山茱萸(サンシュユ)気候帯 | Souvenirs de la saison

山茱萸(サンシュユ)気候帯

前世紀末、米ソの冷戦終結をもって、いよいよ世界は平和になるのだ、と思ったものだ。
あにはからんや、21世紀はフタを開けてみれば真っ黒けの世紀だった。
内戦はより残忍さを極め、その人間の所業とは思えぬ映像が、ネットには溢れかえっている。



ここ、関東の三大不動のひとつ、高幡不動尊金剛寺では、
今日も護摩行には、信徒の様々な願いとともに、世界平和が祈念されている。
読経の声は美しく、春の息吹を僅かに含む、温かく湿った空気に溶けていく。


五重塔の裏手に回ってみる。
そこに、今日の目当てのサンシュユ(山茱萸、山グミの意)の木がある。
今が見頃で、期待通りの開花だった。



樹齢200年と言われる大木のサンシュユ。
室町期創建のこの寺の山門に比べたら、まだまだ若いかもしれないが。


サンシュユが咲く頃になると、居ても立ってもいられない。
よおし、春だ春だ、こりゃ忙しいぞぉ・・・・・
という気分になる。
とても桜の開花などを悠長に待ってなどはいられないのである。

そして、この極微の小さい黄色い花たちが、
こうやって景色の中でひとつの量塊となって、見る者の詩情に訴えかけてくる。
まさに、茶人好みの花と言われる所以だ。


日本ばかりではない。
韓国では春の訪れはサンシュユとセットであり、
春の花木と言えば、梅、サンシュユ、桜と決まっている。
中国もまた この花の原産地であり、果実を漢方薬として重用している。






サンシュユを見る時、
これは東アジアの花だな、と思う。
中国語でシャンツーユー、ハングルでサンスユ、日本語でサンシュユ。
どの国でも山茱萸と書く。
アジア・モンスーンが南から連れてくる春は、サンシュユで始まるのだと、
どの民族も共通の美意識で理解できる、特別な花。
それがサンシュユではないだろうか。


東アジアと言えば、よもやキナ臭い匂いが、自分の周囲にも感じられるようになるとは
前世紀には思いもしなかったことだが、これは抗い難い流れであったかもしれない。
今の為政者たちは、自国を限りなく持ち上げおいて人気を維持する、
そんな自己肯定の世界の従僕になってしまったように思う。





境内のそぞろ歩きは楽しい。
御堂を巡り、曼荼羅図の梵字をぼんやり眺めたり、
もうこれ以上オツムはどうにもならんだろうな、と言いつつ香炉の線香の煙を浴びたり、
売店のおばさんと他愛のない話をしたり。
本尊の一丈六尺のお不動様は、恐ろしげでもあり、どことなく愛嬌もある。
不動明王は、破壊神シヴァ神がその由来とも言われ、
不動信仰は、まさに悪心の調伏が主眼にある。



日中韓の主導者たちに会う。
などということは、有り得べくもないが、
もしその機会でもあれば、
今の時期だったら、そう。
ひと言も無しに、
そっとサンシュユの一枝を笑顔で差し出してみたいものだ。





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