1月16日・・・「事務局」 | そうちゃん日記 

そうちゃん日記 

聡太郎は生後10ヶ月で拡張型心筋症と突然診断されました。
海外での心臓移植手術を目指した日々。しかし、移植手術を受ける事は出来ませんでした。
経験しなければ伝えられないことがあることを感じ、聡太郎の残した何かを伝えられたらと思います。

「事務局」



聡太郎と一緒に事務局に挨拶に伺いました。

集まって待っていて下さった皆様一人一人に抱いて頂きました。

また、聡太郎のお友達にも会えました。

事務局にある応援メッセージも聡太郎と見ました。


事務局を運営してくださっていたのは、

聡太郎のお友達のママさんたちが中心でした。

子育てをしながらの運営です。

子育てのために仕事をしないでいた方もいらっしゃいました。

また、復帰して仕事をされていた方もいらっしゃいます。

なのに、みなさんに多大なる時間を割いて頂きました。


子どもを連れての運営は本当に大変だったと思います。

募金活動の事務局とはいえ、事務・雑事は一般企業以上にあったと思います。一言では語りきれないほどの工夫をしながら運営をして頂き本当にありがとうございました。


ほとんどの方々が聡太郎が生後10ヶ月になるまでの間に

知り合った方々です。

そして、そのお母さん達が輪を広げて下さいました。

聡太郎のお友達のお母さんたちに支えていただけた事の全てが

聡太郎の生きた証でもあり、聡太郎にとっても大切な宝物でした。

聡太郎は本当に多くのお友達がいて幸せです。

それは、もちろん私たちにとってもです。


本当に子どもの存在は素晴らしいです。

子どもを通じて、こんなにも多くのお友達に出会えました。

私たちは聡太郎の成長の全てが喜びであり楽しみで幸せでした。

これから聡太郎自身に成長を見て感じることは出来ません。

しかし、聡太郎を通じて出会ったお友達の成長に同じ喜びを感じ、

これからを楽しみに思います。

皆様が聡太郎を応援して下さったように、私たちは多くのお友達を応援していきます。


事務局に頂きました応援メッセージ、お手紙やファックスに千羽鶴など。

また、事務局にご連絡を頂き、様々な支援につないで頂きました皆様。

本当に多くの皆様に支えられていたことを聡太郎に再び伝えることができました。


聡太郎に代わり、心からの感謝と幸せである気持ちを伝えさせて頂きます。

聡太郎はいつもみんなと一緒でした。

いつもみんなに支えられていました。

入院しているときも、渡航のときも、アメリカでも・・・。

最後の瞬間も。

そして、天国に送り出すときには、みんなの悲しみが雨となり

聡太郎と一緒に存在しました。

幸せです。

ありがとうございます。



私は・・・

皆様の笑顔や希望を悲しみに変えてしまったことだけが

残念で悔しくてなりません。


聡太郎は笑顔の子でした。


これからは笑顔や希望が悲しみに変わることがありませんように。


木村真紀さん(http://www.kimuramaki.com/Top.html )が

聡太郎のチャリティーコンサートで言ってくれた言葉を

私の今の気持ちとして皆様に捧げます。

「助けて欲しいときに、助けてって言ってくれたら、私は、私を選んでくれてありがとうと言って駆けつけます。」

今度は、私が皆様の力になりたいです。


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