シャルロッテシアターで韓国版マリー・アントワネットを観劇しました。
これをまとめるにはかなり苦労します。残念ながら韓国語が分からないので、細かい場面設定や台詞が完全に掴みきれません。雰囲気と曲と原作の記憶を頼りに、印象に残った場面を振り返りつつ、原作との違いや韓国ミュージカルの持つ爆発力や瞬発力について語ることとしたいと思います。
それでもフランス革命という宝塚的に身近な題材ということもあり、これまでの宝塚や東宝でみたフランス革命関連の断片的な記憶がこの公演の理解の一助となりました。全編韓国語の公演をみるにあたり、遠藤周作の「王妃マリー・アントワネット」全2巻を読破してから臨みました。間に合わなかったけどドイツ版のCDも取り寄せたし。とはいえ原作は韓国行きの機内で読んで、観劇前日の寝る前に読んで、蚕室に向かう地下鉄の中でも読んで、直前まで読んでいました。
そのおかげで、どうみても原作とキャラ設定が違うだろう!という箇所が満載でした。
そもそも、東宝版にいたカリオストロが出てきません。この役はエリザベートでいうルキーニのような狂言回しを担っていたものと思われます。
しかし、この英断は評価すべきと思う。
韓国版は長すぎず、退屈せず、マリー・アントワネットの人生の転換点を中心に描かれていて、大変わかりやすかった。その分「フランス革命系」という分類をされるに過ぎないところもあって、何だか一部ベルばらのようだし、元花組担当としては愛と革命の詩でみた場面があったような気もしたし。レ・ミゼラブルの再演?とも思ったりしたし。そこでの「狂言回しのカリオストロ」がざっくりとした「フランス革命一派演目」の地位に安住しない要素であったにせよ、舞台の簡潔性や安定性を念頭に置くとやっぱりいなくてよかった気がする。

この日のキャスト星


マリー・アントワネット オク・ジュヒョン
マルグリット・アルノー チャ・ジヨン
アクセル・フェルセン伯爵 ユン・ヒョンリョル
オルレアン公爵役 キム・ジュンヒョン

この演目、マリー・アントワネット、マルグリット、フェルセン、オルレアンが中心人物です。中心にいるだけあって4人とも場面は多いし声量豊かだしアグレッシブだし、表現力が出演者全員食ってやる!って勢いなんですよね。見ていて小気味よいですよ。やっぱり聴衆の目線をさらっているわけだし。
そのほかのキャストもすごいです。ルイ16世(イ・フンジン)はいわゆるルイ16世という感じのずんぐりむっくりで、錠前つくりに一直線なおぼっちゃま。でもやっぱり凄まじい歌声なんです。あくまで人のいい、おどおどしてドジな王には見えないぐらい自信に溢れ高々と歌い上げます。そしてかつら屋(レオナール:ムン・ソンヒョク)と衣装屋(ローズ・ベルテング:キム・ヨンジュ)のお姉系2人組。えっと正確に言うと男女です。この2人も歌唱力半端ないです。インパクトも絶大。

1幕
おやしらず断頭台の刃が高速で下りてくる映像が流れ、新聞でマリー・アントワネットが処刑されたことを知るフェルセン。下手の階段を駆け下り、(おそらく)マリー・アントワネットへの想いを朗々と歌いあげる
おやしらず時は戻り宮殿のきらびやかな舞踏会のシーン。お菓子を盗みに来たマルグリット、マリー・アントワネットにシャンパンを勧められるも、受け取るどころかマリー・アントワネットにかけてしまう

右矢印ここがかの有名な「パンが食べられないならお菓子を食べよ」のくだりと思われます。
マルグリットは実在しない人物で、マリー・アントワネットとイニシャルが同じ、顔もそっくりという設定。あまりの境遇の差にマリー・アントワネットに強い恨みを持つようになるのです。東宝版ではすみれ売りですが、原作は売春婦。韓国版は乞食という設定?すみれは売っていない。生命力や野性味に溢れていて、短調になりがちな宮廷の様子に彩を添えます。歌う姿はマリー・アントワネットよりも力強くて、素敵に見えました。問題は...マリー・アントワネットの役作り。原作では死ぬまで気高くいようと断頭台まで誇りをもっていた様子が、微塵も感じられない軽いノリ。フェルセンとキスしようとしたところを舞踏会の参加者に見られてぱっと離れる二人。
いやいやいや、原作では二人はもっと秘めた恋をしていました。
こんなあからさまなことはしない思慮深さがフェルセンにはありました。
遠藤周作の書く気品がマリー・アントワネットには感じられない。

おやしらず豪華で退廃的な毎日。かつら屋と衣装屋による奇抜なファッションショー。ルイ16世の登場。靴が片方違うという指摘をマリー・アントワネットから受けるも、腹で見えない。腹の下から見て気づき、観客爆笑

