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小関峻 official blog

宮城県出身のシンガーソングライター小関峻のofficial blog
音楽活動から日常のことまで様々なことを書いています。


先日、誕生日を迎えて32歳になった。

30歳になった時は「おお、、30歳か、、」という大きな感慨があったが、31歳、32歳は特に何ということもなかった。多分、39歳くらいまではずっとこんな感じなのかな。


SNSでの沢山のお祝いコメント、本当にありがとうございます。

思い描いていた32歳とは全然違ったけれど、今は今でとても幸せだと思う。

32歳はもっと良い曲書いて、良いライブをする。
基本的にやることは何も変わらない。
細かい目標は色々あるけれど。



32歳一発目のライブが明後日23(土)にMelodia Tokyoである。
タカノトモノリさんとのツーマン。


タカノさんと出会ったのはもう6年前、新潟でのクリスマスのイベントだった。

沢山の出演者が出ているイベントだったが、タカノさんのライブを初めて観た時のことは鮮明に覚えている。
「下北沢」という曲を歌っていて、歌っていてというか、もはや、語っていて、その歌詞の世界に一発で引き込まれて、涙が出そうになった。


その日の打ち上げでは、タカノさんとそこまで沢山話はしていないし、特別仲良くなったりもしていない。スピッツの歌詞について少し話したりしたが。


この日の新潟のライブの打ち上げが過去一番激しかった。日本酒をたらふく飲まされて、俺は初めて記憶を失くすレベルで酔い潰れた。

シンガーソングライターの新谷隼平と帰りのバスが同じだったので、彼が俺をリードして連れて帰ってくれた。

翌日、目から血が出て病院に行った。
飲みすぎて、吐きすぎたことで、目の周りの血管が切れたからしかった。

これにより「新潟、怖い」というイメージが頭にこびりつき、ここから1年間は新潟にライブしに行かなかった。笑

日本酒は苦手だ、、、。



そこから1年後、知り合いのライブを観に行ったところでタカノさんと再会した。
タカノさんが東京に上京してくるとその時に聞いた。

東京でライブ出来るところを教えて欲しいと言われたので、俺は自分のライブイベントにタカノさんを何回か誘った。

新潟は怖かったが、タカノさんは怖くなかった。
優しさの塊みたいな人だったから、東京でもまた一緒にやれたらいいなと思った。



タカノさんは何かある度に、「峻は恩人だ。東京に上京したての自分に色んなことを教えてくれた。」みたいな話をライブでしてくれるが、自分としては本当に大したことをした覚えはない。



気が付いたら仲良くなっていたという感じだ。
東京で一緒にストリートライブもした。


俺のワンマンに向けて応援ストリートを一緒にやってくれた時、小関峻のライブの看板を持ちながら、「今度、小関峻という、とても良いシンガーソングライターがワンマンライブやります!」と大きな声で、渋谷の道行く人に声をかけてチケットを売ってくれた。


どうしてそこまで出来るのだろうと不思議に思った。
普通、人はそこまで人の為に動けない。

友達だから。恩人だから。

とタカノさんは言う。


タカノさんは新潟のイベントにも俺を呼んでくれたり、いわむロックフェスという新潟の大きなフェスに俺のことを推薦してくれて、それがきっかけでフェスに出演出来たりもした。
フェスに向けたバスツアーを一緒に企画したりもした。

俺がタカノさんにしてあげた恩は100倍くらいで返ってきている気がする。
俺がライブの時に使っているDIもタカノさんに貰ったものだ。




2年前、タカノさんは脊髄小脳変性症という病気を発症した。
体が麻痺して動かなくなってしまう難病らしかった。


それを聞いた時は凄くショックだったが、色々考えて、病気とか障害とかそんなものは何も関係ないなと思った。
タカノさんはタカノさんで、友達であり、先輩であり、大好きなミュージシャンであることに何の変わりもない。

