昨日、またAh Ha!(ああ、そうっかあ!)が来ました。
世の中の対立、葛藤、軋轢、苦悩、苦悶・・・といった
要するに、何かがうまくいっていない状態、何かが停滞
して詰まっている状態にある根源的なものは、
「愛が欲しい」
です。
世の中すべての人、すべてのものは、愛が欲しいのです。
この愛とは、単なる人間関係における愛ではありません。
もっと大きな、創造主の愛、無限なる愛です。
また、アジャの言う、Redemptive Love(贖罪の愛)です。
それがどんな状況であっても、欲しい愛が欠如している
(と感じている)ことから、不安、悲しみ、怒りといった感情
が湧いてくる。
欲しいものが手に入らないから不安になる。
欲しいものが手に入らないから悲しくなる。
欲しいものが手に入らないから憤る。
お金や物質的な豊かさを求めるのも、それが入れば、
究極のところは自分の欲しい愛が手に入ると思える。
人をコントロールしたいのも、そのコントロールによって、
自分が好きなように、自分の欲しい愛が手に入ると思える。
でも、お金や物質、コントロールでは決してそんな愛は
手に入らない。
だから、人はもっともっとお金を求めたり、物質を求めたり、
コントロールを求めたがる。
でも、そんなものに終着点はないのです。
なぜなら、そういったものすべてが幻想だから。
終着するところは、やはり「何かが足りない」という空しさ
だけ。
なぜか?
それは、本当に求める愛を体験していないから。
本当に求める愛はどこにあるのか?
それは、
自分の中です。
自分そのものです。
他の人、物質、外側にあるどんなもので、それを代用しよう
としても、絶対に不可能です。
自分の中、自分そのものが、自分が一番求めているもの
であると、心底気づくまで、「愛を求める」旅は終わりません。
では、愛とは何か?
それは、つながること、一体になること、融合することです。
私たちは、本当はすべてのものとつながっていて、ワンネス、
ひとつなのです。
それを、人間として生まれてくると、「個」として認識するよう
にプログラムされていて、
また、「個」からすべてとのワンネスへと戻っていくこと、
それを体験することが人間としての究極の目的なのでしょう。
おそらく、それを真に体得した段階で、人間としての生まれ変わり
も不要になるのでしょう。
もっとも、菩薩のように、人を助けるためだけに、また転生して
くる魂もたくさんいるのでしょうが。
私たち誰しもが求めているのは、表面的なものが何であれ、関係
ありません。
愛です。
愛とは、すべてとのつながり、一体、融合、ワンネスです。