心にも、下痢や便秘があるということ。 | そよぎめぐみブログ

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神仏大好き、お化けは苦手。何が見えても聞こえても、生きていくのだどこまでも。

お食事中の方、すみません。

昨日書いたように、心も体と同じように
刺激を食べ物として受け取るので、
不要なもの=うんこは出さなきゃダメ。


心にとっての便秘は、
心に不要物を抱えたままになること。

むかっときた。辛かった。淋しかった。
エグかった。きつかった。ゲンナリした。
そんな感情が、心の中に溜まるとして。

普通に会話したり、行動したりする中で
自然と出て行く分もありますが、
出る分より湧きでる分が断然多くなれば、
心の中は自然と、便秘状態になります。


逆に、「心の下痢」と言うのは
感情の垂れ流しが止まらない状態です。

淋しいと思ったら、メールでも電話でも
人に向かって出して行かないと治まらない。
怒りが爆発したら、ずーっと怒鳴ってる。
むかっときた瞬間から、人を殴り続けている。

この場合、自分だけじゃなくて、
相手や周囲も病気や怪我につながりやすく、
下手をすれば命に関わることになります。


私たちは、日常生活では、
排泄を我慢してはいけないことを知っています。
そして、それ用の施設を作って対応しています。
でも、心については、とてもあいまい。

自分の中に全部閉じ込めて、行き詰まってみたり、
人をトイレにして感情のうんこを垂れ流しにしたり、
本物でやったら絶対ダメでしょ、それは、
と言うことを、平気でやる羽目になっています。


強烈なわだかまりの感情をぶつけるってことは、
相手にうんこ投げつけてるのと同じか、うわー。
極端に言うと、そういうことです。
ばっちいですし、迷惑ですね。
食らった側の心境やいかに、と言うのもあります。

だからと言って、溜めっぱなしはダメ。
「自分だけが我慢すればいい」と言う話を、
トイレを我慢し続けていると想像してみて。
無理ですよね。そうです、無理なんです。

伝えたいことを、冷静に伝えていくためには、
何かを我慢していたり、垂れ流していたりしちゃ、
ダメなんだってことなんです。

じゃ、どうしようか。どう出そうか。
その話を、次回サッパリしたいと思います☆