タカノさんが困っていることがあれば助けるし、ライブしようと言われたらまた一緒にライブする。


今回、初めてタカノさんにツーマンやろうと言われて嬉しかった。

タカノさんは自分のブログで最近「自分は才能なんてない」と書いていたが、とんでもない。

タカノさんは、表現者として類稀なる才能を持ってる。

「人に伝える」ということにかけて、タカノさんよりも届く歌を歌える人を俺は知らない。


タカノさんは友達だけど、先輩だけど、
それだけの理由でツーマンライブを一緒にやりたいとは俺は思わない。

タカノさんを一人のソングライターとして、表現者として心から尊敬しているから、俺はまた一緒にやりたいと思う。
タカノさんの書く歌詞は本当に素晴らしいし、そのメロディも心の琴線に触れてくる。
そしてあのライブはずるい。泣いてしまう。


本当に強敵だと思うから、今回サポートにHuge Mさんを迎えた。
今出せる最高の小関峻をみんなに、タカノさんに観て欲しい。
(タカノさんとHugeさんはかつて対バンしていたらしい、そこの再会も個人的には楽しみ)



そういうわけで、10/23もし良かったらライブ観に来てね。
配信もあるので、会場に行くのが難しいって方も是非。
持ち時間もかなり長めです。


「優しい匂い」
タカノさんが昔、俺に香水をくれたことがあって、その匂いが凄く優しくて、懐かしくて、青春みたいな匂いがする。
あの匂いを嗅ぐと胸の奥の方が何かに締め付けられる。

タカノさんとのツーマン、優しく、懐かしく、温かい時間にしたいです。






◆10月23日(土)タカノトモノリの季節日記21秋純情のツーマンライブ「優しい匂い」

会場:MELODIA Tokyo

ここ最近、SNSなどの更新頻度も減ってしまっていたので思うところを色々書きたいと思う。



7月末にコロナウィルスに罹患し、自宅療養、ホテル療養と長いこと活動をストップさせてきた。



コロナウィルスはとてもキツかった。

自分の場合は罹患する1週間ほど前に1回目のワクチンを打っていたのでかなり軽症で済んだ方だと思う。



なかなか下がらない高熱、自宅療養中にいつ悪化するかわからないという恐怖はもう二度と味わいたくはない。





ホテル療養を終えて帰宅してから、特に大きな後遺症はなかった。

倦怠感や嗅覚異常はなかなかしぶとかったが。



フラベリック錠という咳止めの薬を飲んで聴覚障害が起こったのには驚いた。

以前、何かで聴覚障害が起こる風邪薬があるという話は聞いていたのだが、飲んでから数日は気付かずに過ごしていた。



電話の着信音だったり、アラームの音だったり、そういった生活音すらも心なしから低く感じることにちょっとした違和感はあった。



高熱でなかなか寝付けず好きな曲を聴いて寝ようと思った時にようやく確信した。



聞こえる音が全て低く感じる。

最初は熱で頭がバグってそう聴こえるのだと思った。


翌日にギターやピアノに少し触れてみたのだが、ものすごい違和感だった。



ネットで調べるとフラベリック錠は飲んでいる間は結構な割合でこの様な聴覚障害が起こるのだという。


飲み続けるのも怖かったが、医者には飲み切って下さいと言われていたので、渋々飲み切った。

まあ音楽をやれる元気もなかったので取り敢えずコロナ完治を優先させた。



フラベリック錠の副作用は自分の場合は薬の服用をやめたら割とすぐに元に戻った。



これも本当に怖かったが、変な後遺症が残らなくてよかった。





コロナに実際かかって思ったこと。

それまでの自分の活動、そしてこれからの活動のことも書ける範囲で書いておこうと思う。



これまで、勿論それなりに感染対策をやりながらライブ活動をやってきたわけだが、正直少し考えが甘かったと思う。


「どんなに気を付けていてもかかる時はかかるから仕方ない」


と言ってくれる人も多かったし、それはそうなのだが、もっと慎重になりすぎるくらいに気をつけておけばよかったと後悔している。



今回、自分の感染経路になったと思われるライブハウスのイベントでは後日、来場者にも何名かの陽性者が出たとの報告を受けた。



自分のライブの為に、お客さんを危険な目に晒してしまい、ライブを行ったことを後悔したし、反省した。


今回のデルタ株の感染力の高さを身をもって体感し、これは本当に舐めていたら死ぬことになるし、人を殺すことになると思った。



日に日に増えていく日本の感染者数や、医療崩壊のニュースを見る度に、正直、今行う「ライブ活動」の意味がわからなくなった。




フジロックフェスの開催について、自宅療養しながらネットに飛び交う意見を見まくっていたのだけれど、本当に何とも言えない気持ちになった。



自分はこれでもステージに立つ側の仕事をしてきたので、フジロックの主催者や、ステージに立ったミュージシャン達の気持ちは痛いほどわかるつもりだ。

(自分の立っているステージの何十倍の規模なのでプレッシャーも責任も比較にならないほど大きいと思う。)



