オリンピック4位入賞・元トランポリン選手の競技人生ストーリー 外村哲也オフィシャルブログ「楽・美・跳・勝」Powered by Ameba -3ページ目

「できない」に挑戦するからワクワクする

あれ、昨日記事書いたのに

更新されてないポーン

 

 

 

下書きもない、、、

 

 

 

しょうがない

もう一度書きます。

 

 

 

一日空いた感じになってしまったショボーン

 

 

 

さて、前回

家では厳しく辛い教育(?)を

受けていたことを書きましたが

 

今回は楽しかったことを書きます。

 

 

 

ちびっこ体操教室のスワローでは

あまり高度な技は練習しませんでした。

 

 

 

新しいことをやるとしても

言われたらすぐできてしまうので

挑戦感を感じられませんでした。

 

 

 

僕にとって新技に挑戦した!

と感じられたのは

鉄棒の蹴上がりとか

バク転でした。

 

 

 

どちらも父から教えてもらいました。

 

 

 

蹴上がりは公園の鉄棒で。

 

 

 

最初に父のお手本を見せてもらい

次に僕がマネをする番

 

 

 

いつもの感じなら

見たものはできるはずなのに

うまくできない!

 

 

 

おかしい!

 

くやしい!

 

 

 

すぐにもう一度挑戦しても

やっぱりできないガーン

 

 

 

これが多分

体操の最初の挫折。

 

 

 

父からアドバイスをもらいながら

意識しながら何度か練習し

 

それでもできないから

少しずつ修正していき

 

初めてやっとできたときは

めちゃくちゃ嬉しくなりました爆  笑

 

 

 

このできないものが

できるようになる

と言うことが大きかったです!!

 

 

 

またバク転は

ある程度できるイメージはできていたのですが

最初に回るのが怖くて

一人では挑戦していませんでした。

 

 

 

茨城の祖父の家の

広い部屋に布団を引いて

そこで父に補助をしてもらって

初めて挑戦しました!

 

 

 

最初は恐る恐るやっていたものの

父の補助の安心感で

思い切り跳んだら

一応バク転ができた!!

 

 

 

この時は補助ありだったから

嬉しさレベルが20くらい。

 

 

 

補助もだんだん軽くしてもらい

じゃあ慣れてきたから

補助なしでやってみようとなって

最初に一人でできたときは

嬉しさレベル70くらい。

 

 

 

じゃあもう大丈夫!

 

となって布団も片付けて

一人でバク転してもできた!!

 

 

 

嬉しさレベルは100に到達し

庭に飛び出して

芝生の上でずーーーっと

バク転してた記憶が残ってます爆  笑

 

 

 

新技を練習してるときって

習得の段階がありますが

その間、自分が上達しているのを

実感できてめちゃくちゃ楽しいです。

 

 

 

この楽しさ

怖いことや、挫折を乗り越える時

そのための心のパワーとして

とても大切になってきます。

 

 

 

これも夢を叶えるために

必要なことだと感じています。

ネガティブな出来事から、夢を叶える力を手に入れた

小学校に入るまで

ちびっこ体操クラブに入っていましたが

ここの記憶がほとんどありません

 

 

名前は確か

スワロー体操クラブ

 

正式名称も覚えていませんが

とにかく「スワロー」と呼んでいました

 

 

 

ちなみに場所は

日本体育大学の体操競技場で

行われていました

 

 

父の仕事は

実業団の体操コーチでしたが

練習場はスワローと同じく

日体大の体操場

 

 

そんなわけで僕は

生まれてからずっと

日体大にはお世話になってました笑

 

 

 

スワローは普通のちびっこ体操クラブ

と言ったイメージで

そこまで厳しくトップを目指したクラブでは

ありませんでした

 

 

 

ただ

ある程度の基礎は

ここで出来上がっていた気はします

 

 

 

また

家でも練習はやらされてたし

細かい意識も指摘されていました

 

 

全部、母親の指導で

 

 

「手先、つま先、ちゃんと伸ばす!」

「膝を曲げない」

「着地で3秒止まる」

 

的な感じ

 

 

父からは

体操に関して細かいことは

言われたことはありませんでした

 

 

 

また母親は

生活面でも厳しい教育でした

 

 

 

厳しすぎて心を閉ざしてました笑

 

 

 

「自分の好きな体操をしているんだから

他のことは我慢しなさい」

 

的なことをよく言われていました

 

 

 

普通なこともあるかもしれないけど

当時の僕としては

常に怒られて、否定されるのは

きつかったですね

 

 

 

少々重い話になりましたが

後にこの経験が

とても役に立ったんです

 

 

 

忍耐力がめちゃくちゃついたんですね

 

 

 

今の自分の「嫌だな」なんて感じる

ネガティブな感情にも流されず

 

やると決めたことはやりきる力を

身に付けました

 

 

 

これが全てではありませんが

この忍耐力も確実に

夢を叶えることに役立ったので

 

どのように身に付けたのか

その背景もあえて書いてみました

 

 

 

次は明るい記事を書いてみます

物心ついたら体操をしていて、夢はオリンピック

物心ついた頃には

父はもう引退していて

体操のコーチをしていました

 

 

 

父の仕事場、体操の体育館にはよく行っていて

気付いたらちびっこ体操教室に入っていました

 

 

 

 

その時間以外でもずっと体育館で遊んでいた記憶があります

 

 

 

体操の体育館が

覚えている最初の記憶かもしれないなぁ

 

 

 

その体育館には体操の練習用として

トランポリンが置いてありました

 

 

 

これが最初の“トランポリン”との出会い

 

 

 

その頃は、誰に教わるでもなく

ひたすらジャンプしていたり

思いついた技に挑戦したりしていました

 

 

 

ただ父の仕事終わるのを待ってるだけの

暇つぶしだったような気がします

 

 

 

それでもやっぱりトランポリンは楽しかったなー

 

 

 

一度ミスって宙返りしちゃって

 

多分前回りの

頭が付かなかったバージョンで

着地で立ったわけではなかったはず

 

 

 

回った感じが面白くて

もう一度やってみようと思って

 

わけもわからず今度は

後ろに回ろうとしちゃって

 

うまく回れずに頭から落ちて

首が痛い(><)

ってなったのを覚えてます

 

 

 

そんな感じで

ゆるゆる体操や、トランポリンで遊んでいましたが

 

物心できたときから、なぜか明確に夢があって

「将来はオリンピックで金メダル!」

と言っていたことはハッキリと覚えています

 

 

 

父親がメダリストだったからだと思います

 

 

 

父が自分からメダリストだとも言わないし

哲也もオリンピックに行くんだよ、とも言わなかったけど

 

周りの人から

「お父さんみたくなりたいの?」

「将来はオリンピック選手だね」

みたいなことはたくさん言われていました

 

 

 

また母親は体操競技をしてはいたけど

オリンピック選手にはなれなかったからか

特に強くオリンピックにこだわって

ビシビシと厳しいスパルタ教育をしてきていました

 

 

 

そんなわけで僕自身も

「オリンピック」

「世界一」

と言うことに強いこだわりを持って

生きてきました

 

 

 

これが僕の人生の最初なので

何かスポーツをする上で

世界一を目指すことが当たり前だと思ってました