「救う会」
全員で集まることは出来ませんでしたが、救う会の方々と会えました。
聡太郎のために救う会を設立して頂いたのが9月末。それから、数週間で記者会見。
私たちがお願いするまでは、お互いを知らなかった方々です。
それなのに、すごい団結力でした。
個々の持つ才能がそれぞれ最大限に発揮されるという瞬間。
それだけに、個人にかかる負担は想像以上であったはずです。
今も負担を掛け続けています。
記者会見からの毎日は大変な日々だったと思います。
全員、30代。仕事をしながらです。全員、異なった仕事をしています。
平日も仕事の後に集まって頂いたことが何度あったか分かりません。
しかも、土日祝日は全て募金活動で休みなしでした。
救う会の方の職場の方にもご理解を頂けてのことだったと思います。
本当にありがとうございました。
ずっと、ずっと、募金額と時間との戦いでしたよね。
どんなに一生懸命にやっても、最初の3週間、3,000万円を越すまでは苦悩と大混乱の日々でした。
あの時が一番精神的にきつかったように感じます。
それでも、様々な方々に会って頂き、あらゆる困難の全てを受け止めて下さいました。
それでも、いつも聡太郎の命が1番大切だからと、きっと嫌な思いもしていたはずなのに、いつも私たちと聡太郎のことを一番に気に掛けて下さいました。
私たちを守って下さり、ありがとうございます。
しかし・・・実際にやってみて気付く苦労があっても、引き返せない現実だった瞬間もあったのではないでしょうか。
それは、私たちが移植を決断したこと以上の決断だったのではないでしょうか。
救う会のメンバーが「そうちゃんを救う会」を設立してくれなければ、私たちは希望と未来を感じることなく聡太郎を天国に見送る日を迎えていたでしょう。
救う会のメンバーのおかげで、地元の皆様、全国の皆様、多くの皆様にお伝えできるきっかけになったマスコミ各社の方々にも出会えました。
聡太郎は移植手術を受けられませんでしたが、皆様のおかげで最後まで未来に希望を感じて生きる事が出来ました。聡太郎はただただ一生懸命に生き抜いただけかも知れません。しかし、聡太郎を囲む全ての人から温かい何かを感じていたと思います。その何かを感じることが出来たのも、皆様のおかげです。
こんなにも多くの方々が、聡太郎のことを想ってくださっていたのに・・・。
やっぱり、悔しいです。認めたくないくらいに悔しいです。
自分のことであれば、悔しい思いをする前に諦める事も出来たのに。
そうちゃん。あなたの命だけは諦められなかったよ。
きっと全国で拡張型心筋症のお子さんを持つご両親が悩まれていると思います。
また、病気の進行状況も様々で、移植を望んでも叶わない場合もあるかも知れません。
現在の日本の現状では、一般家庭で子どもの心臓移植を希望するという事は募金活動を意味します。
心臓移植=募金活動を決めたときに、
いつ、急変するか分からない子どもの傍に居てあげられない時間も来るかも知れません。
募金活動をして、移植が成功となるまでには本当に多くの壁があります。
でも、みんなが支えてくれます。
救う会の皆様、救う会を支えて頂きました多くの皆様、
本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。