しかしながら、主催者や出演者への非難轟々で溢れたタイムラインを見た時に、出演者まで非難の的に晒してしまうようなイベントは「成功」とは言えないのではないか、と正直思ってしまった。


きっと主催者も出演されたアーティストの方々も非難を受けることも覚悟で出ているとは思う。




そして、その非難の多くはとても真っ当なものであり、見ていて「そりゃそうだよな」という気持ちにしかならなかった。


しかし、アーティストや主催者にも守らなくてはいけないものがある。

苦渋の決断で行ったこともわかる。



自分はどちら側も批判するつもりはないが、これからの自分のライブ活動のことを考えると、何が正しいのかわからなくなった。




最近はSNS上で発信するべき言葉がなかなか見つからない。


色んな思想や偏った正義が溢れていて、自分の発言が何らかの肩を持つことになるのは怖いと思ってしまう。

とても臆病になっている。


表現者を志している人間が黙っているだけで良いのか、とも思う。


色んな矛盾を抱えて、迷っている。




取り敢えず今はしっかり体を休めて、色んなことをインプットして自分の音楽を磨く時間にしたいと思ってる。

これはこれで人生単位ですごく貴重な時間だとも思ってる。



曲作りは細々と続けている。



毎週金曜日にアップしていた新曲投稿がコロナ罹患によって止まってしまったことは本当に悔しくて堪らなかった。

本当に、本当に何よりも悔しかった。



ホテル療養を選ばずに、自宅に残り何とか続けようかとも思ったのだが、死んでは元も子もないので、断腸の思いで一旦投稿活動をストップすることにした。



ホテル療養を終えて、多少のしんどさはあったものの新曲投稿活動はすぐに再開出来なくはなかった。



しかし、よく考えて、二度と同じ轍を踏まぬように新曲の動画のストックを作っておきたいと思った。


またいつ不測の事態が起こるかわからない。



何が起きても変わらずに動画を上げ続けられる様に、今はちょっと動画を撮り溜める時間にしたいと思ってます。


本当はもうアップ出来る動画はあるのだけれど、また体調を崩してストップすることは避けたいので、もう少しだけ準備期間としてお待ちいただけると嬉しいです。






先日、2回目のワクチンを受けてがっつり副作用で寝込んでいた。



自分の場合は、1度コロナに罹っていて、且つ2度目の摂取なのもあって抗体が体に大分あると思われるので、普通よりも激しめに熱が出る可能性があるらしかった。



やはり1回目の副作用とは比較にならないほど副作用は強めだった。

コロナに罹った時と同じくらい体感はしんどかった。


3回目の摂取がどうのこうのとニュースでやっていて、こんな苦しいワクチンもう一回打つのはマジで嫌だなと思った。




昨日あたりからようやく山は越えた感じ。

まだちょっと左腕が痛い、というのが現在です。





そんな感じで非常に大変な8月でしたが、何とか元気に過ごしています。



ここからのライブ活動はかなり慎重に決めていきたいと思ってます。



来月以降の活動も少しずつお知らせしていきたいと思いますので、もう少々お待ち下さい。




みなさんもどうか本当に気をつけてお過ごし下さい。必ずまた元気で会いましょう。



かなり長い期間、ブログを書いていなかった。


この前、ライブの物販で

「小関さんのブログ凄く好きなんですけど、もう書くのやめちゃったんですか。」

と言われたので久々に書いてみようと思う。
好きって思ってくれてる人がいるってことは、それはやっぱり嬉しい。


長いこと書いていなかった理由としては、有料のブログ的なものを毎週書いていて、そっちで手がいっぱいいっぱいだったという、、言い訳だ。
(小関さんのブログが好きと言う人には有料のやつもとてもオススメです。)


久しぶりすぎて、アメブロから勝手にログアウトされていて、パスワードが思い出せなくてログイン出来なくなる自体が発生していた。

パスワードとかログインIDって、忘れると困るから大体同じにしてるんだけど、それでもやっぱり時々違う設定にしてしまって思い出せなくなってログイン出来なくなったりするよね。
(ログイン出来なくなったアカウントの中で永遠に〜♪っていう曲を先週アップしたんだけど聴いてくれましたかね?)




