(考えごと、のテーマは、唐突に話が始まって唐突に終わる傾向にあると思います。あしからず)

 

 

 

 

インプットとアウトプットの比率。耳に痛い話だ。
思い返せば、私は学ぶことばかりに力を入れて、自身の創作に関しては全然力が入っていない。
インプットはインプットで、読んだり見たりしたときは色々感じたり学びを得た感じがしたりはするのだけど、そのまま何もしないことが多いから、結局身についていなかったり。

だからまぁ、私がインプットと思ってやっていることの殆どは、単に読んだり見たりしただけ、と言われても仕方の無いことなのだろうなと思う。

インプットしたものを、何かしらの形でアウトプットする。
それが情報を知識として取り入れるのにものすごく力を発揮する方法だって言うことは知っている。

とはいえ。
私は、アウトプットにものすごく腰が重い人なのだ。

だって面倒なんだもの。

本でもネットの情報でも、ゲームでもアニメでも、感想を己の中に抱いて、そこで終わることのラクさよ。
瞬間瞬間に感じたことはある。感想もある。感情が揺さぶられて、その余韻に浸っていることもある。

それを、その瞬間に書けばいいだけの話なのは分かっていても、「今この瞬間」に感じているものを噛み締めたいと思ってしまえば、わざわざ取り出してどこかに再構成しようという気力は、なかなかに湧かない。
だって噛み締めたいもの。
だけど、それを後で己の外に零そうと思っても、その瞬間と同じ熱量での再構成は不可能なのだ。
だってもう過ぎ去っちゃってるんだもの。
どう足掻いても、同じものは生み出せない。忘れるなんて一瞬だから。

そして「まぁ、いっか」と終わってしまうわけだ。

同じ理由で、私は昔に比べて、己の中を流れていく物語を、あまり外に出さなくなった。
共有する気がなければ、己の中を流すだけで事足りるからだ。

自分の中で楽しむだけなら、どんなに矛盾していようが、同じ事を繰り返そうが、問題は無い。
瞬間に流れていくのは物語の断片で、だから、前後関係を気にする必要も無い。
少し前に味方だった人物が、次の妄想内で敵に回っていても構わないのだ。

人間、楽な方に流れ出したらあっという間だ。
そうやって己の内で妄想するラクさを味わってしまうと、それをどこかに零す作業をものすごく煩わしく感じてしまう。
まぁこれは頻繁にアウトプットしていた昔から感じていたことなのだけど。

私の場合、物語は映画に近い感じで己の脳内を流れていく。
それを文字情報として書き留めていたわけなのだけど。
己が追っている妄想を文字情報として(もしくは映像そのものを)出力してくれる機械があればいいのにと考えたことは、一度や二度じゃない。
まぁ、昔からズボラだったわけで、今も全く変わっていないどころか、酷くなっているのだけど。

ただ、そうやって”瞬間”だけを追っていると、結局の所、何もしていないのと変わらなくて。
自分が何をしたいのか、分からなくなる。

物語を追うのは楽しい。
だけど、それを創り出すためには膨大なエネルギーが必要だ。
さらに、生み出したはいいけど、その物語はすでに類似品が世に出ているかも知れない。
というか、殆どの場合、似たようなものはすでに生まれていると考えた方が良い。

じゃあ、今更私に書けるものってなんだろう、なんて、考える。
私じゃなくても、沢山の人たちが物語を紡ぎ出して、世に送り出している。
それを受け取っていればいいじゃないか。私が一番好きな”楽な”道だ。

……で、済めば話は早いんだけども。

例の如く、また道に迷っている。
物書きになりたいなぁなんて、考えたり思い立ったり決意してみたりしたこともあるのだけど。
日々の生活に追われて、文字を書く行為そのものが億劫になってしまったりして。
億劫で仕方なくて、現実逃避でゲームばかりしていたりもする。
こんなんで物書き目指すって、アホなんじゃないかと、自分でも思う。

