4月14日・・・「憲政記念館」 | そうちゃん日記 

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聡太郎は生後10ヶ月で拡張型心筋症と突然診断されました。
海外での心臓移植手術を目指した日々。しかし、移植手術を受ける事は出来ませんでした。
経験しなければ伝えられないことがあることを感じ、聡太郎の残した何かを伝えられたらと思います。

行って来ました。


朝は晴れ間も少し見えて、そうちゃん効果と勝手に喜んで出掛けました。

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憲政記念館に続く道。 

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多くの政治家の方が来ていました。


私たちと心春ちゃんのママ、いっきちゃんのご両親からもお話をさせて頂きました。

そして、これから移植を受けたいと頑張っている方からも。

この方のお子さんはコロンビア大学では5%枠の問題で受け入れをして頂けませんでした。

現在、他の病院で検討して頂いているそうです。


海外移植を目指しても、これからは厳しいです。

それは、WHOの指針ばかりでなく、今年の5%枠も埋まりつつあるからです。

まだ4月・・・移植を必要とする子ども達は、来年まで待たなければ5%枠によって受け入れて頂けなくなる。

そして、WHOの指針が決まれば、海外での移植自体が困難になります。

医療でも先進国と言われる日本で移植を必要とする子ども達の命は、どうなるのでしょうか。

希望は、権利は与えて頂けるのでしょうか。


熊本と東京の市民公開講座でも、政治家の方によっては「難しい問題だから・・・」と言います。

でも、難しい問題だからと12年間もの時間、棚上げにして審議すらされない無責任な状況でいいのでしょうか。

故意なる無作為・・・。このままでは、済まされない問題であると思います。


今回の臓器移植法案は政治家の方々が、個人の死生観・宗教観・倫理観が関わる問題なので、党議拘束をはずして審議をしましょうと言っています。

党としてではなく、個人の価値観で審議を進めるということになるようです。


今日、会の最後に話された患者連絡会の方の言葉が心に残りました。

党議拘束をはずすことに対して、個人の死生観・宗教観・倫理観の問題だから党議拘束をはずすとおっしゃるが、これは、アメリカや世界に対する日本の姿勢を示す決断です。日本という国の問題であって、国としてどう決めるかと言う枠組みの問題であるから、政治家個人の移植に対する意見や提供するか・しないかという考えではなく、政治家として国として日本としての決断をして頂きたい。

という内容でした。


私は日本という文化圏で、このまま臓器移植法案が変わっても移植件数が飛躍的に伸びるとは考えていません。しかし、子ども達が移植を受ける権利までも与えられずにいることだけは納得できません。

何故なら、大人の制定した法律の下、大人には移植という機会が与えられているのに、選挙権も持たず、何の責任もない子ども達には権利すら与えられないなんて、理不尽すぎます。

日本で救える子ども達の命への未来も希望も、そして看取る覚悟も同時に日本で出来るようにして頂きたいのです。


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TVや新聞では、上記のような表で説明されることが多いです。

付け加えさせて頂くと、

臓器移植法案の中山案・A案は、脳死判定を移植をする・しないに関わらず脳死判定を受けることが出来る。

しかし、遺族は脳死判定を拒否することもできます。

また、あまり書かれていることがありませんが、中山案は親族への優先提供を認める。この件に関しては、中山案を支持する方の中でも意見があり、世界基準に則るならば優先提供はあってはいけないという問題のようです。しかし、この一文は、生体肝移植や腎移植が家族間で行われている状況から発生したという背景と聞きました。


法案改正によって
医療従事者は、大切な人を看取った時に、臓器提供の話をするなんて・・。と、考え、

患者家族側は、大切な人を失った時に、臓器提供を強いられるのではないかと不安に思う。


日本の医療現場では、海外渡航移植は保険適応でも何でもないので、病院側にとっては重荷にしかならない現状だそうです。でも、移植医療に関わらず、現場での医師は目の前にいる子ども達の命のために必死になって下さいます。

小児科医と一言で表現しますが、循環器・脳神経・血液など、小児科と括られるなかでの専門があります。


脳死の子どもさんを持たれた家族の方には「中山案が採択されたら、脳死の子どもに対して一生懸命に治療して頂けるのか・・・」という不安もあることを知りました。


でも、脳死の患者さんを診るのは移植医ではなく、脳神経関係か救命救急の医師になるのではないでしょうか。

その時に、医師という職業の中で、小児科の脳神経を自ら選択して医師となられた方が、脳死に至る過程で患者の命を簡単に諦めるとは思えません。


だからこそ、循環器の医師が病院にとっても医師にとってもメリットのない、心筋症の子どもの親が海外で移植を選択したときに、引き受けて下さることに繋がるのではないでしょうか。


医師がどちらに対しても必死に救おうとしていることを信じて頂けるかどうかだと思います。


脳死となる過程において、脳出血や頭部外傷などが原因であるならば、突然の事故などで子どもの生命的危機を親は受け入れなくてはいけなくなります。昨日までは、朝までは、何時間前までは元気だったわが子が、脳死判定をされる場合、予期せぬ事態に混乱し、脳死判定にすら疑いを持ちたくなると思います。

その時には、心臓が止まるまで、手を握り・話しかけ・最後まで希望を持っていてもいいと思います。


完全なる表現は出来ませんが、提供したいと思えたとき思えた方に提供出来る機会と権利を。

思えなければ、脳死判定も臓器提供も拒否をして下さればいいのだと思います。

その時にならなければ、誰にも分からない感情が出てくる・・・と、私は思うからです。

そして、移植を必要とする子ども達の親は、日本で移植を受けられる機会と権利を与えてもらう事から進めて欲しいと願っています。


その先は、世代交代や教育や啓蒙活動などの必要も出てくるかと思います。

その瞬間瞬間に求められるものが、皆さんに与えられればいいのかと思います。


私は聡太郎が死んだ先に、それでも生き続けて欲しいと願いました。

それは、とても切実な願いでした。

聡太郎からの臓器提供が叶わないと知った時、私は本当の意味で聡太郎の死を感じました。


その気持ちも、その時にならなければ分からなかった気持ちです。
今でも、どこかで聡太郎が誰かの中で、誰かと共に生き続けられたらよかったのに・・・。と、思っています。

それは、遺された親のエゴなのでしょうか。

私のその気持ちが親のエゴだと言われても、遺された後に生きていく人としての願いから発生した気持ちであったのは事実です。

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憲政記念館からの帰りは小雨でした。


長靴を履いた男の子が目に留まりました。


先日、デパートでかわいい長靴に出会いました。

そうちゃんに似合いそうだな・・・と、思って写真に撮りました。

買っても履く人はいないし、でも、そのまま通り過ぎるには気持ちが残り。

そして、写真にガーン


その話を心春ママに話したら、あの長靴履いた男の子見て思い出したんでしょえっ

と、何でもお見通し目発言を頂きました。



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ぺんぺん草を握り締めている聡太郎。

相変わらず鼻ペチャさんです音譜



文章にまとまりがなく、申し訳ありません。