいるようです。しかし今から20年くらい前までは,世の中には正社員とそれ以外の人しかいなくて,正社員でない人は「パートまたはアルバイト」と呼ばれていました。その二者択一の判別で言えば,時間講師は正社員ではないので「アルバイト」ということになります。今でもたまにご父母と話していて「えーっ,先生ってバイトだったんですか!」と言われることがあります。これは,どう応対したらいいんでしょうね。僕は苦笑しつつ,「ええ,正社員でない人をアルバイトと呼ぶのであれば,僕はアルバイトになりますね」としか言いようがありません。一度などは「おたくは大切な授業をアルバイトに任せているのかっ」と大声を出して席を立ったお父様がいましたが,これはこの業界のルールをご存知ない,という点につきると思います。サピックスだろうと日能研だろうと,授業を持つのはほとんどが時間講師,ということを知っていれば,そんなことは言いませんよね。


 時間講師に保険と年金はありません。自営業の方と同じですね。国民健康保険と国民年金です。これが痛い。僕は以前,正社員だったこともあるのですが,そこからフリーランスの塾講師になったときに激痛だったのがこの保険と年金でした。今,僕の世帯で払っている年金と健康保険は月額約80,000円です。年間にすると約100万円。いったんお給料として懐に入ってくるものの,払うことを義務づけられている以上,無いのと一緒です。このあたりの塾講師・家庭教師の年収等についてはまた改めて書きます。ですから今回はあまりこの部分には踏み込まないようにしますね。


 さて,ほとんどの塾では時間講師は自分専用の事務机はありません。書きものなんかがあるときは空いている机を借りて,その机の持ち主が帰ってくると慌てて違う空き机に移動する…。あるいは職員室に一脚長机がおいてあってそれを使って書き物や採点をする。そんな感じです。もちろん専用のパソコンなんかありっこないので,家で作ったプリントを印字したいときやネットから取り出したい時などは,恐る恐るPCを使っていない専任の職員の方に「すみません,5分だけお借りできませんか」と頼み込む。ロッカーもないので私物ひとつ,管理に困る状況です。見かねて優しい専任の方が「××先生,僕のデスクの二段目お使いいただいていいですよ」なんて言ってくれると,ちょっとした文房具とかファイルなんかを入れさせてもらう。よくオフィスで壁面にくっつけておかれているトレイケースってありますよね。透明なアクリルでできていて引き出し型になっており,A3のプリントを折らずに入れられるような。多くの塾ではあれが大活躍で,「小6S1」とか「中2特」なんてラベルが貼ってあって,その中に授業で使用したプリントや生徒から回収した小テストの答案が入れられています。だいたいは余っているトレーがいくつかあるもので,それを拝借してプリント類を入れておきます。


 まあ不便と言えば不便です。また単に便利,不便の問題だけではありません。オフィスを舞台にしたドラマや小説で,よく比喩で「君のデスクはないよ」なんていったりしますね。要するに「居場所」という意味でしょうけど,何て言うんでしょう,自分のデスク=ヤドカリの貝みたいな,デスクが「勤め人の証」的存在だったりします。だからデスクがない生活になったとき,ヤドの貝をなくしちゃったヤドカリみたいなものでひどく不安定で,心細い心理を抱いたものです。


 また,身分も不安定です。要するに生徒が減ってコマがなくなっちゃったら仕事がそのまま消滅します。

 例えば,普段,ある塾は新5年生は新年度,3クラス編成でスタートしていたとしますね。ところがある年,「この人数じゃ,3クラスいらないよね。当座は2クラスで行こう」ということになったとします。すると,そこに入れようとしていた時間講師の仕事はただなくなるだけです。なんの保障もありません。1月の終わりに教室長から手を合わせられて「先生,ごめんなさい。2月からの木曜日は『空き』になっちゃいました」なんて言われます。こちらはそこで不満顔しても仕方がないのでにこやかに「ああ,分かりました。じゃ木曜日は来なくていいですね」と返す。先方はお愛想もあって「でも春期明けにはきっと3クラスになると思いますので」なんて言ってくれる。でもこれは口約束のレベルでさえありません。本当に塾側がその予定でいる時ははっきりと「でも先生,4月からは3クラスに分けますから,木曜日,そのまま空けておいてくださるととても助かるんですけど」と意思表示をします。そこで「分かりました。じゃほかの仕事は入れないようにしておきますね」と応じれば,口頭ですけどある種の約束が成立したことになります。先ほどの場合は「お愛想」。こちらも「そうなることを期待してますね」と応じるものの,内心では(いま見ている家庭教師のご家庭がもう一コマ増やしてほしいっておっしゃってたな。木曜日に入れるとするか)なんて思っています。


 塾の方では目測を誤って,3月になった瞬間に3クラスに分けるべき人数に達してしまったとします。しかしここで慣れている教室長なら気軽に「××先生,3月から木曜日入れましたよ」なんて言わない。もう1月の終わりで空きになった時点で,僕の木曜日は,塾のモノではないんです。だからいつでも自由にできると思われても困ります。「先生,木曜日,埋められちゃいましたよね」という尋ね方(あるいは「まだ木曜日,空いてます?」)をするものです。こちらは引き受けたければ「ああ,大丈夫ですよ,普通に休みにしていただけですから」と応じますし,今更引き受けたくないやと思えば「ごめんなさい,木曜日埋めちゃいました」と答えます。


