アーチェリーの世界では長い間、耳の辺りまでの引き尺であった。
ところが、19世紀の半ばになってフォードがその常識を破り今のようなアゴまでの引き尺になった。

アーチェリーも実戦や狩猟を目的とせず、スポーツ性が求められた結果、射の精度を優先するようになったからだ。

耳までの引き尺だと視線と矢筋との間に差が大きく、的中の精度が落ちてしまうという欠点があったのだ。
これを、アゴまでの引き尺にすると、右目の真下から矢筋を通して的を狙えるため、射の精度は大きく向上した。
フォード自身もこの方法で、偉大な記録を樹立して優勝している。

私が弓道をやった高校時代に、自然発生的にフォードと同様な的付けをやっていたことは、射的競技の基本であって、必然なのだと思われる。

高校当時の的付けは、会の時、矢摺籐の右に的が見えて右目の真下から矢筋が伸び、板付けの先が的の中心と重なるようにしていた。
まあ、偶然買い求めた矢の長さが長めで、ちょうど私の引き尺とも合致していたことになる。
また、そうした身体に密着するような矢筋を作ることが、馬手の方の矢筋引きを自然に作っていたのだから、射術の関連性、統合性というものの、つまり自然法則の為せる業と云うものは不思議である。



今日は余りに天気が好くて、つい一手射てみた。
ずっと使っていなかった堅帽子の3つがけでやってみた。

一手束中だが、1射目は矢が傾いて刺さった。
これは失射だ。
弦離れの直前に矢筈部分が3ミリ以上以動くと矢飛びは狂うのだが、堅帽子は和帽子に比べて、鋭い離れが特徴なだけ、離れの出来の良否が大きく分かれる。
フォードもこの点に言及しているが、多少矢勢は落ちても、安定した矢飛びが安定して出るために、鋭い離れには拘るべきではない、と。

最近、80点くらいの離れが安定して出る和帽子を使っていたが、この点でもアーチェリーを再構築したフォードと不言流との共通性が見える。