じゃあなんでいきなりこんなに文章書きに来たんだよって。
これが、アウトプットとしては個人的にハードルの低いものだったからで。

耳に痛い話を聞いたからこそ、このままじゃだめだよなぁという心理は一応働いて。
とりあえず動いてみようと言うことで、とりあえず書き始めたら止まらなくなったわけで。

ただ、私は頭でっかちを自認しているから、どうしても”形”から入ろうとする。

モチベを保つためにも、形から入るのって大事だと思うんですよ。
んで、今回のアウトプットでも、そのことは考えてて。

私がアウトプットに対して腰が重くなる要因の一つに、「どこにアウトプットしたらいいのか分からない」というのがあって。

例えば、こういう考えを整理するための、一人ぐるぐるとぐろ巻き独白みたいな日記なんだか思考記録なんだか分からない物は、まぁ公開する必要もないのだけどあえて公開するならブログに置けば良いねって、すぐに判別がつく。

けど、前々からたまに言ってるけど、私は情報の整理や管理についてずっと頭を悩ませていて、だから小説一つとっても、どこに掲載したら良いのか、そもそも書くときに使うツールを何にするのか、作ったデータをパソコンのどこにどんな名称で保存するのか。
そういうことをきちんと決められていない。未だに。

だから、アウトプットが大事なのは分かっていても、うまく動けないのだ。
アウトプットするための受け皿が決まっていないから。

それは例えるなら、部屋の整理に似ていて。
持ち物の置き場所(住所)が決まっていれば、使ってもすぐに戻せるし、必要になればすぐ取り出せる。
だけど、場所が決まっていないと、その都度探したり買い足したりして、使った後も戻す場所を決めていないからとりあえず積み上げてしまう。
そしてごちゃって次にはもう見付けられない。もしくは見付けるのに時間が掛かる。
そんな感じに近い。

小説でも小説のアイデアでも、生活の知恵でも調べたことの内容でも、落書きも描きたいイラストのアイデアも、本の感想もゲームやアニメの感想も。
すべてにおいて、「使用するツール」「使用ルール」「保存する場所」などが決まっていて、それらが自分の中でしっくりきていたら、多分ここまで悩まなくて良いのだと思う。
そして、もう少しアウトプットの頻度が増えていると思う。

私は己の中でハマった行動に関してはきちんと続けられる傾向があって、逆にハマっていない行動は全く以て続かずすぐに立ち消えになる確率が高い。
基本的にズボラだから、めんどくさかったり、その行動に意義や目的が見いだせないとモチベが下がる。

ものすごく面倒な性質を持っているからこそ、普段から頻繁に行う行動についてはある程度システム化しておきたいと思うし、これまで結構色々試してきたのだけど、未だに情報整理関係に関しては一つも上手くいったものがない。


だから、アイデアはついそこら辺の紙に書いてしまったりするし、あちこちのツールを試しては挫折しているせいで情報はとっちらかっているし、情報があちこちに散らばっているせいで、どこになにがあるのか分からないし。あっても書き方に統一性がないせいで振り返りのしにくいことと言ったら。

ホント、やり方決めたい。
だけど、自分の中でしっくりこないと結局続かないし。
と、堂々巡りを続けてもう何年経ったか分からない。

今この状態で「アウトプット大事だからとにかくやろう」とかやり始めたら、もう間違いなく挫折する。
似たような理由で、ブログ書いたり書かなかったり(書かない期間の方が圧倒的に長い)するのだから、ちゃんとある程度の方向性を見定めておかないと、今回も確実に転ぶ。間違いなく。

調べてはいるのだ。
ビジネス書もライフハック的な本も、ネットの情報も色々読んでいる。
というか、そういう情報集めるのは好きなのだ。
大体書いてあること似ているから、繰り返し読んでいるうちに、あまりアウトプットしていなくても記憶にすり込まれていたりするし。

だけど、どれもしっくりこない。

どんな方法でもよく言われるのだけど、こういった本はあくまで参考に。
最終的に自分に合った方法は自分で見付けるしかない。

……だから、見つからないんだって。

そうして考えることに疲れると、すぐにゲームに逃げる私。
だってゲームって、向こうから”やること”をくれるのだもの。何も考えなくても達成感という”ご褒美”が貰えるんだもの。

なんて、言ってる場合ではないのだけど。

とりあえず、また探すしかないかなぁ、とは思っている。
決まるまではそのぐるぐるしている思考を吐き出しにくるかもしれないが、そのアウトプットすら面倒になったら、また地中深く潜り込んでしまうかも知れない。

本当に、扱いが面倒な生き物だ。私は。