わたなべの心象風景

わたなべの心象風景

書きたいときだけ時々書く日記。

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アスペルガーさんとメンヘラちゃんという組み合わせは、

お互いが異人であるように思えるのだろう。

理解し合えないのは無理もない。

そう思うのはメンヘラだけかも知れない。

そもそもアスペは察することが苦手なのだから、

メンヘラを理解することは難しだろう。

 

アスペの特徴はコミュニケーションをとる事が苦手で、

会話力が低く、言葉のボキャブラリーが少ない事。

人の気持ちを汲み取ることやアイコンタクトをとる、

等のことが出来ない。

言われた事はやれるが、指示が無ければ何をしたらよいか、

気が付かない。

相手が遠回しに傷つけないように、

察して下さい的な話は、分かろうとしないのか、

又は本当にわからないのかわからない。

しかし学力に対する能力は高く、プライドは高く、

一見してアスペルガーである事は気が付かれにくい。

 

メンヘラちゃんは常に精神的な問題があり、

心が不安定なので、めんどくさく重たい言われている。

感情の起伏が激しく自己肯定感が低い。

些細な事に敏感に反応してしまいマイナス思考。

女の子の場合家庭に問題がある事が多い。

 

軽症のアスペルガーと軽症のメンヘラは、

世間にはたくさんいると言われる。

アスペは男性が多く、メンヘラは女性が多い。

 

Wワークで仕事をしているメンヘラAちゃんに、

無職の兄がいるとする。

メンヘラAちゃんは通勤に片道約1時間かけて夜遅く、

ヘロヘロになって戻ってくる。

メンヘラちゃんはくたびれ果て、ていの良い顔ができない。

たとえ身内であってもマイペースのアスペと、

会話することや、顔を見る事自体が、

とてもシンドイと感じる。

 

無職でもプライドの高いアスペさんは、

布団に横になり就寝前でイライラしながら、

アイツは帰宅後の挨拶もしないと、思っているとする。

 

「仕事に疲れて辛いのです。どうかお察し下さい」は、

アスペには通じない。

 

アスペとメンヘラは思考回路が全く違うのだ。

それを分かり合えるのは難しいとことだろう。

 

私の知っているメンヘラちゃんは、人に依存しなくなり、

強くなった。

少しずつ自立してきたメンヘラちゃん頑張っているんだね。

 

さっ、私も明日は病院に行こう。

自分の健康は自分で守ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

週末の駅のホームは思いの外、人が多い。

下りの快速電車がスーッと入ってきた。

 

白い杖をついた一人の男性が乗車口からかなりずれた所で、

杖をコツコツしながらドアを探している。

何人も人がいるのに、皆我先に乗り込んで案内しようとしない。

 

急がないと電車が出そうだ、このままだと危険だ。

 

私は電車から出て彼の腕を取り、

「乗車口はこちらですよ」と電車内に案内した。

運よくひとつだけ席が空いていたので、

「ここ座れますよ」と言ったら、

「ありがとうござます」と頭を下げて座席に掛けられた。

 

10分ほどすると、たまたま下車する駅が一緒だった。

人混みの中で大丈夫か気になり、彼の行方を目で追った。

案の定、人にもまれている。

 

見かねたので、

「エレベーターまで一緒に行きましょう」と声をかけた。

改札口辺りはかなり混んでいたので、

「混んでいますよ、大丈夫ですか」と言うと

「ここからは大丈夫です」とおっしゃった。

私の性分からして、その人の行方を目で追えば、

またおせっかいをしてしまいそうなので目で追うのはやめた。

 

そして、ふと思った。

親切のつもりが本当に親切だったのか?

もしかしたら自己満足だったのか?

そういえば誰かが言っていたなぁ、

ボランディアもある意味自己満足だろうと。

少しショックだったけれど、

まんざらゼロではないかもしれない。

 

過剰なサービスは時に相手の負担になる。

ましてや相手が求めていないサービスを押し付けて、

僕は頑張って気を使っているので、喜んで下さい。

的な、行動はそれはたぶん自己満足に近いだろう。

負担を感じさせないサービスこそが本当の意味の思いやりだと思う。

 

私の書くブログは、

息子に発信するためだけに書いている。

 

特に面白い事をかくわけでもなく、

落書きみたいなものなのに。

何故かフォロワーが何人かいるのです。

私の知っている範囲では友人2~3人、

親戚2人だと思う。

特に親戚とかが読んでいると思うと、

なかなか本音が書けない。

 

ちょっとこの方に読まれるのは苦手だなぁと思う人が、

いないわけではない、

ブロック出来れば気が楽になるのに。

体裁を考えながら書くと、もう本音じゃなくなる。

 

先日、すずめの戸締りを観た。

泣くツボが分からなかった私は薄情者かも知れない。

泣けたのは最後に猫がすずめから嫌われて、

元の杭になり、災いを防ぐ栓になるところだった。

猫はすずめに「うちのこになる?」と聞かれた時は、

本当に嬉しくて、最後はすずめの為に杭に戻ったのだと思うと、

けなげで泣けた。

 

笑うツボも泣くツボも人それぞれ。

9月の扉を締め切った日から

6年という年月が流れた。

 

あの夏の終わりの憂鬱を塞き止めていれば、

君を守る事が出来たのだろうか?

 

泥のような気持が体中を駆け回る。

7年目がきた。

 

 

生命保険の引き落としが止まった。

ハガキ一枚のお知らせ・・・・・。

いよいよ、

私の命も価値のないものになったらしい。

ずいぶん軽くなったのだろう。

プラン75 早川千絵監督

 

スクリーンの中の倍賞千恵子が演じる(ミチ)に、

10年後の私の姿をみたような気がした。

 

政府が超高齢化社会の問題解決として満75才に達すると、

生死(安楽死)の選択を自らが出来るという政策を打ち出し、

可決される。

 

いろんな場所でプラン75ののぼりを立て、

関心のある人には、手厚く説明をしている。

申し込みをすると10万円が貰える。

そしてそれはその日が来るまで自由に使って良いのだ。

10万という金額もリアルだけれど、映画から感じるのは、

10万円欲しさに死を選択するような人がいるような感じは無かった。

 

貧困支援の炊き出しのような場所でプラン75を説明しているが、

食べるに困る人が一回きりの10万円欲しさに、

それを選択するようには思えない。

むしろ明日もう目覚めなくてよい、

その事を望んで選択するように思えた。

 

①年金だけで現役時代と変わりなく生活が出来ている人。

②生活の質を落として、何とか暮らせている人。

③年金だけでは生活成り立たず、身体が動く間働き続ける人。

 

特に自営業などは国民年金だけではとても食べて行けるレベルではない。

③に近い自分は身体が動かなくり、

仕事を失えばそこはもう死に直結するわけだから、

迷いながらも最終的にプラン75に申し込む事になるだろう。

その時は私はおそらくこのプランに感謝するかも知れない。

 

「吐き気止めのお薬ですよ」

「飲んだら酸素マスク?をして下さい」

「だんだん眠くなりますから眠って下さいね」

そうやって永遠に眠れるのですから。

 

いつか死を迎える年老いた自分をみた。