社会復帰への、第一歩…かな? | ミタクエ・オヤシン

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【ミタクエ・オヤシン】はアメリカ・インディアン、ラコタ族の「私に繋がる全ての存在」と言う意味です。

今日の朝9時に、アルバイトの面接を受けてきました。
 
体調も安定して来ましたし、キラキラ自分専用キラキラの愛しい車車もあることだし。
ここは、再び働こうではないか!と言う意欲も、湧き上がってまいりました。
 
スキルス胃がんのステージ4から、ようやく、本当の意味での『生き直し』が出来る予感が漂っております。
 
思い返せば、2012年の6月は、怒涛の如し一か月でありました。
 
手術前の診断は、ステージ2程度であろう…と言われていたのが、開腹してみたら、すでに胃壁を突き破った腹膜播種が見つかり、リンパ節転移も多数あって、『スキルス胃がんステージ4』と言う告知を受けました。
積極的な治療(抗がん剤治療)をしない限り、余命は半年程度…と、担当医からは聞かされております。
 
病院にお世話になることを決めた時から、担当してくれている消化器外科医には、全てを包み隠さず、何も誤魔化さず、忌憚なく病状を伝えて欲しいとお願いしております。
そのリクエストに真摯に応えてくださっている担当医の、誠実な言葉でした。
 
ついでに術前から、お腹を開く以上、なるべく一度で済ませられるように…と、出来る限りの切除をお願いしたお陰もあって、胃・脾臓・胆嚢・リンパ節盛大に郭清して貰えたわけですね。
場合によっては開腹しても閉じるケースもあるそうですが、それだけは勘弁して貰いたかったのであります。
 
だって。
腹、開くんだもん。
切腹ですのよ?
しかも、タテに30センチ近く裂かれるわけです。
そんな殺生なことされる以上は、手ぶらで帰ってこられても困る。
手荷物として、私の内臓を持ち帰ってたもれ…だったのでございますよ。
 
まぁ、腹膜切除は行われていなかった病院ですので、腹膜はそのままですけどね。
スキルス胃がんの種は、お腹にばら撒かれたままの状態。
よって、根付いて開花されるのを防ぐべく、抗がん剤治療をスタートしました。
 
その時から、私は、自分は一度死んだ人間なのだ…と思っておりました。
 
その先、生きられる時間は、生き直しの時間だと思っておりました。
一度死んでやり直せるような感覚を与えられたことは、神様からのギフト。
今までの生き方を一度リセットして、生き直しのチャンスを貰った…と、密かに感じておりました。
 
それでも、抗がん剤治療のキツさ、お薬の副作用、術後後遺症との兼ね合いが取れずに、生きることがこんなに切ないとは…と思ったこともあります。
何度か死にそうになったこともあったし、生きることを放棄したいと感じることだってあったんですよ。
へら~っとしているように思われているかもしれませんが、苦しくて、どうにも出来なくて、引き籠りっぽくもなったし、眠れない日々を送ったこともあるわけですよ。
 
それでも、死ななかった。
あちらの世界に先に逝った先輩たちの誰かが、お迎えに来てくれるものだと思って居たのに。
誰もお迎えに来てくれなかったのでした。
 
結局、生きる道を淡々と行くしかないことを悟って、自分が出来ることは丁寧に向き合って。
諦めてしかるべきことは、潔く諦めて。
ちょっと背伸びして頑張れる範囲を、少しずつ広げていくことを重ねていくうちに、何となく5年目を迎えることになりました。
 
何が何でも生きてやる!なんて、一度も思ったことはありません。
その時が来たら、受け容れるしかないのだから…と、妙に力が抜けていたのが良かったのかもしれないです。
 
そんなこんなで、紆余曲折迷走神経暴走状態が一段落して、いよいよ次のステップを踏み出す心の準備が整いました。
 
で、今日の面接に行ってきた次第でございます。
久々に履歴書なんぞを記入し、久々に履歴書用のお写真を撮影したのでありました。
己の華麗なる加齢ぶりに驚きましたが、それはね、うん。
51歳ですもの。
実年齢に+10歳と思いなさい…ぐらい、胃ナシの影響が出ているのですからね。
 
あ、そうそう!
証明写真を見ていて、改めて気付いたのですが…。
私は抗がん剤治療(シスプラチン、TS-1)でも、激しい脱毛はありませんでした。
でも、明らかに髪が薄毛になったし、前髪前線が後退してしまったんですよね。
治療を止めて薬の影響は1年程度で完全に抜ける…と言われていましたが、ここに来てようやく、抗がん剤にやられちゃった前髪前線の毛穴が復活して来ました。
でも一度、やられちゃった毛穴なので、生えてくる髪の毛は、見事に真っ白です。
履歴書用の写真は、前髪が真っ白&やや短め(カットしてませんよ)なので、物凄い特徴のある髪の色になっております(笑)
 
なんだか、アタシらしいな。
 
髪の毛には、その人の考え方や生き様が現れるのですぞ…びっくりdede-n*
 
話し戻して(笑)
 
面接の結果は…、「明日から来て下さい。」
と言うことでピース♪sei
わーいラッキーバンザイラッキー
病気のこともきちんと伝えていますので、身体に無理のないように、ゆっくりと週に3回程度で勤務して見ましょうか…となったのでありました。
17時~24時の間で、3~4時間の勤務時間なのですが、きちんと働いてお金を頂ける自分復活でございます。
 
在宅でポチポチコツコツ稼いできたモニター・サイトは、今後は時間をきっちり区切って、細く長く継続していこうと思います。
 
小さいけれど、確かな一歩。
51歳、幼稚園生的なスタートだけど、嬉しい。
 
仕事に出掛けている夫にも電話で伝えたら、ビックリしてました。
まさか、早々に決まると思って居なかったみたいですよ。
でも、応援してくれるようなので、きちんと頑張っていきたいですよ。
 
お金を稼げることもね、当たり前のことじゃありません。
1円を稼がせて頂くには、その場が無ければ実現しません。
働かせてもらえること、働けることって、本当に有難いことです。
 
今、病気で闘って居る方も沢山居られると思います。
ご自分が置かれている状況を、受け容れられないと思うことも多いでしょう。
私だってそうでした。
だけど、受け容れるしかないのですよ。
誰のことでもなく、全て自分の身体に起きて居ることです。
全ては自分から発生していることなのだから、受け容れないと拒絶するほど、身体が強張って石のように硬くなってしまいます。
頑なな心から、柔らかくしなやかな心にシフト・チェンジすれば、病気ともご機嫌さんで共存出来ます。
 
自分の中にある病気は、自分のものですからね。
 
憎まず、反発し合わず、仲良くしようよ…とお互いの着地点を見出していくことを、楽しみながら過ごすことです。
 
それにはね。
まずは、死んだと思って。
一度、きちんと諦めることですよ。
 
みんなが、Happyになれるのが、最高じゃないですかキラニコキラ