空を見上げて | そらねこカフェ・店主ゆぎえみ

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日々の思いを書いてます。

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秋にうさぎが死んだ時、綺麗な満月の夜でした。

だから月に帰ったんだと本当に思っています。



このうさぎは、ある日突然、私の庭に居たうさぎです。

うさぎと暮らすことは初めてだったし、野生のうさぎなのかペットだったのか、性別も何もわからなくて戸惑いました。


部屋の中に入れると嫌がり、動かなくなって食事もしなくなるので、外に出しました。


大屋さんに許可をとってから、土の上にすのこを敷きました。

犬用のケージで囲い、庭で暮らしてもらっていました。

夏は涼しく、冬は暖かくするように心掛けはしましたが、雨が降ったら心配で、暑ければ心配で、寒ければまた心配でと、夜中には必ず外に出ました。

おかげでこの2年の間は、流れ星を沢山見ました。

その割には一個も願いを唱えられなかったけど、今までで、こんなに夜空を見あげたことはなかったように思います。

花も、木も、草も、土も、月に照らされている時、いちばん香ると思います。

音が無くて、風が止まって、 明るい時には気付けなかった淡い香りや、根っこの方の香りが、びっくりするくらいしてくる。


そうすると、不思議なことに、昼間に見落としてしまった人の言葉の意味や、気持ちの裏の思いなんかが、ふあーって、香りに乗ってやってくることが沢山ありました。


『ああ、なんで気付けなかったんだ!』

『あたし、なんてこと言っちゃったんだろ』

とか、うっかり声に出したりして。


そんな時うさぎは、真夜中の訪問者である私に対して、迷惑そうに足を鳴らしました。

ダンタンタンタンって。


反省することが圧倒的に多いけど、
もちろん嬉しい思いに気付く時だってあったから、そんな時は儲けものって感じで小躍りしたり。
ダン!
タン!
タン!
タン!


うさぎを真似て、ちょっとステップを踏んでみたこともあったくらい。

もちろん手は腰です。


ダンタンタンタン!


私は夜中に何度もこの音を聞きました。



うさぎがだんだん私に慣れてきてくれた頃、もっと大きな囲いの中に放すことがありました。


室内犬を遊ばせる用の、広げると3畳くらいのスペースが作れるサークルがあります。

土に直接置きました。


うさぎはすごく喜んで、日だまりの中でしばらくゴロゴロした後で、いつも穴を掘りました。


うさぎは掘った土を丁寧に自分で片付けるんですよ。

両手で雑巾がけするみたいに押していって、離れた所に山を作るの。

それからどんどん穴を掘って、すっぽり入っちゃって、心配した私が穴の入り口をコンコンとすると、大慌てで顔を出します。

真っ黒なフサフサの毛が泥だらけになって、すっごーくかわいたかった。

穴を掘るってことは習性なんだと思うけど、それほど固執することもなく、しばらくすると自分のいつもいる小屋に戻りたそうな素振りをするから、サークルの扉を開けてやると、うさぎは一目散に戻っていきました。

そうしてそんな日は、こっそり夜中に覗いても毛布にくるまったまま、びくともしないで眠っていました。


私はしばらく月を見たり、時には曇った空を見上げたりしてから自分の布団に飛び込みました。


うさぎははっきり言って手がかからなかった。

忙しい時は構わなかったし、犬や猫みたく、大したアピールもしないし。


満月の夜、うさぎが静かに月に帰った時はあまりに呆気なくて、

『うーちゃんバイバイ』って日記に書きました。

それで終わり。

私の日常に大きな変化があった訳でもなく、うさぎが居たことを知ってる人はあんまりいなかったし、うさぎの話しもしなかった。




うさぎが居た時はスーパーの野菜コーナーを良く覗いたぐらいです。

パセリが大好きだったから。

キャベツの一番外側の葉っぱが箱いっぱい棄てられているのを見て、もったいないなって思ったくらい。

散歩していて、クローバーの群生を発見するとポケットに詰めて帰った。

それも大した変化じゃない。


うさぎが居た時は、大工さんちを覗いては、木材の端切れをもらって帰った。
なんかかじれる物を入れないと歯が伸びちゃうって聞いたから。

大工さんに差し入れした鯛焼きを誉めてもらったことがあって凄く嬉しかった。

『お姉さん、違いがわかるね』って言われて。

それは私のお気に入りの鯛焼き屋さんのだったから。



それからうさぎが居た時は、タンポポを良く探しました。

茎から乳の出る草は喜ぶって聞いて。

冬でも咲いてるのを見かけると、恐れ多くて摘めなかったけど、タンポポって一年中見かける強い花だと思いました。





ある日突然庭に来て、大して構ってあげられなかったうさぎ。

アピールもしないけど、夜中の空を一緒に見てくれた。

うさぎが居なくなっても、何にも変わらない。


本当に何も変わらない。


もうじき年が明けていくだけでした。

それなのに、暖かかった昨日、近所の小さな女の子が、台所から持ち出しただろう銀のザルいっぱいにクローバーを摘んでもってきてくれました。


『散歩してたら見つけたから』って。

クローバーの中にはタンポポの茎も少し入っていました。


そういえばずっと前、この子にうさぎの話をしたことがあったかもしれない。


『秋にね、死んじゃったんだよ』って言ったら、すごくすごく寂しそうに、頷いてくれました。



私のうさぎを気にしてくれてた私以外の人がいて、それもこんなに小さな女の子が、うさぎの大好きな草を覚えててくれて、いっぱい届けてくれたことが嬉しくて、しゃがみ込んで泣いてしまいました。



私はずっと泣きたかった。

だからすごく泣いた。



悲しいことが沢山あって、辛いことと戦ってる友達が沢山いて、だから空を見上げた時には必ず頑張ろうねって呟いていました。



段々夜中の空は見なくなった。

見るのが苦しくなってきた。

うさぎが居なくなった時、糸電話の糸がぷつんと切れたみたいに、私の声が届かなくなりました。




ずっと泣いてても、女の子は黙ってそばにいてくれました。

困っていたんだと思います。


私は恥ずかしくなって、部屋に入って鼻をかんでから、もう一度お礼を言いました。


『うーちゃんのこと、覚えててくれて、ありがとうね。クローバーもタンポポも大好きなんだよ』


女の子は黙ってまた頷いてくれました。




手を繋いで彼女のうちまで送りながら、私は久しぶりに、空を誰かと見上げました。


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時々、沢山の人達の届かなかった沢山の思いが、ふあふあと舞っているのを見付けて苦しくなります。


受け止め切れなかった自分を恥じてみたり、器の小ささを詫びてみたり。



震災以来、猫が死んだとかうさぎが死んだとか、そんなことを悲しんでいることが申し訳ないように思っていました。

でも人間らしい普通の気持ちを捨ててしまうことはとても切ない。

私は私らしく頑張っていくしかないんだって思います。

女の子が思いださせてくれました。


結局、力を入れても抜いても、私の行き着くところはこれしかない。

がんばる。
私らしくがんばる。
それしかないです。