がんとの付き合い方。 | ミタクエ・オヤシン

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【ミタクエ・オヤシン】はアメリカ・インディアン、ラコタ族の「私に繋がる全ての存在」と言う意味です。

12月に、術後4年半になる検査を控えています。
ここをクリアしたら、次は来年の6月で5年。

5年検査をクリア出来たら、多分、私の担当医は次の検査を予約してくれないだろうなー。

ってか、12月以降の検査も、予約してくれるか怪しい…。

山梨のがん拠点病院だし、ダヴィンチなんてのも導入しちゃった関係で、次々にがん患者が増えている病院です。
寛解状態まで来た私は、もうすでに『がん患者』と言う扱いをされることも無く…。
治療らしいことも無いので、診察打ち切り感(笑)満載なのです。

来年の5年クリアを迎えられたら、晴れて『がんサバイバー』なる称号を堂々と胸を張って、「スキルス胃がんでステージ4でも、5年生きたし!」と、1つの区切りをつけることが出来るのかな~…と想像しているのですけど…。

実は、そんなに単純な心持ちではありません。
何故に、私は死なせてもらえなかったのか?と、悶々と悩み考え続けているのが、本当の本当の本音です。

 

胃がん発覚後に同病で知り合ったほとんどの方は、亡くなられました。

まだ小さいお子さんが居たり、生きてやりたいことが沢山あるんだよ!と言って居た方達が、亡くなられて逝きました。

 

着々と死ぬ準備を整え、死ぬ気満々でその時を待ち望んでいた私は、死に損なって生き続けています。

願い叶わず逝ってしまったがん仲間達に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

先に逝った仲間達に恥じない生き方をしたいと思いながら、なかなか思い通りにならない不自由な体に、苛立たしさやもどかしさを感じることも、度々ありました。

 

体調が安定してきた今となっては、自分が何かを楽しむことに罪悪感を感じることもあり、どうやったら心が解放されるのだろうか?と迷うことすらあります。

 

死んでもおかしくなかった状況なのに、死ぬことを許されなかった私は、生きることを許されたとも思えません。

私よりも、ずっと生きていることに価値があった筈の人達が、何故、召されて逝かなければいけなかったのか?と言う想いが消えないままなのです。

 

そんな想いがあっても、ご飯を食べ、好物のフルーツを食べたり、パソコンでSNSをやったり、猫のグレコさんを愛でたり、趣味の映画や読書を楽しむ自分が居て、どうにも気持ちの踏ん切りがつけらませんでした。

 

思い返せば…。
手術した担当医と、主に抗がん剤の入院治療でお世話になった第二担当医は、まぢで私の寿命は1年は無いだろうと言っておりました。

先日のブログでも書きましたが、掛かりつけ医はもっと深刻に考えていたと言われています。
 

今までブログでは書いて来ませんでしたが、術後~抗がん剤治療の3クール目ぐらいまでに、こんなやり取りがあったのであります。

 

「最初から隠し事をしない約束で、全部、きちんと話して欲しいと言う気持ちを尊重して。」と言う枕詞(笑)を付けた上で、外科医の経験から考えるに1年は生きられない可能性が圧倒的に高いだろう…と、担当医&第二担当医は病室で雑談しておりました。

 

普通の患者さんだったら、きっとこんな話をしないと思います。
私の場合は、物凄く特殊な患者だったのでしょう。

 

もっと言うと、ステージ4のスキルス胃がんと告知された時の私は、ある意味、がん患者ハイ状態になっておりました。

がんと言う、ものすっごく分かり易い病気、しかもスキルス胃がん!ステージ4!!生存率、低いし!!!的な、トリプル・パンチを食らった、パンチドランカーのボクサーみたいな感じでした。

人生最大の山場を臨場感たっぷりに体感している、がん患者の自分に酔いしれていたのかもしれません。
 

で、(どうせ)長く生きられない可能性が高いのならば、今、ちょっと頑張って見ようか?と言う提案もあり、抗がん剤のシスプラチン投与を許容最大まで使いました。

 