 ドライですか? でもそんなものですよ。この業界って。


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 では,時間講師をしている人は,どうして時間講師をしているのでしょう。変な質問ですね。いやつまり,時間講師の人がそんな不安定で不便な生活に甘んじているのは,本人が望んでその身分でいるのか,それとも本当はもっと安定した身分になりたいのになれないからその状態を我慢しているのか。


 ほかの人は分かりませんが,僕は前者です。つまり簡単に言えば「好きでやっている」。僕の周りの時間講師の人たちも圧倒的に前者が多いなぁ…。


 以前にも書いたように今は塾の冬の時代。専任の職員の方の抱えるストレスたるや,一昔前の比ではないでしょう。生徒募集のための広報活動(チラシ配り・ポスティング等)で9時10時に出勤,その分の時間外手当の申請もしない(できない)。すぐ「あいつは使えない」と烙印を押され,パワハラすれすれの叱責を繰り返し自主的に退職するよう仕向ける。おそらく業界全体の離職率はものすごく高いと思います。


 そうそう,入試が終わった今の時期,「ああーやれやれ,今年も無事に終わった。2月くらいのんびり骨休めをしよう」なんてのん気なのは時間講師だけです。2月と言うのは,今までボリュームゾーンを形成していた小6・中3がごっそりやめる月です。昨今は小6・中3の全塾生に占める割合が6割近くまで上昇していますから,要は半分以下の生徒数になってしまう。例えば全教場合計で2500人いた塾は2月は1000人強になってしまうわけです。現場で働く人間は,これはそういんもんだ,と思っている。それが春期から5・6月,夏期,9月,と徐々に増えて行ってまた来年の1月には2500人くらいになっている。ところが「上」はそうは思わないようです。「このまま全然新規入室がなかったらどうするんだ。うちの塾,つぶれちゃうぞ」と不安心理に襲われるらしい。だいたい塾という業態は,9月くらいの生徒数で利益が出るようになっているそうです。損益分岐点,という例のあれです。それが6月7月の段階で利益が出る塾は優良経営の塾,10月過ぎてようやく利益が出るのは「経営のヘタな塾」であるということを聞いたことがあります。だから2月の人数で損益を考えたら赤字に決まっている。上に向かって「ちゃんと今年も増えるから,そんなにオタオタしなさんな」と言ってやりたいところです。


 また2月は合格実績を謳う紙媒体(新聞広告や折り込みチラシ等)がどの塾も花盛りです。この2月で今後一年の生徒募集の帰趨が決まる,的なこと言われ,プレッシャーも大きい。幹部の社員は広報に任せっきりというわけにも行かず(いつ何時「責任感に欠ける」なんてドヤされるとも限らない),目薬差し差し,校正したりパソコンの画面とにらめっこしなくてはいけません。「不安になる」→「何か動かないといけないんじゃないか」→「そうだ,ホームページに手を入れよう。いまのままじゃ,弱い,弱すぎる!」or「よし,広報活動に例年以上に力を入れるぞ。明日の××塾の入試報告会のビラ配りの手配,どうなっている?何ぃ??一人しか手配していないだと!?バカモン!!甘すぎるっ」or「そうだ,職員の合宿をして若手社員に意識改革を施そう。おいすぐ都内のホテルをおさえてくれ」…etc… おそらく日本中の塾でこんな光景が展開されていることでしょう。
 
 2月3月は,だから幹部社員・広報関係の社員にとっては決して楽しい季節ではありません。不機嫌でイライラしている経営者をなだめ,その経営者の思いつきに右往左往させられ,ビラ配りに駆り出され,合間を縫って今いる新6年生や新5・4年生の父母と面談をし…。むしろ一年で最も憂鬱な季節かもしれません。12月1月って,どの塾でも無理をしますよね。そして入試が終わったらゆっくり家族を温泉にでも連れて行ってやりたいな…なんて思う。でもいざ2月になったら,とてもとてもそんなことは叶わない。不機嫌で怒鳴りまくっている経営者に対し,休暇の願いなど言えるわけもない。なんとか無理をさせた若い職員に骨休めをさせるのが精いっぱい,といったところです。


 僕も何年もそんな2月3月を過ごしました。ビラ配りの帰り,公園のベンチに腰かけて青空をバックに咲いている梅の花を見上げ「あ~あ,俺の人生ってなんなんだろう。こうやってぼろ雑巾みたいになっていくのかな…」なんて嘆いたことを思い出します。


 それに比べると,不便ですし,明日をも知らぬ境遇で不安定だし寄る辺ない身ですが,今の時間講師は本当に気楽です。授業をとにかくしっかりやればよい。肝心な授業が上手くいかなくてクレームが絶えない,じゃ困りますが,きちんとやるべきことをやりさえすれば,後の面倒なことは正社員の方々にお任せします,という感じです。たまに職員室の片隅で,室長ともう一人の専任が声を潜めてプリントを手に深刻な顔で話していたりします。これは話題が生徒募集に関することや人件費に関することだろうな,とすぐに見当がつきます。以前は自分もあんなに険しい顔をしていたんだろうか,と驚きます。


 今は年収もダウンしましたし,そういう意味では家族にも迷惑をかけていますが,自分の人生を取り戻したぞ,という実感があります。


そんなめぐりあわせを演出してくれた神様(お天道様?)に感謝の毎日です。


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 いかがでしたか?今回の「塾講師と言う存在」。楽しんでいただけましたか。

 次回は,昨年の後半,ブログを更新することさえできなかった事情PARTⅡを。(っていってもそんな大げさな話ではないのですが)