さて、そんな余談はさておき、何を書こうか。




そういえばもう6月ではないか。
もうすぐ6月だよな〜早いな〜って今日思ってたんだけど、もうとっくに6月に入っていた。



最近の小関峻はと言うと、相変わらず曲作って、動画撮って、編集して、ギターと歌と練習して、本当にこればっか。



この前、光貴君(川原光貴)に

「峻君、最近の楽しみ何?」


と聞かれて、

「人と会えることですかね。あっ、だからライブが今一番楽しいです。」

と答えていた。


文學論のミーティングや市原マサヒロのアニキとの配信とかでミュージシャン仲間と会う以外は殆ど人に会ってない。


音楽が好きだし、曲作ったり編集したり、練習してるのも勿論好きなんだけど、やっぱり人に会えるのは嬉しいし、人前で歌えるのが一番嬉しい。


ライブが本当に一番楽しい。




6月も緊急事態宣言の延長でイベントが延期になったり、時間が変更になって申し訳ない。


イベント「文學論」なんて相当長いこと引っ張ってしまってる。



文學論メンバーでのミーティングがここ最近はとても多かった。

文學論のみんながプリズンブレイクが面白いと、いつも3人で盛り上がっていて、俺もアマゾンプライムとかU-NEXTとかで観なくちゃ、と思いつつまだ観ていない。(観たいとは本当に思っている。)



そういえば小学生の時も、友達がよく俺の知らないドラマとかお笑い番組とかの話で盛り上がっていて、話題に入れないことがよくあった。


今はプリズンブレイクを観るか観ないかは俺の意思に100%委ねられているが、小学生の時は家のテレビのリモコンの主導権が父や兄にあったり、遅い時間のテレビは見せてもらえないなどの制約があった。


だから、小学生の時は話題についていけないことが凄く寂しかった。観たくても観れないのだから。


ある日、新しく始まったドラマを観ることが出来て、嬉しくて、次の日学校で

「ねえ、昨日のoo観た?!」

と意気揚々と友達に話したら、誰も観ていなかった。

何でこのドラマに限ってみんな観てないんだよ!
とショックだったが、俺はドラマが観たかったんじゃなくて友達と楽しく話がしたかっただけなんだと、この時気付いた。

それは流行りのテレビゲームとかカードゲームも同じで、友達の輪に入りたかっただけで、表面上のブツは何でも良かったんだと思う。


けど子供の時って、そのコミュニティの中に入れるかどうかでクラスのヒエラルキーが決まったり、ハブられたりとか普通にあるから、大変だよな。





今は別にプリズンブレイクを観なくても、文學論メンバーと良好な関係を築けているから「観なくてもいっか」って気持ちが心のどこかにあるのかもしれない。

という言い訳を綴ってみる。




けど、プリズンブレイクは普通に観たい。本当に観たい。脱走する話は結構好き。マジで。


しかし、長いシリーズ物の映画を観るのが苦手なんだと思う。
ロードオブザリングとか、ハリーポッターとか、スターウォーズとか、、、。

たまたま観た作品がロードオブザリングで、めちゃくちゃ面白かったらシーズン2、3と観ていくことに何の抵抗もないのだろうけど、

「これシリーズ5までありますよ。(長いですよ。)」と言われると、敢えてそれを観ようとは思わなくなる。


スターウォーズに関しては、エピソード2から観ろとか、エピソード何とかは過去の話だとか、ややこしすぎる。


ハリーポッターは1を観て、2、3観ずに4を観て挫折した。


きっと名作と呼ばれるだけあってどれもちゃんと観たら素晴らしいのだろうけど。



今月の目標はプリズンブレイクを観る。
面白かったらプリズンブレイクって曲作る。



これ絶対観ないやつだわ。





【次回ライブ】




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