おやしらずマルグリット御一行がかつら・衣装屋の店に登場。オルレアン、サーファーみたいなビジュアルのロペスピエールとともに、ドレスを物色

右矢印いつオルレアンとロペスピエールが合流したかちょっと失念しましたが、オルレアンは舞踏会のときからきっとマルグリットが何かに使えると気づいたのでしょうね。原作ではカリオストロがマルグリットとマリー・アントワネットが似ていることに気づき、詐欺に利用するので、カリオストロの担った役をオルレアンが一部背負っているのかな。ただですね。オルレアンは例のごとく高々と歌い上げ、例のごとく美声ですが...
オルレアンって、原作のシャルトルと同一人物とは思えない


オルレアン公、ルイ・フィリップ2世ジョゼフ。藤本ひとみ「王妃マリー・アントワネット 華やかな悲劇」には、ルイ14世の弟の玄孫であるオルレアン公爵フィリップという記述があります。ルイ16世と対立して反国王派閥を作り、ルイ16世の処刑に賛成票を投じ、その1票が処刑票の過半数に至ってしまった。
一方、遠藤周作版では最後の1票を投じたのはシャルトル公爵と書かれています。マリー・アントワネットが輿入れの際、舞踏会で初めて踊った踊りの名手で、マリー・アントワネットと恋の駆け引きをしたり、退廃的な男なわけですが…シャルトルは、ルイ・フィリップ2世の名前の一部(小声)。つまり史実的に遠藤版のシャルトルがオルレアンということはこの2作からも確認できたわけですが…原作ではオルレアンはそこまでマリー・アントワネットの人生の岐路に関わっていなかったはず。その割には舞台では出世した感のある登場場面の多さ、ストーリーの肝になっている感。原作とは別の人になってる(小声)?オルレアンとカリオストロのフュージョン感?

おやしらずドレスを着たマルグリットがマリー・アントワネットに扮し、ロアンから首飾りを奪う
おやしらず貿易商がマリー・アントワネット夫妻のところに請求しにきたことで、詐欺が発覚
おやしらずオルレアンと革命家が新聞を剃っている。王室批判?
おやしらずギロチンの相談をルイ16世にしている

限られた韓国滞在期間の中でキャストを選び抜いた回にしたので、キャストは全て大当たりでした。
特にオルレアン。私、彼のファンになりそうあるよ。
憮然とした態度で常に冷静冷酷、でも歌は情熱的ですんごい歌唱力。
舞台に映える体格で、実際は身長高いのかわかりませんが、威圧感と存在感は抜群。落ち着きのないマリー・アントワネットとはっきりしないフェルセンに対しオルレアンとマルグリットが基軸になって舞台のテンションをあげている感じです。
いっそのこと「オルレアン公によるフランス革命の俯瞰」とか「オルレアン公:その企みと人生」みたいなタイトルでも全然いける。
フェルセンは、なぜかみりお様のフェルゼンが焼きついて離れなくて色々戸惑う(笑)。みりゼンは結構ツボなんです。あの美貌、誠実さ、みりお様独特の空気感が私の心をつかんで離さない。でもユン・ヒョンリョル版フェルセンも大変に誠実で暖かくて、大分みりゼンのイメージに近い。しかーし、マリー・アントワネットを「マリー」と呼ぶわけです。(雪組ルパン三世もこう呼びますが、これは別で)それが、どうも貴公子風ではなくて品が感じられないんですよね。それが残念すぎて、王妃!みたいな尊ぶ呼びかけに聞こえないのです。韓国は年長者や目上の人を尊ぶ風習と聞いていますが、王妃はマリー!で良かったのか?
マリー・アントワネットは、遠藤版では死ぬ直前まで気高くいたはずなのに、全く落ち着きがないのは史実通りということなのかもしれません。
みりゼン同様、なぜかマリー・アントワネットは蘭はなさんのイメージを引きずってしまっており、はなさんの高飛車なところとか元来の世間知らずなお嬢様の雰囲気もあって、原作のマリー・アントワネットの印象は蘭はなさんが近い気がしました。オク・ジュヒョン氏は、囚われた後の暗い時期の演技が、もう少し華やかな時期との対比が明確だといいと思いますが、無表情で歌に抑揚のない花組ベルばらアントワネットとは比較にならないぐらい、感情表現が豊かでどう思っているか、どう感じているか一瞬でわかる無邪気なマリー・アントワネットという感じでしょうか。当然、タイトルロールを演じるだけあって安定の歌と舞台の中心に立っている感。エネルギッシュなマルグリットとのコーラスというか食い合いは鬼気迫っていて必見です。

さて、ここまで原作版と対比して語ってきましたが…
韓国版は日本版・ドイツ版から大幅に演出を変更
したそうです。日本版を見ていないので、どう変更されたか判然としませんが、遠藤周作の原作は「オマージュ」風に参照したに過ぎないということかもしれません。
私の手元に有る公式資料はドイツ語版のCDのみ(すいませんが東宝版は買う気なし)、カリオストロの登場がないだけでも曲リストは大幅な変更でしょうあせる