ただし、術前の体重で計算して。
術後に減った体重から割り出した抗がん剤投与量ではなかったのであります。

もちろん、同意の上での治療でした。


寛解状態の今だから~♪、笑って言えること~♪、るるる~♪

 

そんな状況だったから、脱水状態で死ぬ寸前に陥るわけですが…。
ジワジワと体重が減っていき、39キロまで落ちてしまってからは、シスプラチン投与量もTS-1も減らしましたけどね。
 

危機的な副作用ではないにしろ、私には耐えがたい副作用だった豪快な下痢に嫌気が差し、抗がん剤治療を自ら止めたいと申し出たのは、ブログでも書いてきました。
担当医はもっと継続したかったようですが、結果的に、中断したタイミングも良かったのかもしれません。
 

私の命のベクトルは、死ぬ方向とは逆方向に転換し、今に至るわけです。

病気を契機に仕事を辞めて、社会復帰をしないまま。
何かを生み出すわけでもなく、誰かの役に立つわけでもない。
胃ナシの体は相変わらずバグが多くて、ちょっと限界値を超えればアラームが鳴り響くわけです。

 

その都度、夫にも負担が掛かってしまい、そんな自分に腹が立って仕方がありません。

私の病気が発覚した直後から、犬達、猫達も病気を発症しました。
私の身代わりになるように、1頭、また1頭と看取りが続きました。

犬達、猫達を看取るまでは死ねない…と思って居たものの、本当にそんな日が来るなんて、思いもよりませんでした。

家の中から猫のやまと君が姿を消し(抗がん剤治療入院中に旅立ってしまった)、なでしこが腕の中から旅立って逝きました。

スコッチ達も私の腕の中で命の火が消え、家には元野良猫だった猫のグレコさんだけが残りました。

 

肩の荷が下りたと同時に、大きな大きな隙間が出来ました。
自分の病気に振り回されて、ケアを十分にしてあげれなかったのではないか…と言う後悔の気持ちが、ジワジワと押し寄せて来て…。
ネットやテレビで、犬の映像を見ることを避けるようになりました。

 

これは、何のお仕置きなのか?

神や仏には、慈悲の心なんてないのか?

 

天にすら唾を吐きたくなり、生きている事に感謝しようと思う気持ちは、ダークサイドに落ちたSONWAI(苦笑)に吸い取られ…。

 

もう、どうしたら良いのか分からないまま。
出口の見えないトンネルを彷徨い続けている自分を持て余して、夜も眠れなくなりました。
酷い不眠の為に、1年以上、強い睡眠剤を使って無理やり眠るようになって居ました。

それでも、その時が来ていない私は、生きるしかなかった。
生きる方向へ舵を切り直すしか、道は無かったのです。

 

贅沢な悩みだと思う方も居るでしょう。

今、まさに病気と向き合って闘病されている方からすれば、何を言っているんだ!と腹立たしく感じられると思います。

それも承知で、敢えて、本音を書かせて頂いています。

 

逆に、私と同じような気持ちで苦しんでいる方も、居るのではないでしょうか?

特にステージ4と宣告され、5年生存をクリアされた方は、必ずくすぶっている火種(大きさに違いはあるかもしれないけど)のような問題ではないでしょうか?

 

がんと言う病気は、実に、色々な問題を浮き彫りにしてくれます。

その人の生き様を、否が応でも見せつけてくれる病気とも言えるでしょう。

 

これから先、私はどうなっていくのかは、全然分かりません。

5年クリアが出来たとしても、お腹の中からがん細胞が完全に消失したわけではありません。
今は共存関係が保たれていますが、いつバランスが崩れてもおかしくないからです。

その不安要素を抱えた上で、自分の生きる道を模索し続けています。
 

時に大好きな映画を楽しみながら。

日々、猫のグレコさんを可愛がり、保護犬のあんこちゃん(仮名)のお世話をして。

美味しいと思えるものを心から堪能し、そんな自分を嫌悪しながらも、命を味わって生きて行く。


割り切れない想い、遣り切れない切なさやもどかしさを抱えながら、生きて行くんだろうな。

そして、時々、このブログに気持ちを綴るんだろうな。

 

そんな姿が、一番、私らしいのかもしれません。