開店休業ガラガラッ | 蒼龍の棲む洞穴

開店休業ガラガラッ

 色々書きたいことがあった。別に理由があった訳でも原因があった訳でもなく、文字にならない。文章にならなくて、思いつきや感想をだらだら書くという、たったそれだけのことが苦痛で投げ出してしまってた。億劫で。でも道をふらふら歩いている時でも、ふと閃く霊感を無意識に繋ぎあわせてエントリの雛形を作ってしまう自分がいる。紙に書いてみる。ブログを開く。キーボードに指を乗せる。やっぱり書けない。気が付くと僕の中に“考えを書いてまとめる”という行為への愛着が息づいていて、しくしくと痛んだ。これが惨めって感情らしい。



野田内閣成立、ジョブズの死、血液型、学校教育の問題の糸口と塾・予備校・教習所、ウェンディーズ再来日とハンバーガーチェーン、面白かった映画、面白かったアニメ、お勧めしたい漫画、釣りと魚、僕の頭を通り過ぎた無意味な思考を唯一生かせるのが“書く”ことなんだろう。ブログのない生活をしてみて強くそう思う。そして僕はその行為を欲している。

よく知らない友人の友人のツイッターを覗いた。なんだか自然に、確固とした考察を恥ずかしげもなくぶんぶん投げている。羨ましいと思った。似たような友人と仮想空間・実生活で繋がり、知識を共有していることも。口だけでなく行動が伴っていることも。前に進むエネルギーがあることも。僕はぼんやり踊り場に佇んでる。

なんだか空っぽになってしまって、闇雲にTwitterでも始めようかと調べていると、偶然このブログのエントリを紹介してくれてる人がいた。年配の方だ。それがとても嬉しかった。気持ちがズシリと腹に響いて燃え熾っている。だってそうじゃないか、自分という存在を判断してもらうのにウェブログは適したツールであるのだし、日常ではそうした機会はなかなか訪れてくれない。僕はまだまだ自分を試したいんだ。久し振りにチェックしたブログは意外にアクセスが減っていなくて驚いた。まだ読んでくれてる人がいる。

ブログを更新していこうかと思う。どんな話題にするか分からない、更新頻度も分からない。ギアをもう一度ローに入れて、目分量でアクセルを踏み直してから考えればいい、クラッチを繋ぎながら。暴走したって構わないじゃないか。“初めて”は誰にとっても常に冷酷で、不寛容な顔をしているから、つい及び腰の知識吸収で終わらせてしまいがちだ。鉄は熱いうちに叩けとは言うものの、鉄だって自分で自分を叩くのは骨が折れる。歪になったから、もう冷めてしまったからと自己実現を放棄するのは性急ではないかしら。グロテスクな形になろうが、折れてしまおうが、僕は“叩く”その過程に愛着する。周りの人間が耳を押さえても、賢しらな忠告をしてきても、諦めが兆しても。何度も何度も打ち鳴らす。響かせろ。俺の音を聴け。


プレッシャー世代(ぷれっしゃーせだい)-社会-2008年5月23日
1982~87年の間に生まれた若者。幼少期にバブル経済が崩壊し、その後の失われた10年といわれる経済停滞の時期に小学生、中学生時代を送っているので、プレッシャーに耐えて生きる気力にあふれているといわれ、この名がついた。この世代の代表格が水泳選手の北島康介である。上の世代は団塊世代の子供たちである72~81年生まれの「団塊ジュニア」、下の世代は87年以降の生まれのゆとり教育を受けた世代の「ゆとり世代」。
ヤフー辞書

最近自分が所属している世代に名前があることを知った。命名したブログ:ゆとり世代の上の世代の呼び方を考える 2007年に生まれた新しい言葉なのだけれど、インターネットでは普及してる単語であるらしい。括り、定義として妥当かどうかはいったん脇に置いて、概念として僕の思いと合致している。僕は一員として、これからの日本を導くのはこの世代だと自負している。狭間の世代としての特殊性として、責任感・危機感の強い世代であることは経験から確信している。そして自らそれを誇る世代である。

孫のようだ…女子東大院生、町議選でトップ当選
30日に投開票が行われた新潟県津南町議選で、東大大学院生の桑原悠さん(25)がトップ当選を果たした。桑原さんは同町出身で、県立高を卒業し、早大に進学。卒業する頃、自身が25歳になって被選挙権を得た直後に故郷の町議選がありそうだと知った。東大大学院に進み、公共政策を勉強。
読売オンライン

2011年現在、同世代の大体が社会に属すようになり、世代としての動きが徐々に表れているように感じる。乗り遅れないよう、後悔を残さないように手探りでも責任を果たしてゆかねばならない。劇的な2011年は大阪府市ダブル選でいまだ冷めやらない。それなりの忙しさのままに自分を見失いつつある僕自身を振り返りながら、尻に鞭打って進んでみようかと思う。“何をすれば良いか分からない”そう呟き立ち止まることが許されるのは余裕のある時だけだ。残された選択肢が限られているのなら、やってみなはれ。誰のせいでも、他人のためでもなく、ただ自分がやりたいんだから。

17歳のとき、こんな一文を読んだことがある。「毎日を人生最後の日だと思って生きれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」この言葉に感動した私は、以来33年間、毎朝鏡に写った自分に問い掛ける。「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日これからやろうとしていることを本当にやるだろうか」。答えが「ノー」の日が何日も続けば、何かを変える必要がある。~君たちの時間は限られている。だから無駄にしてほしくない。ほかの誰かの人生を生きてはいけない。周りの雑音に自分の内なる声をかき消させないでほしい。そして一番大事なのは、自分自身の心と直感に従う勇気を持つこと。不思議なことに自分のこころと直感は、自分が本当になりたい姿をよく分かっているものだ。~「ハングリーであり続けよ。愚かであり続けよ」それが最後のメッセージだった。これこそ私がいつも自分に言い聞かせている言葉だ。今日卒業し、新しいスタート地点に立った君たちにも贈りたい。ハングリーであり続けよ。愚かであり続けよ。

もし今日が人生最後の日なら何をするか。そう考えた時、僕には書くことしか浮かばなかった。自分の思っていることを素直に吐き出しながらつなぎ合わせる過程、それが楽しいんだ。うまい下手とかそんなのどうだって良い。あとで読み返して後悔したって構わない。誰だって世界を変える可能性を秘めている。認められていなくても、笑われていても、良いじゃないか。僕達に求められているのはただ諦めずに前に進み続けることだ。それが分かっているのなら、どうして立ち止まっていられるんだ?落書きでもクズ文書でもなんでも書こう。ここ二月欠けていた気概を、ふぅふぅ吹きながらまた燃やそう。不定期更新をもう一度。もう一度恥を掻こうじゃないか。

結局前置きばかりで核心に迫ったんだかなんなんだか。ははは。まぁこれで良いや。ローギアから始めよう。ジャンルとかも限らないまま、また書こうかと思います。暇人もそうでない方も、またお付き合いくださいませ。コメントも気が向いたら反応してゆきますので。それでは。書くって楽しいなぁ。



まだ生きている